本居宣長『古き名どころを尋ぬる事』の訳について

このQ&Aのポイント
  • 本居宣長の『古き名どころを尋ぬる事』の現代語訳について、一部分が分かりにくいです。
  • この訳は、現地で見聞きしたことをもとにしており、正確さに欠ける部分もあるかもしれません。
  • 特に【まがひなきことも有リ】という部分は、誤訳かもしれませんが、よく理解できません。
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本居宣長 玉勝間 六の巻 現代語訳 

『古き名どころを尋ぬる事』の中の訳で分からない部分があります。 いかにくはしく考へたるも、書もて考へ定めたることは、其所にいたりて見聞けば、いたく違ふことの多き物也、 よそながらは、さだかならぬ所も、其國にては、さすがに書(カキ)もつたへ、かたりも傳へて、【まがひなきことも有リ】、 さればみづから其地(トコロ)にいたりて、見もし、そこの事よくしれる人に、とひききなどもせでは、事たらはず、 一応前後の原文も載せましたが、【】でくくった部分の現代語訳は、【正しいこともあり】という意味ですか? まがひ=誤り、と考えて訳をしたのですが、前後がうまくつながらないような気がしてよく分かりません、。 回答お願いいたします! 

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • d-y
  • ベストアンサー率46% (1528/3312)
回答No.1

どんなに詳しく考えたことでも、書物(を読ん)で考えたことは、その場所に行って見たり聞いたりすると、ひどく違っていることが多いものだ。よそから(見ていて)ははっきりしないことでも、その国では、さすがに書物でも伝わっているし、言い伝えでも伝わっていて、間違いのない(=はっきりしている)ことがある。だから、自分でその場所に行って、見たり、そのことをよく知っている人に訊いたりもしなければ、十分ではないのだ。

louca47
質問者

お礼

迅速な回答本当にありがとうございます! 前後の部分で少し勘違いして捉えていた部分がありました; 分かりやすい訳をありがとうございました!

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