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江戸の貨幣流通と経済の変化
komesの回答
- komes
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(1)と(2)については既に回答がありますので省略。 (3)米の流通経路はご質問のとうりですが、諸藩の年貢として収めた米(後世では金納制度も存在し、米以外の物納制も併用されました。) は量も多く、これを藩自体で売り捌く事は非効率かつ労力的に大変でしたから米商人に販売を委託しました。 この為一時的に米を保管したのが各藩の蔵屋敷です。 また米相場の高値の時に売る調節にも使われました。 各藩は蔵屋敷の在庫米を担保にして米商人から米手形の発行をうけこれを換金して財政にあてました。 米相場は変動しますからこれによる利益も商人の利得になりました。 米相場の根拠地は大阪にありましたから各藩の米は大阪に集まりました。 米商人はその権益を株というシステムで独占していました。 江戸幕府直轄地の年貢も同様に近辺の蔵に収められ江戸の蔵屋敷に集められた米は米の現物給与や米商人に払い下げられました。 米問屋は現物の米を落札して蔵屋敷より引き取り、小売り商に売り渡しました。 これらの米は玄米でしたから小売り商で精米していたようです。
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