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命の大切さを教えるには?

asinohutabaの回答

回答No.6

あっ、高校生さんですか。 でも面白い授業ですね。 できればgiggs11さんがどんなときに「命の大切さ」を感じたのかお聞かせ願いたかったのですが、他の方へのお返事をみてもあまりハッキリしてなかったので、わたしなりの考えを述べることにします(補足要求しておきながら書き逃げするのもなんですし) 他の方のご意見を見るとやはり「人の命」を題材にお話なさっている方が多いですね。 当然と言えば当然ですが、わたしはちょっと違う方向から話をします。 ちょうど小学生くらいのときって、虫とかカエルとかを殺したりいたぶったりしますよね? でもこれって悪意があってやるんじゃなくて、小さいものの命とかに無関心なのと、そういうものへの純粋な興味からですよね でも、だんだんに普通の子はそういうことしなくなっていきます。 これには「命は大切なんだから生き物を殺しちゃダメですよ」って親、学校に教わることによって自制するかたちでやめるのと、自分で「生き物を殺すことは残酷な行為だ」ってわかってやめるのと両方だとおもいます。 カエルを殺せば嫌な臭いがして、お腹から卵のもとになるような組織が出てくるし、ザリガニを殺せば黄色い体液がでて、体を二つに千切ってもしばらくは意味もなく動いてる。釣った瞬間は背中が鮮やかなエメラルドグリーンに輝いているブリでも、すぐに青く色あせて体がしぼんで硬くなる。どんな生き物でも死ねばそのうち腐臭がしてくるし、殺した手にはヤな臭いがこびりつきます。 そんな体験をすれば、だれから教わるでなく、生き物から命が失われていく過程は、疑いなく残酷だといいきれるようになるし、なにより生き物の死は後味が悪いって自然に気づきますよ。 このくらいの歳の子って、人の生き死にで命のこと考えるよりは、身近な生物の命(上に書いたような遊びで殺しちゃった生き物とか、飼ってて死んだペットとか)を見て「命がなくなっていくのって残酷だ」って感じるんじゃないですか。 その延長で「人の命・命の大切さ」があるとおもうし、自分の体験として「命の失われる残酷さ」を感じていれば、そういうところに道徳とか倫理とか宗教とかっていう論理ではなく、感覚で敏感になれれるし、「なんで人を殺してはいけないか」なんて疑問をもつモンスターも出てこないと個人的には信じます。 なんか繰り返しになってしましましたが、授業の進め方としては、皆に身近で命が失われた体験を話し合ってもらって(自分で殺したのも、ペットの死も含めて)、そのとき個人個人で感じた「残酷さ」を、集団(クラス)での認識にしていく。ってのがベターかとおもいます。

giggs11
質問者

お礼

ご解答有難うございます。 論理ではなく、感覚。解りやすさを追求するなら言葉を複雑に組み立てていくより、「見て嫌だ」と本能的に感じさせる、ということを説明すべきかな、という感じで少し骨組を固めていこうと思います。

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