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キリストと釈迦
kigurumiの回答
- kigurumi
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カンニバリズム。 (先日ハンニバルを観ており、今回思いつきました。) 古代では、力をなくした王を殺して食うという風習があったようなんですね。 (王を神と置き換えてもいいでしょう。) 殺して食うことで、王が力を復活させるという風習があった。 「食べなさい これは私の肉である。飲みなさい これは私の血である」 古代の人は血に魂があるとされた。 ユダヤ教徒は血を抜いた肉を食べますが、何故血を食べないかというと、食べちゃうとその動物が復活できないから。 復活できないと、食べるものが無くなるので、だから血は飲まない。 ところが、血を飲むことでそれを内に入れるという解釈もできたわけです。 早い話が共食い。 南米のどこかで遭難した人々が、人を食って生き延びた事件がありましたよね。 食うことでその命を自分の中に宿しつづけるという考えにならないと、共食いになってしまう。 結局は窮地に追い込まれたら他人も食ってまで生き延びるということに、なんらかの正当性を見出そうとしたと思えるし、罪悪感すら消せる思想だと思います。 古代王は紫の衣を着せられ、女性達の夜をともにし、その後で紫の衣を剥ぎ取り、鞭打ち槍でさして殺したらしいです。 その時 王が涙を見せれば、民は幸福になるとされたそうです。 殺されるべき王は、その儀式を受け入れていたようなんです。 (そのうち、王ではなく身代わりの王が代行を務めることになったそうです。) この生贄の儀式がいつ頃まであったのかはわかりませんが、アブラハムとイサクの頃、この人を殺して食って生き延びるという風習は必要なくなり、身代わりの動物を殺して神に供養として捧げるという仕来たりに変化したそうです。 ところが、イエスが生きたとされた時代に、再び人身供養が復活している。 少なくとも思想上は共食いを賞賛しているわけです。 王を殺すことで多くの人が生き延びるという利己的と思える思想。 輪廻というより、、、なんでしょうね。 他人の肉となることで、殺したものが生き延びることになるという思想。 殺しは悪いことじゃないし、殺した人を食うことはその人を生かすことになるという思想。 釈迦はこれにどう反論するのでしょうね。 日本人が昔フランスで恋人を殺して食ったそうですが、どうして愛する人を食ったのかと聞かれた人が、「愛していたから」と答えたそうです。 その人を食うことで合体したかったのでしょうか。 究極の利己主義だと思います。 他者を自分の同化したいという欲望。 他者では我慢ならないというわけですよね。 神を食う、人間を殺して食う。 究極の利己主義ですね。 全てを一つにしたいという欲望。 これは人間といえるのか。 人間だから、同化したいという欲望がひき起こるのか。 それで殺して食うのか。 こうなったとき、もはや人間が道具として使う言葉は理性は通じなくなる。 人間ではなくなる。 哲学は人間が唯一持っている学問。 それが崩壊したとき、人の形は崩壊する。 人間じゃあなくなる。 某宗教は人類が絶滅するよう望みその方向で世界を侵略していったようなんですね。 愛と救い=絶滅。 釈迦はこの絶滅への思想の根源である人を殺して食うという考えに、どう反論するのか。 不可能。 何故なら言葉も理性も持たない人間ではないものに、言葉を持ってしても、それは雑音でしかないから。 無欲でありなさいと言ったところで、救われたいという欲望に流されるなといったところで、それは全く意味を持たない音でしなかなりえない。 釈迦の負け。
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補足
私も早速「ハンニバル」を観てみよう。