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資本主義の社会は、社会のかたち、在り方として究極な理想な姿だと思いますか?

資本主義の社会は、社会を造るうえでの理想な姿だと思いますか? 資本主義の社会は良い面もありますし、逆に問題が無いか?と言えば、はい、とは言い難い所もあろうとも思えます。 あなたのビジョンから見て、資本主義の社会の問題とおもわれる一面や、メリットとして感じ得る面など、見解をお願いいたします。その結果どういうことが具現化されているかなど具体例等をお願いいたします。 資本主義の社会は、問題など一切無いと思われる方は容認いただいて。資本主義の社会の、問題を具体的に提起しえる方。どこをどんな風にしたら、どこがどのように良くなるか。またはさらに、資本主義の社会の発生以前のイデアの選択の状態の時期であるならば、社会のさらなる理想的なある姿は、思いつきますでしょうか? 資本主義の社会は、社会のかたち、在り方として究極な理想な姿だと思いますか?

みんなの回答

  • xxa31a
  • ベストアンサー率56% (23/41)
回答No.10

>そんなイデアから派生した法はできるでしょうか? 残念ながら私は倫理面のことはよく分かりません。 現代政治におけるプラトン論については佐々木毅『プラトンの呪縛』などがあったかと。 議会制民主主義の国では、政治家は選挙の支配に服しています。民主主義は歴史的にブルジョワ市民、労働者、女性を順に参加させていくことで国内の特権階級を漸進的に消滅させてきました。他の制度よりは庶民に優しいようにはなっているはずです。私は西欧民主主義がブルジョワの独裁だというような批判には賛成しません。ただし、民主主義の深化を唱える議論(ラディカル・デモクラシー)は多いようです。 現代の民主主義における格差の問題は、ヨーロッパを中心に浸透した福祉国家化が行き詰まりを見せているということです。主としてリバタリアン側からの批判と世界経済の変動も踏まえ、福祉像を再構築する必要があります。 >そういう国はどうして教育水準も上がるとお思いですか? どうしてかというと、私には分かりません。こういった事に特に詳しいわけでもありません。ただ、福祉大国となっている北欧やベネルクスが、国内格差を抑えているのに教育水準はむしろ高い部類にあり、福祉大国となっていても「国際競争力」(WEFやIMDのランキング)が悪いわけでもないという点を「不思議」なことだと思います。 フィンランドは教育のモデルとして参照されることが多い国で、スウェーデンやオランダは学術の盛んな国です。ただ、福祉大国であれば教育水準が高くなるのかというと、そういう必然性はないと思います。香港やシンガポールのように所得格差が大きくても教育水準が高いとされる国もあります。 特長といえる点が挙げるとすれば、 ・女性人材を活用していること(日本では男性だけになるような分野にも女性が多数進出している) ・教育に大きい予算をつぎ込んでおり、教育費はほとんど公的支出であること ・教育カリキュラムに保守的にならずこれを頻繁に改革してきたこと ・学年意識が緩やかになっていること ・生涯教育が盛んで成人後も新しい知識の吸収が計られていること などでしょうか。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >ブルジョワ市民、労働者、女性を順に参加させていくことで国内の特権階級を漸進的に消滅させてきました。 >福祉像を再構築する必要があります。 なるほど。そのような特権階級が満たしていた心と、正に同一、又は酷似した心を、あらゆる職や組織の中で、名を変え、ままならなくも満たそうとする者は、又は、それを自分自身に対しても隠している者は、多く存在していると思い、名前と居所を変えた、蓑に隠れた特権階級の芽を出させる事をできなくする事や、自省できる意識を表層意識にまで上げる事が必要と思います。 >福祉大国となっている北欧やベネルクスが、国内格差を抑えているのに教育水準はむしろ高い部類にあり、福祉大国となっていても「国際競争力」(WEFやIMDのランキング)が悪いわけでもないという点を「不思議」なことだと思います。 人という動物の存在、存続のあり方として、人の持つ欠かすことの出来ない物理的な面や精神の部位を日々良く研究し、ひとりの犠牲も払わず、人の存在と心と本能を満たし、安全に、社会に信頼を抱いて行きとおせるために、毎日全体を持って努力しているんだと思います。 足る事を知れるスリム化した心を目指せる心が全体としてどういうことを生み出してくるかを知っていて、その価値が、意識化できているのかもしれません。 こんな風に思いました。 ありがとうございます。

noname#52467
noname#52467
回答No.9

資本主義による過当競争の成れの果てが現在の姿とすると、格差が世界国内を問わずでてしまい、必ずしも成功ではないのでしょうね さりとて下手な社会主義を取り込むと資源のないところは国際競争に勝てないため、平等でも貧困になるのかもしれません(まさに日本) 日本の場合富の分配システムがインチキ臭い政治体制(原因は国民にあります)で行なわれているので、これが改善されると資本主義の社会としてりっぱなものです

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >過当競争の成れの果てが現在の姿とすると、格差が世界国内を問わずでてしまい、必ずしも成功ではない そう思う節は、昨日今日と至る所で、見受けられます。富者は自分の好都合を保てればよいと考えているでしょうし。貧しき者は、希望まで削ぎ減り、人としての心は、心から乖離しつつもあります。問題は、いつも弱者の方で処理される傾向です。しかもそれは間接的に行われ命や一生に掛かって来てしまっている段階まで来ていると思います。 >日本の場合富の分配システムがインチキ臭い政治体制(原因は国民にあります)で行なわれている ふむふむ。具体的な輪郭を掘るとどう説明されるとお思いですか? ありがとうございます。

回答No.8

> 資本主義の社会は、社会のかたち、在り方として究極な理想な姿だと思いますか? 昔聞いたことですが、「民主主義というのは、過去に存在したそれ以外のすべての政治制度を除外した上で言えば、最悪の制度だ。」という趣旨の言葉があるそうです。 同様に、「資本主義経済というのは、過去に存在したそれ以外のすべての経済システムを除外した上で言えば、最悪のシステムだ。」と、いえるかもしれません。 また、一般に「社会主義経済」というのは、マルクスレーニン主義のことをさすことが多いと思いますが、社会主義経済というのは、これだけでもありません。理想的社会主義(空想的社会主義)というのもありますし、実のところ、日本の高度経済成長から、バブル崩壊の直前までの日本の経済は、実態としては「社会主義」だった、という人も少なくありません。 「究極」というのが、これ以上望めない制度、ということであるなら、私は「No」と答えます。人類の英知は、現在の「資本主義社会」を超える社会システムを構築しうると私は思っていますので。 「究極」というのは、「オンリーワン」よりも「No.1」を志向した言葉だと思います。ですが、こういう、多様な価値観が絡み合う世界で、「No.1」ということに本当に意味があるでしょうか。 あえていうなら、「失敗」とされた「社会主義」ですら、今の資本主義には無い利点もあるし、ソビエトが崩壊したのは経済制度の問題ではなく、官僚制度の問題だ、と、言う人もいます。「本当の社会主義」は、資本主義経済よりも優れていると、彼らは主張します。また、現在の中国の経済システムは、はたして「資本主義経済」といえるでしょうか。その行く末もどうなるかわかりませんが、これが資本主義経済を超える経済システムとなる可能性も、可能性としてはあるのです。あるいは、現在の資本主義経済、特にいわゆる「アメリカ型資本主義経済」というのは、いろいろな脆さを抱えていることは、いろいろな人が指摘しています。いつか、破綻して現在の「ソビエト型社会主義」と同列に列せられる可能性は、決して小さくないと考えます。 結論として、いまの「資本主義経済」に問題点があることを理解されているのであれば、これが「究極の」経済システムではないことはおのずとわかるのではないでしょうか。私としては、いわゆる資本主義と社会主義の枠にとらわれず、空想的社会主義や、江戸時代、あるいは古代の経済システムなどもふくめ、古今東西のいろいろな経済システムについて片っ端から調べられてはどうかと思います。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >現在の「資本主義社会」を超える社会システムを構築しうると私は思っています うれしいお言葉ですね。 気が付かない人、何かがおかしいと思いつつそれが複雑すぎて何をしたら良いか分からない人、諦める人、踊る人、利用する人、都合が良くて気が付かない人、知っていても解決のその時まで精神的裏づけの成立しうるまでの礎になる人、知ってはいるが自己を見極めれず時間踊る人、この世にはいろんな人の心が生きています。 そんな人の心の闇、霧は、晴れるときがいつしかやってこなければなりません。 >「失敗」とされた「社会主義」ですら、今の資本主義には無い利点もある >「本当の社会主義」は、資本主義経済よりも優れていると、彼らは主張します ソビエトの理想としている本当の社会主義は、一体何によって軌道を外れてしまったのでしょう?人の心?欲?人の心の痛みに気が付けなかった事?崇高な価値観の理解者の有無?またはその絶対数? >「アメリカ型資本主義経済」というのは、いろいろな脆さを抱えていることは、いろいろな人が指摘しています。いつか、破綻して現在の「ソビエト型社会主義」と同列に列せられる可能性は、決して小さくない 多くの人の心を納得行かせる流れが、いつしか芽を出し湧き起こったとき。 >資本主義と社会主義の枠にとらわれず、空想的社会主義や、江戸時代、あるいは古代の経済システムなどもふくめ、古今東西のいろいろな経済システムについて片っ端から調べられてはどうかと思います。 ありがとうございます。この世の問題が少しでも私自身の中で解けたらそれは、うれしいこととなるでしょう。 ありがとうございます。

  • xxa31a
  • ベストアンサー率56% (23/41)
回答No.7

長文になってしまいましたが、局所的なこと以外は疎いので細かい点はご容赦下さいませ。 「社会主義」というのは定義が曖昧な言葉でして、その内容に過度の単一性を要求しない方がよいかと思います。「資本主義」も人によって指している内容が結構違いませんかね。全ての「資本主義国」は資本主義的かつ社会主義的であり、全ての「(現存する)社会主義国」も資本主義的かつ社会主義的だと捉えることができます。しかし便宜上、生産手段の公有の割合・富の再分配を高める動きを「社会主義」っぽい運動だといっておきます。対として、生産手段の公有の割合・富の再分配の小さくする動きを、とりあえず「資本主義」っぽい運動だと呼んでみましょう。もっとも、前者は社会民主主義といった方が望ましい社会が多いかとは思いますし、後者も自由放任経済といった方が実像に近いかとは思います。 荒っぽく言うならば、ヨーロッパや中道左派政権は相対的に「社会主義」(社会民主主義)に近いユートピアを追い求め、福祉国家化を推し進めました。一方ではアメリカ合衆国や中道右派政権は相対的に「資本主義」に近いユートピアを追い求めてきたわけです。ソビエト型の「(現存する)社会主義国」を批判した知識人は多いですが、ユートピア像の全てを批判したわけでもなく、どこを批判してどこを継承したかの問題でしょう。独裁型政権については、類型は資本主義か社会主義かではなく、「全体主義」や「権威主義」あるいは「スルタン主義」といった類型がよく使われます。「社会主義」っぽい独裁政権は有名ですが、「資本主義」っぽい独裁政権も珍しくありません。官僚主義・政治的エリート主義による経済建設を行っていたソビエトは既に消滅済みであり、中国は大幅な所得格差を容認して市場経済の導入を推し進め「社会主義」っぽい政権と言っていいのかは謎めいています。また富の再分配という意味では、「民主主義」型政権の方が独裁型よりも格差が小さいという統計もあったかと思います(そういうコンセンサスがあるのかどうかは知りませんが)。富裕層は常に少数派で多数派は貧しいわけですから、「民主主義」の国では富裕層ばかりを優遇していては政権は永らえられません。 「資本主義国」がその安定のため労働者運動の主張を吸収して国家による福祉機能を充実させたことを、従来の「資本主義」と区別するために、ハーバーマスなどは「後期資本主義」と呼んでいます。経済の言葉でも「混合経済」とか「修正資本主義」とかいうものが現状を表す言葉であり、国家は経済に介入し大きい役割を担っています。環境問題・技術倫理問題など自由競争だけでは解決できない問題も重みが増してきています。しかしながら、多くの国で国家による経済介入に対する信頼性も揺れています。福祉予算の肥大化にともなって、官僚制や国家の経済介入を批判する、リバタリアニズムとか市場原理主義とかいった主張が大きくなってきました。中道左派政党でも市場経済の役割を重視しながら公正も確保しようとする、アンソニー・ギデンズの「第三の道」といった主張も出てきました。生産性が高くなることはよいことでしょうが、ただ、全ての国家が福祉機能を削減して「国際競争力」なるものを追求したとすると、どこの国の労働者にとっても生活不安が増大する危険性があるのかもしれません。生産手段の公有や調整機能を国家ではなく国際的な機関、それも民主的に選ばれた国際機関が担うべきだという主張もあります。こういった主張の中で、これだけが唯一正しいとかいうことを断ずるのは乱暴でしょうし、いずれも「現状と比べて」どう動かすかという問題であり、究極の理想像を述べているわけではありません。 超長期的に考えるならば経済的背景が大きく変わるかと思います。現在の先進国の1人当たりGDP(国内総生産)は3万ドル前後です。2100年なり2200年なりにもっと経済規模が拡大すれば、また技術革新が進めば、労働環境をもっと改善することは可能になるはずです。そして経済的権力と労働の価値観をどう捉えるか。アレントのいう悪い意味での「労働」から遠ざかっていくことが望ましいのか。ハイエクやベル、ドラッカーの言っていたように脱工業化社会では知識ベースの非官僚社会的な労働が大きくなってくるのか。トフラーのいうように生産と消費が一体化するのか。文明面での変化も捉えていかなければいけないでしょうね。 ---- もう1つ。「資本主義」っぽい理想を推し進めた社会の例として香港を、「社会主義」っぽい理想を推し進めた社会の例としてスウェーデンを挙げてみましょう。両者は1人当たりGDP(国内総生産)も人口も似通っています。「資本主義」っぽい社会が「社会主義国」の中にあったり、「社会主義」っぽい社会が「資本主義国」の中にあったりするのはアイロニーです。 香港は、経済的エリートにとっては素晴らしい社会なんでしょう。税金の額は非常に少ないし、国家の経済介入も少ないです。現代的な大都会で、超高層ビルの規模は世界一のレベルです。福祉や環境は二の次といった感じです。経済が非常に発展しています。大金持ちがいっぱいいます。一方では家事労働者もいっぱいいます。所得格差は非常に大きいです。 スウェーデンは、女性や格差を好まない人にとっては素晴らしい社会なんでしょう。男女格差は世界で最も小さい水準で、経済格差も小さいです。福祉公務員がたくさんいます。代わりに福祉の充実のため、国民負担率(税金+社会保険料の割合)が7割位に達しています。過剰な平等は勤労意欲を削ぐという批判もあります。ただし教育水準の高い国でもあります。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 生産手段の公有の割合・富の再分配の動きで、考えると、また柔軟になってきますよね。 社会民主主義という社会。自由放任経済といった社会。なるほど。中道という言葉が変化を可能にしています。 >ユートピア像の全てを批判したわけでもなく、どこを批判してどこを継承したかの問題 なるほど。主義そのものを白黒付けるのではなく、その内容として、良いものは、良いと評価して取り入れていく姿勢は非常に大切な意味のあることであるということですね。 >富裕層は常に少数派で多数派は貧しいわけですから、「民主主義」の国では富裕層ばかりを優遇していては政権は永らえられません。 なるほど。まつりごとを執り行う者は、それを含めて先ず自らが自省の心と、富裕層庶民への彼らの心をも自ら見つめ直せられる説明と働きかけをしなくてはなりません。そんなイデアから派生した法はできるでしょうか? >後期資本主義 >修正資本主義 その過程として、とてもよいことと思います。 >生産手段の公有や調整機能を国家ではなく国際的な機関、それも民主的に選ばれた国際機関が担うべきだという主張もあります。 なるほど。一つの国のあり方は、他の国のあり方とも密接に関係しあっていることから、それを放任の状態から、コントロールできる状態にしてみましょうという流れですね。同じ人間である、秩序と均衡と平和、信頼、安全を守る為に。 >スウェーデンは、女性や格差を好まない人にとっては素晴らしい社会なんでしょう。男女格差は世界で最も小さい水準で、経済格差も小さいです。福祉公務員がたくさんいます。代わりに福祉の充実のため、国民負担率(税金+社会保険料の割合)が7割位に達しています。過剰な平等は勤労意欲を削ぐという批判もあります。ただし教育水準の高い国でもあります。 いい国ですよね。うらやましいです。きっと平等や人の命の価値を本当に大切にしよう事する事の価値を無意識の領域からも意識化しようとしているのだとしているのだと思います。 そういう国はどうして教育水準も上がるとお思いですか? スウェーデンの人は、自分や人は何の為に生きているのか知っているような気がします。 ありがとうございます。

  • nidonen
  • ベストアンサー率55% (3658/6607)
回答No.6

#5です > 統制経済制度とは、もう少し噛み砕くとどんな説明になりますか?  ごく簡単に言えば、あらゆる経済活動は政府のコントロールで 行なわれるということです。たとえばある会社が仕入れをしよう と思っても政府の認可が必要だったり、事前に計画された以外の 経済活動は一切できないといったケースが挙げられます。 > 社会主義国は、独裁国家となってしまいがちなのは、何が起因して、さらにどういう経緯で  資本主義というか資本制は、ある意味、自然発生的に成立した 社会です。もちろんその成立過程には王族を倒す革命や、日本だと 黒船来襲といった外圧もありますが、おしなべて自由主義かつ資本 制の国々は、経済面では同じような発展過程をたどってきました。  それに対して社会主義は、政府が強権的に推し進めない限り、 成立しようがない制度です。なにしろ財産の私有という、自由 主義社会の人々が当たり前と考えていることすら認めないので すから、自由主義社会と相容れるはずがありません。  たとえばある日、政府が「財産の私有は認めない、あらゆる 企業は国営になり、経済活動は政府の指導の元に行なう」と発表 したとして、国民がそれに従いますか? そもそも法治国家では そんな発表自体がありえません。  よって、社会主義はその成立時点において、独裁主義である 必要をはらんでいます。社会主義が独裁国家になるのではなく、 社会主義は必然的に独裁なのです。  ただし、社会主義国もその成立時には、国民にとっての正義を 実現しようとしていることが多いですね。キューバのカストロ首 相は、米国の傀儡政権が国民を苦しめていた( のが本当かどうかは 別として )現状を打破するために政府を倒し、米国企業を接収 して国有化しました。ただ、軍人としては優秀であっても経済の プロではないし、政府にすべての権力が集中する社会主義を推進 すればするほど、独裁に陥らざるを得ないのです。  本当は、経済は経済のプロに任せればいいのですが、プロに 任せてしまうと必然的に、資本制を導入せざるを得なくなります。 社会主義下の統制経済は、経済運営上は絶対に失敗するからです。 それゆえ、経済も政府の統制下にある政治形態を維持する以上は、 社会主義が独裁になるのは必然なのです。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。 >政府の認可が必要だったり、事前に計画された以外の経済活動は一切できないといったケース なるほど。政府はしても良い事とする事を決めるに対しての責任がありますからね。納得です。 >社会主義は、政府が強権的に推し進めない限り、成立しようがない制度 >社会主義はその成立時点において、独裁主義である必要をはらんでいます。社会主義が独裁国家になるのではなく、社会主義は必然的に独裁 なるほど。国民を等しく治める対照の実態もやはり人というわけで、治める側が、己の精神と行く先と自己に対する厳しい内省がある方でなければたんをはして対外的に独裁とみなさざるを得ない認識を持つ方も、出てきてもおかしくは無いです。 >政府にすべての権力が集中する社会主義を推進すればするほど、独裁に陥らざるを得ないのです。 なるほど。そうなってしまうというわけですね。 >社会主義下の統制経済は、経済運営上は絶対に失敗する >経済も政府の統制下にある政治形態を維持する以上は、社会主義が独裁になるのは必然 よく考えられていますね。勉強になりました。 ありがとうございます。

  • nidonen
  • ベストアンサー率55% (3658/6607)
回答No.5

 これはよくある命題なのですが、そもそも「 資本主義 」という 言葉の定義がおかしいというのが根本的な問題です。一部の経済学 者が提唱しているように、本来は「 資本制 」なのであって、資本 主義という“主義主張”は存在しないのです。  これに対し、社会主義は主義そのものです。なぜなら社会主義は 資本制度のみならず、政治や司法のあり方をはじめとする国家制度 の形までを定義している点で、社会思想の具現化だからです。  そう考えると、資本主義の対義語として社会主義をもってくる のはまったくのナンセンスで、社会主義の対抗概念は自由主義です。 また、資本主義の対義語は統制経済制度ということになります。  ですので、資本主義社会が理想的かどうかではなく、「 理想的な 資本主義はどんな形態か? 」という命題が、問われるべきでしょう。 そう考えると、現在の資本主義が完璧ではないからこそ、毎日のよ うになんらかの修正が加えられます。現在の資本主義は「 修正資本 主義 」とされますが、それはある意味当然の帰結なのです。  なお、社会主義はあくまで机上の空論に過ぎず、歴史的にも本当の 社会主義は成立していません。いわゆる社会主義国は、社会主義を振 りかざした独裁国家です。中国は社会主義( 独裁国家 )でありながら、 資本制度を導入しています。というか、鎖国をしない限り資本主義に 組み込まれないわけにはいかず、そういう意味では北朝鮮などごく一 部の例外を除き、すべての国はなんらかの形で資本主義と言えます。 > 社会のさらなる理想的なある姿は、思いつきますでしょうか?  非常に難しい問題です。資本制度のみならず、宗教や国民性にすら 依存する問題だからです。欧米のいわゆる「 リベラル 」な人たちは 同性婚を認めるのが理想的だと主張しています。しかし、宗教や習慣 によっては、同性婚は悪魔の所業に等しい許されないものと主張する 人もいるでしょう。どちらが正しいのかは、どちらの立場に立つかで 変わってくるのです。  なお、同性婚は社会制度の問題ですので、本来は資本主義国でのみ 同性婚が受け入れられているという現実は、制度上は説明がつきません。 これも、資本主義国=自由主義国という先ほどの前提を元に考えれば 納得することができます。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。nidonenさん。 >本来は「 資本制 」 >社会主義は主義そのもの あ。そのほうが、言い得ていますよね。勉強になります。 >社会主義の対抗概念は自由主義です。また、資本主義の対義語は統制経済制度ということ 統制経済制度とは、もう少し噛み砕くとどんな説明になりますか? >社会主義はあくまで机上の空論に過ぎず なるほど。社会主義国は、独裁国家となってしまいがちなのは、何が起因して、さらにどういう経緯でそうなってしまいがちだとお考えですか? >宗教や国民性にすら依存する問題だからです。 なにをもって、幸福と、信頼、の基本と感じえるか。また、絶対に欠かせない、命にかかわってくる事で、優先しなくてはならない事は何か。日々そのために、ふだんの日は、みんな、仕事ができたらいいなあって思います。欠くことのできない事柄、人の存在の実質を一人残さず満たした状態を無期限に継続維持して、社会保障、社会信頼の実存のなか暮らし、そして息絶えられるために。 ありがとうございます。

  • rikukoro2
  • ベストアンサー率21% (1316/6196)
回答No.4

究極の理想は『社会主義』だと思います。  ただ、この場合、社会を構成する人間が、『人間の欲』を理性で制御できる人に限るという前提条件が成り立ちます。  『人間の欲』を社会システムに活用できる点において資本主義は非常に有効なシステムです。  よく言われるのは 『資本主義は人間にとって最も愚かしい社会システムである。しかし、これ以上の社会システムを人間は有すことが出来ない』  この言葉に尽きるのではないでしょうか?

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。rikukoro2さん。 >究極の理想は『社会主義』 >社会を構成する人間が、『人間の欲』を理性で制御できる人に限るという前提条件 なるほど。そうですね。資本主義のなかで暮らすと、必要以上の物や、事柄など、見極めが不鮮明な意識の状態に陥っていながら、それが社会全体の普通に観える景観の中にあれもこれもそんな一線のうやむやな心の産物が、流行であったり、後から出来上がった常識めいた物であったり、必要以上の過飾であったり、随分必要の範囲を逸脱した思考の現われが、観えてきます。人は、周りに起こる事の中に問題を見つけ出す事は、目に見えることを鵜呑みに暮らすことよりも、気が付くのに時間がかかります。欲の制御という事は、そんな核に触れた、自分の心のメーターのモニタリングと取捨選択し余分なところは削ぎ落とした人間本来の輪郭をものにする姿ですね。 >資本主義は人間にとって最も愚かしい社会システムである。 なるほど。自分の必要や、欲望や、ご都合のために、人までを利用しようとしてしまう心を、誘導する事に法の歯止めが必要になってくる主義です。 むつかしいですね。ありがとうございます。

回答No.3

資本主義のメリット (1)市場を通じて、富が自動的に増大する (2) (1)によって民衆の生活の質が向上する デメリット (1)貧富の格差が自動的に調整されない (2)競争により、全体の富が減少することがある  例)環境汚染、スパイラルデフレ (3)非物質的な豊かさが増大するとは限らない  利便性・快適さ=幸せ とは限らない現代社会 私見 人間の本性(利己的)や社会の特性を考えると、資本主義がもっとも 優れた社会システムであり、資本主義に内在する非効率・デメリット を、公共政策によって解消することで、調和がはかられ、 全体の幸福が増すと思います。 それから、拡大再生産を前提にした資本主義は、自由主義と整合的ですから、 資本主義だけを切り離して考えるのではなく、自由主義も同時に考え、 自由主義のもたらす便益(私有財産制、人格形成による幸福)も 考慮に入れる必要があるでしょう。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。aip-lw1125さん。 >貧富の格差が自動的に調整されない これは、言い得ていますよね。社会全体としては、最終的に何を理想に掲げて、または目指して、邁進しているのかな、と考えてしまう一面を心の中に思います。 >競争により、全体の富が減少することがある そうですよね。個人内の目標が個々人の中に個々人の為になることに重点が置かれて、そこの範囲から出ることなく、日々生活されている方が多いですから。そうなってしまうのかなあとも思います。全体としてのこうあると幸せな姿に、何が必要不可欠で何がそうでなくてと考えて思考できたり行動できたり目標を定める事に心を使う人が少ない事は、問題だなあと思います。 >非物質的な豊かさが増大するとは限らない そうですよね。心の何処かに欠乏してる部分を人生の多くの時間で感じながらどうしようもできない事として生活してしまう多くの人の自分の心からの乖離を日常に感じてしまいますよね。 >調和がはかられ、全体の幸福が増すと思います。 どのようなもの、こと、が、幸福を感じられる条件だと思いますか? それを、社会に住む人々の心の中に明確の存在させつつ、共有共通の目標とし、意識的にその具現のために社会の目標を持たせること、はどのような方法で可能だと思いますか? ありがとうございます。

  • maxmixmax
  • ベストアンサー率10% (91/908)
回答No.2

どのような社会が理想の姿かというところから始めなければ、 話にならないと思いますね。 競争がない社会が理想なら社会主義もいいでしょうし、 実力次第で豊かにも貧しくもなる社会が理想なら資本主義もいいでしょうし。

corkwood
質問者

お礼

ありがとうございます。maxmixmaxさん。 >どのような社会が理想の姿かというところから始めなければ、話にならないと思います たしかに。そのとおりです。maxmixmaxさんは、どのような社会が理想の姿であると、思われますか? ありがとうございます。

  • ANASTASIAK
  • ベストアンサー率19% (658/3306)
回答No.1

社会主義が人間社会の究極の理想です。

corkwood
質問者

お礼

ANASTASIAKさん。ありがとうございます。 >社会主義が人間社会の究極の理想 なるほど。 まつりごとの秩序を監視する者の質が重要だと思います。 なにを重んじ、何を欠かさざるべきもの、ことと。人として、人としての質です。そう思います。 ありがとうございます。

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    世の中問題が蔓延してます。資本主義は資本家が 効率を追求します。その結果失業者が増え、世の中 が世知辛くなり犯罪が増え、残業が増え家族の 問題も起こります。 この問題を解決するのは社会主義じゃないでしょうか。 計画経済の下では原則的に失業者はありません。 無駄も減り環境にもやさしいです。犯罪も減り 定時に帰れるので家族のコミュニケーションも 図れます。亡くなった作家青木雄二氏も著書の 中で資本主義の次に来るものが社会主義と 書いてあります。 実際にはアメリカが絶対に許さないでしょうけど 実際社会主義だとうまくいくのでしょうか?

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    ある人に資本主義経済の究極のかたちは共産主義と言われましたが詳しくはどういったことなんでしょう? 高度な資本主義社会である日本の将来も共産主義になるのですか? だとしたらソ連はなぜ崩壊してしまったのですか?

  • 共産主義と、理想的高度資本主義とのどちらが現実的か?

    自由ということを、あらゆる趣味趣向の選択自由性ととらえて、そこに小さな心での争いの自由とかを含むのでなければ、 自由、平等、博愛の、豊かな経済世界を求めるのに、共産主義のほうが、もし教育があらゆる面で発展したならば、 単純明快に簡単だと思えますが、 ネックの一つは「教育があらゆる面で発展したならば」ということとなると思うのです。 一方、高度資本主義にても、競争による負け組みへの配慮が教育面にいたるまで充実していていれば、ボランティアであっても力ある組織はお金で実現できるのですから(お金だけでは実現できないですが)いろいろと最大限の「自由、平等、博愛」の実現自体は可能だと思います。 競争なしには技術改革にしても意欲の面で劣るというのは、よほどの教育の充実でみんなが松下幸之助のような精神にまでならなければ とかいったこともあるかと思います。(ここは手短に表現しすぎてますが) でも、不可能ではないです。 一方、個人的にお金持ちになりたい意識ならば、教育が進めばそれはふつうの高度資本主義社会でもお客さんは信用しなくなってゆくでしょうからやがては成り立たなくなっていくでしょうし、 たとえば、緑や風の美しさへの感性の教育がほんとに充実して可能となれば、落ち着ける庭は、この地球全体ともなる というふうにも表現できてしまうと思います。 (庭に価値が無くなるとかいうのではないです。) 個人的なお金儲けのためというのではなくて、そのぶん、消費者のみんなが楽しめ豊かに暮らせるための商品群を 総合的に考えて生み出してゆく総合的に動く会社が増えてゆくでしょうし、 その頂点に立つ会社は、それこそ社会のさまざまな問題を解決する力こそあれ、自分たちだけの繁栄とかの世界を超えていくと思うのです。  でも、両方に必要な教育が 肝心の感性の教育の進化と関わっている事を考えると、他の化学や学科の教育と較べて、いまだに何かがはっきりしません。 進化が遅れているとわたしにさへ推理できてしまうことが多いです。 アメリカンドリームは遅れた考え方だという考えがここにはすでに前提のようにして質問しています。 しかし、そのアメリカの経済の失速の因はぜんぜん別にあったりします。 この経済の現実を捉えるのは実際には難しいことですね。 共産主義の過去の失敗は、教育の未進化にありというのもこれも前提となってますが、世界的にも遅れてる感性の面での教育が特に問題点となっています。(近代演劇の発祥はロシアだったりしますが、近代演劇はまだ感性の本質の教育を可能にしてはいません。) 資本主義内に理想を求めるのは 複雑な過程を必要としそうです。 共産主義のほうが明快ではあるのです。  難しいです。 私は表現とか感性の世界を考えて生きてきた人間です。 いざその考えを人に伝えようとして経済的にいきずまった状態に陥ってしまったことから、経済についても考えるようになりました。  今のところ 資本主義の複雑な在り方をなかなか肯定できないでいます。 政治的にはかなり資本主義路線はもはや固まっていると思えますが、哲学がそこをクリアーすれば 見通しの世界も変わってくるでしょうから、こんどこそしっかりした共産主義というあり方も まだ不可能とは言えません。   哲学が「自由、平等、博愛」の精神を諦めない限り、正しい道はさぐられてゆくべきかと思います。 この観点から共産主義と、理想的高度資本主義のどちらが実現可能性において現実的だと思われますか? 

  • 資本主義、社会主義の入門書

     政治や社会問題に興味があるのですが、そういった類のことを考える上で、資本主義というものが一体なにであるのか、ということをしっかり知る必要があると思い、関連の書籍を読もうと考えているのですが、いずれの本が入門書として適切か分からないので、教えて頂けないでしょうか?  尚、アマゾンで調べて興味を持ったのは今井克人氏の『二十一世紀の資本主義論』です。  併せて社会主義に関する入門書も紹介して頂ければ有難いです。