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『こころ』の「上五」2

fuyumereiの回答

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  • fuyumerei
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回答No.3

1-1 「向うの方で凸凹(でこぼこ)の地面をならして新墓地を作っている男が、鍬(くわ)の手を休めて私たちを見ていた。」というのは単に余韻を出したいための記述じゃないかなと感じました。したがって「そこ」は今自分たちがいる場所で、大きな銀杏の下のことだと思います。 1-2 今でも使うし通じます。曲がることによって直線が途切れる様を表したのかな。。 道の以外では、野球のピッチャーの投げた球がよく曲がるときなんかに「切れる」と言います。 ゴルフでも、弾道が曲がる様を切れると言います。 2 「口を利く」はその行為自体に視点があります。喧嘩中の夫婦で旦那さんが友人に「うちのカミさん俺が話しかけても、口利いてくれないんだよ」なんて感じ。 一方、「言う」は中身に視点があります。「俺が話しかけても、何も言ってくれないんだよ」です。「何も」を省いちゃいけないよってことです。

awayuki_ch
質問者

お礼

 けさ早くにもかかわらず、ご回答ありがとうございます。野球はよくわからないんですが、少なくともルールを習うべきだと思っています。NHKの野球に関するニュースはまだよく聞き取れません。ゴルフという貴族のスポーツもぜんぜんわかりません。勉強になりました。「口を利く」と「言う」の感覚の違いはよくわかりました。大変参考になりました。本当にありがとうございました。

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