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『こころ』の「上五」1

hakobuluの回答

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  • hakobulu
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回答No.3

1.するとその端(はず)れに見える茶店(ちゃみせ)の中から先生らしい人がふいと出て来た。私はその人の眼鏡(めがね)の縁(ふち)が日に光るまで近く寄って行った。そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。 (1)「出し抜く」という他動詞もあって、これは、「他人が気付かないうちに自分だけ何かをする」という意味です。 「出し抜けに」には本来このようなニュアンスが込められていると言って良いでしょう。 #2さんのおっしゃるとおり、相手がいないのに出し抜くという表現は使いません。 a.{先生らしい人がふいと出て来た}は、単なる状況の描写です。 『先生らしい人が出し抜けに出て来た』という文に変えることも可能です。 この場合は、そのことによって「私」が驚かされたというニュアンスも同時に強調されることになりますが、漱石は、それをくどい表現と(無意識的に)考えたので採用しなかったのでしょう。 b.{そうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。}は、その声で先生が驚いた様子(あるいは先生を驚かせる意図)も同時に表現しています。 『そうしてふいに「先生」と大きな声を掛けた。』という文に変えることもできるでしょう。 この場合も、急に声を掛けられて先生が驚いた様子は窺えますが、「私」が急に声を掛けた、ということのほうに重点を置いた表現と言えます。 (2)「眼鏡(めがね)の縁(ふち)が日に光るまで」の意味は難しいので、全くの推測でお答えします。 上五の初めのほうに「両方に楓(かえで)を植え付けた広い道を奥の方へ進んで行った。」という文があります。 広い道とはいっても、楓はそこそこの樹高もありますし葉も繁っていたでしょう。 薄暗い道と考えて良いと思われます。 物が光って見えるのは反射角も関係すると思いますが、日光が眼鏡の縁に当たって「私」の目に反射する確率が、そのような場所では低いのではないでしょうか。 つまり、よほど側に行かなければ縁に反射する光を認識することが難しいということでしょう。 また、当時の眼鏡の縁は非常に細いものだったはずです。(今でも細いものはありますが) 単純に、近くに寄らなければ眼鏡の縁が判別できないような薄暗い道だった、という解釈もできると思います。 2.先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中(うち)には判然(はっきり)いえないような一種の曇りがあった。 (1)「声は沈む」には「声は低い」という意味も含まれます。 ただ、それだけではありません。 力の無い、苦しさや悲しみを押さえているような声、というニュアンスを持ちます。 その苦しさや悲しみが重すぎるので声までもが沈んでいるわけです。 悲しさや辛さで押しつぶされそうになっている気持ちを反映している声、といっても良いでしょう。 「悲しみに沈む」という表現もありますね。 (2)「態度は落ち付いていた」と「声は沈んでいた」はセットになっています。 「落ち着いていた」「沈んでいた」は、いずれも「静」の感情と言えます。 しかし、「表情の中(うち)には判然(はっきり)いえないような一種の曇りがあった」 というのは「動」の感情を表わしています。 具体的には「私」に対する疑いの気持ちです。 他人を疑う時の気持ちには後ろめたさが伴ないますから、それが表情にも出るということでしょう。 「私の後(あと)を跟(つ)けて来たのですか。どうして……」 の「・・・ ・・・」の部分でその疑いの感情を表わしています。 「誰(だれ)の墓へ参りに行ったか、妻(さい)がその人の名をいいましたか」という文が出てきますね。 疑いの内訳は、『「私」が先生の奥さんから「誰(だれ)の墓へ参りに行ったか」聞いているのではないか』ということです。 本質的には、『「なぜその人の墓参りをするのか」という理由も「私」が知っているのではないか』という疑いです。 「いいえ、そんな事は何もおっしゃいません」という答えを聞いて、 「先生はようやく得心(とくしん)したらしい様子であった。」という文につながるわけです。 なぜ先生は、「誰(だれ)の墓へ参りに行ったのか」ということをそれほど知られたくなかったのか、ということになりますが、この時点でそれを知ると読む楽しみが半減してしまいます。 漱石が読者に伝えたかったことは、 「>しかし私にはその意味がまるで解(わか)らなかった。」 という「私」の感覚です。 後の展開につながる布石とも言えるテクニックと言えるでしょう。 ここは素直にそのテクニックに乗せられておく場面です。  

awayuki_ch
質問者

お礼

 いつもお世話になります。ご回答ありがとうございます。他動詞の「出し抜く」で解決する方法を覚えておきます。「ふいと」と「出し抜けに」を文に入れニュアンスをそれぞれ分析していただき助かりました。「眼鏡(めがね)の縁(ふち)のご解説に納得できました。「声は沈む」の感覚もよくわかりました。「一種の曇りがあった」とは疑う気持ちなんですね。それが知らなかったのです。推理小説のようで、読みたくなる気持ちになりました。本当にありがとうございました。大変参考になりました。

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