• ベストアンサー

『こころ』の「上五」1

fuyumereiの回答

  • fuyumerei
  • ベストアンサー率22% (28/123)
回答No.2

1-1難しい。。自分の中でもまとまりません。しかし、文中交換すると文意が変わっちゃうと思います。以下読んでもイマイチ根拠がわかってもらえないでしょうが、参考までに書いてみます。 「出し抜け」は行為の受け手にとって突然なんです。先生にとって「出し抜け」なんです。行為の主体にとっては突然じゃない場合に使うもんだと思います。相手を認識して初めて使われるので、発話者の意識下が一人ぼっち(発話者自分だけしか意識化にない)のときには使いません。 「ふいと」は行為の主体にとっても無意識的ですから、行為の主体、受け手どちらにとって突然かは問われないでしょう。そして、発話者の意識下が一人ぼっちのときに使います。 何言ってんだか自分でもよくわかりません。。 ○ふいと思い出した。 ×出し抜けに思い出した。 1-2 どんな状況かわかりません。私の語彙不足かもしれません。 近寄ったら、たまたま先生の眼鏡の縁が日に光ったことしかわかりません。だって遠くでも眼鏡の縁が日に光るっことありますもんね? 2-1 「沈む」は気持ちが暗くなるとか落ち込むとかいう感じですよね。高いとか低いとかに関わらず、そんな感じの声だったという話です。 2-2 ここでの先生の態度の理由は最後まで読めばわかりますよ。私がお答えするのは遠慮します。 これらの描写で筆者が読者に伝えたかったのは、No.1さんの回答のようなことを「文中の私」が思ったということです。言い換えれば、 なぜ「先生の態度はむしろ落ち付いていた。声はむしろ沈んでいた。けれどもその表情の中(うち)には判然(はっきり)いえないような一種の曇りがあった。」のか「文中の私」自身がわかっていない ということを伝えたかったのでしょう。

awayuki_ch
質問者

お礼

 お久しぶりです。ご回答ありがとうございます。1(1)はとても理解しやすいと思いました。1(2)は先生が暗いところ(つまり日に当たっていないところ)から明るいところ(つまり日に当たったところ)までの一種の移動だと考えました。実は私もよく理解できません。先生の態度の理由はわからなくてもいいんです。私はいま「一種の曇りがあった」とはどんな感情を表すのかよくわかりません。いろいろ参考になりました。本当にありがとうございました。

関連するQ&A

  • 『こころ』の「上十三」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上十三」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。次は参考ページです。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.「私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」 「黒い長い髪で縛られた時の心持」とはいったいどんな心持なのでしょうか。 2.「先生、罪悪という意味をもっと判然(はっきり)いって聞かして下さい。それでなければこの問題をここで切り上げて下さい。私自身に罪悪という意味が判然解るまで」 「私自身に罪悪という意味が判然解るまで」はどうも文としてはまだ終わっていないような気がします。その後ろに省略される意味を教えていただけませんか。  また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 『こころ』の「上十五」1

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上十五」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。結末部分はまだ読んでいないので解答の際には触れないでください。次は参考ページです。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.先生は奥さんに対しても始終こういう態度に出るのだろうか。 「態度に出る」はフレーズでしょうか。「態度をとる」に変えたら、ニュアンスは変わるのでしょうか。 2.それから奥さんは私に会うたびに尋常であったから。 ここの「尋常」はどういう意味でしょうか。 3.火に焼けて冷却し切った石造(せきぞう)家屋の輪廓(りんかく)とは違っていた。 (1)「火に焼ける」はどういう意味でしょうか。その中の「に」の役割は何でしょうか。 (2)「火に焼けて冷却し切った石造(せきぞう)家屋の輪廓(りんかく)」とはどんなことなのか想像できません。また、なぜ先生の覚悟はその場面と違うのでしょうか。 4.私の眼に映ずる先生はたしかに思想家であった。 「眼に映ずる」の「映ずる」は現在でも使われるのでしょうか。「眼に映ずる」は「眼に映る」と比べて、より文学的な表現になるのでしょうか。 5.これは私の胸で推測するがものはない。 上の文はよく理解できません。「がものはない」はどういう意味でしょうか。    また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 『こころ』の「上三」1

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上三」の中で理解できないところがあるので、教えていただけないでしょうか。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.すると着物の下に置いてあった眼鏡が板の隙間(すきま)から下へ落ちた。 (1)浴衣の話をしているのに、なぜ急に「着物」が出たのでしょうか。 (2)「板の隙間」はどんなもののどこを指すのでしょうか。 2.先生は白絣(しろがすり)の上へ兵児帯(へこおび)を締めてから、眼鏡の失(な)くなったのに気が付いたと見えて、急にそこいらを探し始めた。 (1)「そこいら」は眼鏡を指すのでしょうか。それとも場所を指すのでしょうか。 (2)「そこいら」は現代日本語でも使う単語でしょうか。 3.二丁(ちょう)ほど沖へ出ると、先生は後ろを振り返って私に話し掛けた。 「丁」は長さの単位でしょうか。 4.先生はまたぱたりと手足の運動を已(や)めて仰向けになったまま浪(なみ)の上に寝た。 なぜ「また」を使うのでしょうか。初めての動作ではないでしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、ご指摘いただければ幸いです。よろしくお願いいたします。

  • 『こころ』の「上三」2

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上三」の中で理解できないところがあるので、教えていただけないでしょうか。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.考えのない私はこういう問いに答えるだけの用意を頭の中に蓄えていなかった。 「考えのない」はここでどういう意味でしょうか。 2.そこに住んでいる人の先生の家族でない事も解(わか)った。 この文はおかしいでしょうか。「人」と「先生」の間に「の」ではなく、「が」か「は」を使う必要があるような気がします。 3.先生は彼の風変りのところや、もう鎌倉(かまくら)にいない事や、色々の話をした末、日本人にさえあまり交際(つきあい)をもたないのに、そういう外国人と近付(ちかづ)きになったのは不思議だといったりした。 「風変り」の読み方と文中での意味を教えてください。 4.そうして腹の中で先生の返事を予期してかかった。 ここの「かかる」はどういう意味でしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、教えていただければ嬉しく思います。よろしくお願いいたします。

  • 『こころ』の「上七」2

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上七」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.先生と同郷の学生などには時たま座敷で同座する場合もあったが、彼らのいずれもは皆(みん)な私ほど先生に親しみをもっていないように見受けられた。 「座敷で同座する」とはどんなことを指すのでしょうか。 2.「そりゃまたなぜです」 「そりゃ」はどの文を指すのでしょうか。 3.この問答は私にとってすこぶる不得要領(ふとくようりょう)のものであったが、私はその時底(そこ)まで押さずに帰ってしまった。しかもそれから四日と経(た)たないうちにまた先生を訪問した。 (1)「底まで押さず」とはどんな感情でしょうか。 (2)「しかも」を「そして」に替えたら、ニュアンスは微妙に違うでしょうか。 4.先生は座敷へ出るや否(いな)や笑い出した。 「座敷へ出る」はどういう意味でしょうか。 5.「私は淋しくっても年を取っているから、動かずにいられるが、若いあなたはそうは行かないのでしょう。動けるだけ動きたいのでしょう。動いて何かに打(ぶ)つかりたいのでしょう……」 先生のこの話はどういう意味でしょうか。  また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 『こころ』の「上六」2

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上六」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.私が始めてその曇りを先生の眉間(みけん)に認めたのは、雑司ヶ谷(ぞうしがや)の墓地で、不意に先生を呼び掛けた時であった。 (1)ここの「認める」は次の何番目の解釈にあたるのでしょうか。現代でも使われるのでしょうか。答えは「はい」だったら、口語の用例をいただけませんか。 http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C7%A7%A4%E1%A4%EB&kind=jn&mode=0&base=1&row=1 (2)「先生を呼び掛けた」は間違っていませんか。「先生に呼びかけた」が正しいような気がします。 2.ゆくりなくまたそれを思い出させられたのは、小春(こはる)の尽きるに間(ま)のない或(あ)る晩の事であった。  「尽きるに」の「に」はどういう役割でしょうか。 3.勘定してみると、先生が毎月例(まいげつれい)として墓参に行く日が、それからちょうど三日目に当っていた。 (1)「勘定」のこのような使い方は初めてです。現代でも使われるのでしょうか。使われるのならば、口語の用例をいただけませんか。 (2)「墓参(ぼさん)」という言い方は現代でも使われるのでしょうか。 (3)「それからちょうど三日目に当っていた」はどういう意味でしょうか。「それから」の「それ」は何を指すのでしょうか。「先生が毎月例(まいげつれい)として墓参に行く日」がよくわかりません。毎月の三日という日でしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、ご指摘いただければ嬉しく思います。よろしくお願いいたします。

  • 『こころ』の「上十四」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上十四」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。次は参考ページです。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.とどの詰まりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々よりもただ独(ひと)りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。 (1)「とどの詰まりをいえば」はどういう意味でしょうか。「とどの詰まり」という表現は現在でも使われるのでしょうか。 (2)「ただ独(ひと)りを守って」の「独り」とは「奥さん」のことでしょうか。それとも「私」のことなのでしょうか。 2.先生は二度目に「何だい」といった。 「何だい」は男性言葉ですか。どういう意味でしょうか。現在でも使われるのでしょうか。 3.「そうして自分が欺(あざむ)かれた返報に、残酷な復讐(ふくしゅう)をするようになるものだから」 「返報に」の「返報」と「に」はそれぞれどういう意味なのか、教えていただけませんか。  また、質問文に不自然なところがありましたら、ご指摘いただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

  • 「こころ」の「上二十六」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の「こころ」の中国語版を読み終えました。いま日本語版を読んでいるところです。「上二十六」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。原文が載っているサイトは次の通りです。ご参考になさってください。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1、実際その時の私は、自分のなすべきすべての仕事がすでに結了(けつりょう)して、これから先は威張って遊んでいても構わないような晴やかな心持でいた。  ここの「威張る」はどういう意味でしょうか。 2、それでもその日私の気力は、因循(いんじゅん)らしく見える先生の態度に逆襲を試みるほどに生々(いきいき)していた。  「因循(いんじゅん)らしく見える先生の態度」はどういうことでしょうか。 3、やがて若葉に鎖(と)ざされたように蓊欝(こんもり)した小高い一構(ひとかま)えの下に細い路(みち)が開(ひら)けた。  「一構(ひとかま)え」という言葉は現代でも使われるのでしょうか。 4、植込(うえこみ)の中を一(ひと)うねりして奥へ上(のぼ)ると左側に家(うち)があった。  「一(ひと)うねりして」はどういう意味でしょうか。 5、 (1)芍薬(しゃくやく)も十坪(とつぼ)あまり一面に植え付けられていたが、まだ季節が来ないので花を着けているのは一本もなかった。 (2)同じ楓(かえで)の樹(き)でも同じ色を枝に着けているものは一つもなかった。  この二つの「着ける」はどういう意味でしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願い致します。

  • 『こころ』の「上十七」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の『こころ』を読んでいます。「上十七」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。結末部分はまだ読んでいないのでご回答の際には触れないでください。次は参考ページです。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1.「真面目くさって聞くがものはない。分り切ってるとおっしゃるんですか」 「真面目くさって聞くがものはない」はどういう意味でしょうか。特に、「がものはない」の箇所がわかりません。 2.奥さんの嫌われているという意味がやっと私に呑(の)み込めた。 「私に呑(の)み込めた」の中の「に」の役割は何でしょうか。その「に」の使い方がわからないので、「私に呑(の)み込めた」の意味もよく理解できません。  また、質問文に不自然な表現があれば、ご指摘いただきたいと思います。よろしくお願いいたします。

  • 「こころ」の「上二十七」

     日本語を勉強中の中国人です。夏目漱石の「こころ」の中国語版を読み終えました。いま日本語版を読んでいるところです。「上二十七」の中に理解できないところがありますので、お伺いしたいと思います。原文が載っているサイトは次の通りです。ご参考になさってください。 http://www.aozora.gr.jp/cards/000148/files/773_14560.html 1、要するに先生の暮しは贅沢(ぜいたく)といえないまでも、あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった。  「あたじけなく切り詰めた無弾力性のものではなかった」はどういう意味でしょうか。 2、「何ともいって来ませんが、もう好(い)いんでしょう」  「いって来る」の「来る」はどういう意味でしょうか。  また、質問文に不自然な表現がありましたら、それも教えていただければ幸いです。よろしくお願い致します。