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古文の活用

お忙しいところご覧いただきありがとうございます。 『六十にあまる年、珍らかなる物を見給へつる。』 は、なぜ文末が完了の助動詞『つ』の連体形になっているのでしょうか? 因みに現代語訳は『六十過ぎになって、珍しいものを見せていただきました。』 です。 よろしくお願い致します。

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  • puni2
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回答No.2

はい,いわゆる「連体止め」という形で,余韻を込めた言い方と考えられます。 よく文法の本に出てくる有名な例ですと,「雀の子を犬君(いぬき)が逃がしつる。」という源氏物語の文があります。 無理やり連体形の続きを補うと,「逃がしつることなり。」現代語なら「逃がしてしまったのです」ぐらいかな。 この連体止めがあまりにも多く使われるようになって,後には終止形と連体形が同じ形になったらしいです。

nachi_na
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回答No.1

余情を込めてあるのではないでしょうか? 現代でも,文章を終止させずに余情を込めることはありますよね。 浅学ゆえ,違ったらすみません^^;

nachi_na
質問者

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