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宗教は善か悪か

そもそも宗教とはなぜ存在するのでしょう?宗教が無くも絶対に困らないと思っています。 宗教によって幸せになった人が1000万人いても宗教によって不幸になった人が1人でもいたら、死んだ人が1人でもいたら それはあっても良いと言えるのでしょうか?現実に宗教戦争等で数え切れない程人が死んでいます。 神とは全て人が創った作り物です。それでも信じたければ家で一人で拝んでいれば良いのです。 宗教はと言うより宗教団体は自分では悪だと思いますが皆様はどうお考えでしょうか?

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  • weiss09
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回答No.4

あなたの主張では、宗教が人を「死なせる」ことを悪だと考えていますが、そういった思考が既に宗教由来のものだと言えます。 本当の宗教の無い状態では、人の生き死に、救済や殺人ですら、善悪を規定することはできません。それは単なる「現象」なんです。 そこに倫理の根底を形作る宗教が存在して、はじめて人の生き死にに善悪を与えることができます。 つまり、完全な無宗教は「殺人に対する許容」すらもその視界にとらえています。 例えば私たちは、道ばたのカエルや魚を殺しても、非難は受けません(場合によっては受けますが)。しかし、犬や猫を殺せば、糾弾され、法で裁かれすらします。 これら生き物の違いはどこから生じたのでしょうか? そう心の底にすり込まれているからです。これが「宗教」です。 仮に宗教が無くなったら……性善か、性悪か。人の持つ「本能」に沿って、助け合いが起きるか、殺し合いが起きるか。それは誰にも分かりません。 ただ一つ言えることは、新しい「宗教」が生まれるだろう、ということですね。 こういう私の主張も、ある種の「宗教」です(笑)

BigBoin
質問者

お礼

ご回答有難う御座います。 なんだかわかってきました。「自分が他人を死なせる事が悪だと思うのはそれが悪だという宗教に影響されているからである」 宗教が無ければ善悪は無く自分自身が判断し、正しいものが善である。それでは社会が成立しないので宗教は存在し、必要である。 あってます?間違ってます?

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  • Mumyou
  • ベストアンサー率18% (11/58)
回答No.6

>その自分教を人間力で昇華させ、現在の幾つかの >宗教になっているとしても元来の姿は今は失われ >戦争というパッチを当てられ幾度となくバージョン >アップされてしまっている所が問題です。 >本当の幸せを願っていたはずですよね最初はきっと・・・ 今の宗教戦争が宗教の教義の違いだけで起きているとお思いですか? 末端の人間は自己存在をかけて戦いに挑んではいるでしょう。 しかし、例えばイスラム原理主義系の上層部は兵器の仲介屋と 組んで武器消費の場を提供しており、取引されているのはお金です。 一部の上層部は神でなく、紙(金)を信じている訳です。 それを得るための利権や保身のために、教義といった大義名分を かかげ、戦争というパッチを当て、末端に戦わせているのです。 一人ひとりが宗教をするための集まりではなく、組織のための鎹として 宗教が利用されてしまっているわけです。ですから問題は組織です。 では、何故教義を大義名分に掲げるだけで多くの人が戦いに身を投じるのか? 組織は復讐心の利用と部分的教義による宗教的盲目化を利用しているからです。 これに対しは、現地の宗教家達が間違った教義理解を是正する活動を行っています。 よって、これの悪循環から脱するには、真に宗教を理解し実践することです。 すなわち“本当の幸せを願い、例え自身一人の身体的および精神的リソースが 磨り減ろうとも、1000万人の命が保たれ、自由に成長し、命が続いていることを 最大の喜びとする。”“その為にも、自らの分と言う認識範囲を大きく広げて これまでの全てとこれからの全てに対し忘恩、愚弄せず、すべての結晶である 自身が強く成長する”ことを目指すのです。 (私の中では悟性による父性&母性本能の同時開放としています。勝手に。) この“WinWin”の関係に不惜身命することで、文化、文明、自然環境、教育、行政 といったシステム破壊をする戦争を停止し、報恩感謝を基礎とした宗教によって 人間の精神構造と肉体構造のポテンシャルを、生命根本の視座にのっとり開放する あらゆる環境システムが構築するでしょう。 ですから、結論として極力多くの人が宗教、哲学、倫理学、心理学、生態学 人間工学…etcを学習し、各人がクリエイティブなデザインを能動的にする事で 現行のシステム上の誤魔化しを見逃さず、バグフィクスと最適化、拡張化が進む という考えです。 ネカフェからなので、これで失礼します。穴はありますが、容赦ください。

BigBoin
質問者

お礼

>今の宗教戦争が宗教の教義の違いだけで起きているとお思いですか? もちろんそれだけとは思っておりません。ひとつの要因であるとは思いますが。 ご自分でしっかりとした考えがおありでうらやましいです。 >ネカフェからなので、これで失礼します。 貴重なお時間でご回答下さりありがとうございます。

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  • cse_ri2
  • ベストアンサー率25% (830/3287)
回答No.5

>宗教によって幸せになった人が1000万人いても宗教によって不幸になった >人が1人でもいたら、死んだ人が1人でもいたらそれはあっても良いと言える >のでしょうか? あなたの論理を逆手にとると、宗教をなくした結果、不幸にならずに済んだ人が一人いたとしても、宗教をなくして幸せを失った人が1000万人出たときに、それでよいのかどうかということを考えなくてはいけません。 多くの人の幸福のために少数の人の不幸を招くのは憂えるべきことかもしれませんが、少数の人のために多数の人の幸福を奪うのは、憂えるどころか悲劇にしかならないでしょう。 このことについて、質問者の方の見解を聞きたいものです。

BigBoin
質問者

お礼

有難うございます、補足させて頂きます。 宗教によって幸せになった人は宗教が無ければそのままです。別に考える余地はありません。 なぜならそこで得た幸せは作り物に過ぎず、現実から逃避している可能性が高いと考えるからです。 不幸になるべくしてなった者と不幸にならなくてもよい者が不幸になった・・・の差です。 しかしそう考えるのも最近のエセ宗教の影響かもしれません。 だいたい人を不幸にした分だけ自分が幸せになろう的なエセ宗教が多いですよね・・・ やっぱり宗教云々ではなく宗教団体が問題なんでしょうか。

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noname#62235
noname#62235
回答No.3

#1です。 >しかしこのルールは人が作り、神を利用したに過ぎない事を理解していない人が問題なのです。 おっしゃるとおりです。 ですが、宗教というのはあくまで「自分への挑戦」なので、 教義を逆手にとって悪いことをすることもできます。 悪いことをしても罰する人間はいません。 というか、罰するのは自分自身です。 そういう「自分自身を罰する心」を持つための宗教ですから。 だから「懺悔」というものがあります。 宗教に帰依している人間でも間違いを犯す、ということをキリストも仏陀も知っていましたし、認めていました。 間違いを犯すことそのものを、神は罰しません。 間違いを犯した後それを反省しないことを、神は罰するのです。 (ただしこれは「地獄に落ちる」などの観念的なもの以上にはなりえない。だからあくまでルールを守るか否かは個人の裁量に任される)。 法律というものは、本来100人100様の宗教観を相対化し、矮小化したものです。ですので、法律だけですべての悪は裁けません。 この司法が基づくのも、あくまで「宗教を相対化した法律」という宗教のミニチュア版です。 宗教がなければ、善も悪もなく、 懺悔もなく、 罰もない、 殺伐とした社会しかありえません。 したがって、宗教を否定するのは間違いです。 罰せられるべきは「宗教を利用し己の益をなそうとしたその人の心」です。 ただし、それを罰せられるのは「その人自身の心」だけです。

BigBoin
質問者

お礼

再びご意見有難う御座います 難しかったですがdaibutsuyo様のお考えはわかりました。 宗教があったからこそ法律があるのは順番的にもそう思いました。 もちろん宗教も法律も全く完璧ではありません。むしろ穴だらけの矛盾だらけです。 >罰せられるべきは「宗教を利用し己の益をなそうとしたその人の心」 仰る通りです。宗教を盾になんでも正当化する人間が悪であって宗教そのものは善でも悪でもないのかもしれません。

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  • Mumyou
  • ベストアンサー率18% (11/58)
回答No.2

宗教をしない人間はいませんよ。 皆絶対“自分教”を少なくとも 持っています。 それが我見に陥るかオープンソース化 して人類智へと昇華するかは自身の 人間力しだい。

BigBoin
質問者

お礼

ご回答有難う御座います。 自分教ですか、まあ少なくとも自分自身は信じてますからね。 その自分教を人間力で昇華させ、現在の幾つかの宗教になっているとしても元来の姿は今は失われ 戦争というパッチを当てられ幾度となくバージョンアップされてしまっている所が問題です。 本当の幸せを願っていたはずですよね最初はきっと・・・

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noname#62235
noname#62235
回答No.1

宗教は善でも悪でもなく、「善悪を規定するもの・ルール」です。 「善悪を規定しない」ものがあれば、それは宗教ではありません。 あなたが、ある宗教(もしくは宗徒による行為)を「悪」だと思ったのなら、それは「あなたの宗教ではその行為が悪と規定されている」からです。 あらゆる宗教の否定は、あなた自身の宗教も否定します。 また、自分自身の宗教のみ肯定し、他者の宗教をすべて否定するというのは、ファシズムです。たとえば、ナチスドイツによるユダヤ人の迫害は「ゲルマン民族至上主義」という「宗教」に沿ってなされた行為です。 仏教や儒教では、殺生が「悪」とされています。われわれ日本人は、仏教・儒教の善悪観を持っている人が多いので「殺人」=「悪」という認識(これはわれわれの持つ仏教・儒教のルールに基づく判断)を持ちやすいのですが、イスラム教などでは一定の条件化では殺人も正当化(=善)されます。 これは善とも悪ともいえず、宗教観すなわち善悪観の違いとしかいえないと思います。

BigBoin
質問者

お礼

ご回答有難う御座います。 要するに私は殺生は悪だという宗教の人間であるがゆえ殺生が許される宗教が悪だと思っている可能性がある まあ自分は自主的に宗教は入ってませんし何も信じてませんが上記可能性がある事も心に刻んでおきます。 そこで、宗教それぞれに殺生は善となる場合があるからしても良いと考える、してしまう宗教徒が許されるならば 神の名のもとに盗みもレイプも正当化できてしまう宗教観という概念そのものが悪だと考えました。 「善悪を規定するもの・ルール」これは大賛成です。ルールに従わせる為神を利用した人間は利口だと思います。 しかしこのルールは人が作り、神を利用したに過ぎない事を理解していない人が問題なのです。

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