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重信房子をどう思っているか?

yushimadiodeの回答

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回答No.2

 失礼ながらNo.1のElvisさんは「日本赤軍」と「赤軍派」と「連合赤軍」を混同されています。  もともと共産主義者同盟(共産同 この組織については語ることが多過ぎるので省略)が二度、三度の分裂で多くの「~~派」を生み出す中、1969年に結成されたのが「共産同赤軍派」です。その中の一部が、朝鮮で日本革命の拠点づくりを、と1970年に「よど号」をハイジャックし平壌へ渡りました(『赤軍派』または『よど号赤軍派』)。  次に残りの一部が、パレスチナ支援を通じて革命の拠点づくりを、と中東に渡りました(『アラブ赤軍』のちに『日本赤軍』)。このグループの最高指導者が重信房子です。  一方、日本に残ったうちのさらに一部は1971年に他党派と合同し、国内の山岳にこもって武装活動の基盤をつくろうとしましたが、翌年「あさま山荘」で崩壊しました(『連合赤軍』)。  いずれにも属しなかったメンバーはいくつかの「赤軍派」に分裂し、さらに一部は名称や組織形態を変えて現在に至ります。しかしjuerykimさんが心配されるような活動は事実上おこなっていませんし、おこなえるような力もありません。  このうち「連合赤軍」のメンバー保釈に「日本赤軍」が行動したことが一度あります(1975年)が、基本的に三つの「赤軍」は別組織と考えた方がよいでしょう。 またこの三つの「赤軍」の中で実際に死者を出すような事態を引き起こしたのは「日本赤軍」と「連合赤軍」、特に日本人の生命を奪ったのは「連合赤軍」のみです。  赤軍の行動や思想について、現在の視点で考えるのは大変よいことです。しかしその前提として、正確な知識が必要だと思います。残念ながらそういうことが学べる本は(重信自身の著書も含めて)ほとんど手に入らなくなっているのですが、昨年出たものを一つだけ紹介しておきます; 「赤軍 RED ARMY 1969-2001」(河出書房新社 ISBN 4-309-97601-8 1143円) 「何も知らないあなたのための赤軍ガイド」という項目もあって、20歳の方にも読みやすいでしょう。 関連サイトでも、赤軍派を含む党派全般について情報を得ることができます。

参考URL:
http://marukyo.cosm.co.jp
juerykimu
質問者

お礼

 ありがとうございました。たいへん勉強になりました。  うっうう私も「赤軍派」「日本赤軍」「連合赤軍」を混同していました。 なぜ3つも言い方があるのかなぁとは思っていたのですが、どおりで!!3つとも違うんですね。  参考図書なども載せていただいて助かりました。古本屋かアマゾンネットで探してみますね。 

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