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一人称の主語

Sasabukiの回答

  • Sasabuki
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回答No.5

うーん。 実は、何を疑問にお思いになったか、ぐっと掴めないでいます。なんとなくの解釈ですので、的外れでしたらおゆるしください^^; 思ったことつらつらと、 日本語の「自然」な表現ってなんでしょう? 「人称」とか「主語」と言ったもの自体が、日本人が、外国語(西洋語)を学んだ過程で定着した考えと思います。外国語(英語?)を基準に、英語ではこうなのに、なぜに日本語ではこうじゃないの?っていう比較は、日本語が基準のわたしには抵抗があります^^;; 「通常、日本語では、特別強調する必要が無い限り、主語をわざわざ言いません。目的語もわざわざいいません。」 ↑コレ重要。 I love you. の自然な訳は「わたしはあなたを愛しています」ではないと思います。 映画の字幕を作る人になってみてください。俳優が"I love you. "と言ったときになんと字幕を入れますか? 普通の日本語の言い方では、「愛してるヨ」ではないでしょうか。(「好き」とかでもいいかもしれません^^) 「愛してるヨ」の中に、英語の"I"も"you"も含まれています。省かれているわけではありません。 日本語には、わざわざ言わなくてもわかってるはずのことを言うのは、失礼になるような気持ちが、伝統的にあるんだと思います。  このような背景から、くどくどと説明することは避けながらも、意思伝達の行き違いがないような表現が日本語の中に自然と発達してきたと思われます。  主語を明示しなくても、誤解されないように、誰がどういうことを言ったのかということがわかる表現のルールが発達しているのではないかということです。 敬語や男女の言葉の違いも、誰が誰のことを言っているのかをわかりやすくする機能があります。 それ以外に、 「寂しい」「食べたい」というような感情や欲求を表す述語は、当然に話し手(一人称)の感情や欲求として理解されるように、日本人の中に浸透しているわけです。 「寂しい」「食べたい」にわざわざ「わたしは」などとつけなくてもいいし、逆に「田中さんは寂しい」「田中さんは食べたい」というのは不自然です。  「田中さん」など、いわゆる三人称の述語として感情・欲求を言うときには、伝聞や類推のような形を取ることになります。逆に、伝聞や類推の形を取っている以上、自分自身のことではないだろうと察せられるわけです。 「わたしは、腹いっぱい食べたいだろう」なんて言われると不自然な感じがしますよね^^ このように、日本語では述語から、主体を常に類推しながら会話が進んでいるということがいえます。 ですから、その類推と食い違う表現をすると違和感があるということです。  「気を悪くする、気をよくする」は、丁寧な表現に聴こえることがポイントではないでしょうか。丁寧な表現であるから、自分のことには使わない類推が働くのです。  言うまでもないですが、表現にはいろいろな可能性がありますから、レトリックを工夫すれば、違和感なく使うことも可能と思います。  言語を比較するということは、文化を比較するということです。  言語のなんで?は、文化的背景の分析から回答することになります。    日本語って面白いでしょ?^-^

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