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「読まず嫌い」・・・名前を聞いただけで、「難解」と敬遠しそうな作家や思想家は?
rider-chonchonの回答
- rider-chonchon
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こんばんは。 断然、宮沢 賢治です。 小学校のとき、教科書に確か「クラムボン」がでてくる作品が載ってました。作品名は残念ながら忘れました…。擬態語と擬音語と比喩の合わさったような、彼自身の造語がさっぱり理解できませんでした。 セロ弾きのゴーシュも読みましたが、読み終えた後何故かしっくりきませんでした…
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はじめまして。 こちらのカテの方々に質問が御座います。 有名な言葉ですが、ニーチェは全ての囚われから解放できる唯一の方法が「意思」である、と説きます。 しかし、面白いのは更に話を進め、その意思さえもどうにも出来ないのが「過去(時間)」である、と説きます。 と、ここまでは論理的なのですが、ここらかが破綻し始めます(しているような気がします)。 何とニーチェは、このどうにもならない「現実(矛盾)」を克服する為に、何とその過去を「肯定」してしまうのです。 読んでいてびっくりしました; 個人的には、「それ以外に方法がないし(今のところ)、現実(運命)を受け入れるしかない」、とニーチェは言いたいのだと思いますが、どうも何かひっかかるものを私は感じました。 このあと、これを基にしていわゆる皆さん御存知の「超人思想」「永劫回帰」が出てくるんですが、私はこの時点でニーチェの言っている事は矛盾していて、破綻しているように思えるのです。 ひょっとして、ニーチェが発狂したのは、彼の思想が不完全(矛盾・破綻)しているからではないかと。 あるいは、この世界そのものが既に破綻していて、矛盾しているのかもしれませんが…。 しかし、現在を肯定的に捉える事はもちろん必要ですが、実は「否定する事」も必要なのでは? あくまでニーチェの書物は、他人の解釈によって完成するので、これは私の勝手な解釈かもしれませんが…。 皆さんのお考をお聞かせ下さい。 (あと、おすすめの解釈本がありましたら、ご紹介の程よろしくお願いします。※サイトでも構いません)
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教科書には必ず出てくる「宮沢賢治」。その印象からは難解とは感じない人も多いかもしれません。 ただ、文体もストーリーも結構平易なんですけど、確かにご回答のように「擬態語と擬音語と比喩の合わさったような、彼自身の造語」は、分りにくいですからね。 ありがとうございました!