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末法思想の根拠・起源は?

takeru123の回答

  • takeru123
  • ベストアンサー率20% (5/24)
回答No.24

 私は子供の頃、親が創価学会員で、日蓮正宗の教えを勉強させられました。  日蓮は正に質問者さまのご説明の通り、釈迦入滅後の2千年説を取り、1052年から末法に入ったと思っていたようです。そして、末法の世になって、正法がすたれたので、天変地異や飢饉が頻繁に起きたのだと、子供の頃から教えられました。  これは、昔は釈迦の入滅は紀元前948年と思われていて、そこから単純に正法1000年、像法1000年を足したら、1052年から末法になるからです。  しかし、ご存知の通り、現在は歴史的な研究が進んで、釈迦の没年は早くても、紀元前480年あたりだとされています。 釈迦 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6  これだと末法に入ったのは1520年で日本では戦国時代、日蓮の生きた鎌倉時代はまだ像法時代です。  私はこのことを中学時代に知り、学会員の方に質問しましたが、誰からもちゃんとした答えはいただけませんでした。(その他、大乗非仏説について質問しても、「そんなのあり得ない」で終わりでした。)  ちょっと、ずれた答えかも知れませんが、ご参考まで。

shooooo
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 学会員の中に、大乗非仏説を解さない人がいるのは薄々わかってましたが、あらためて確認できました。創価学会や大乗非仏説について私なりの考えはあるのですが、終わらない議論になってしまうので、この場では止めましょう。

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