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現代美術にみられる「ギャグ」的な要素

私の印象なのですが、現代美術にはそれまで見られなかった「笑い」の要素があるものがあります。またはその精神が市民権を持っているように見受けられます(たとえばパフォーマンス芸術なんてほとんどその要素ですよね) これはどういう歴史的社会的な流れの中で生まれてきたのでしょうか? たぶんに抽象的な表現で申し訳ありません。

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  • vescent
  • ベストアンサー率34% (21/61)
回答No.1

面白い質問を発見したので、個人的な見解ですが述べてみる事にします。 おそらく、質問に対する答えを詳しく調べているような人は、居ないか、極少数に限られるかと思います。 絵にしろ歌にしろ踊りにしろ、「表現」をする意味合いで何をどのように表現するかという話になった場合、私は「お笑い」も「大きく、大事な表現方法のひとつである」と考えられると思うのです。 「感動」という要素で言えば、それこそ【喜怒哀楽】といったあらゆる要素があるわけで。 そういった理論から、「人を楽しませる」事に重きを置いた人が、それを芸術の場で表現しようと試みているのも、私には何となくですが想像出来ます。 パフォーマンス芸術?といったものだとかは、全く知らないので恐縮しますが・・・前代未聞な事件が起こっている昨今の日本です。 「笑い」が重要な要素であると、考えている人も少なくないかと思います。 確か、心理学的にも「笑いの要素を持っている事は、心のゆとりに繋がる」風に言われているようです。(曖昧な記憶ですが)

noname#32495
質問者

お礼

そうですよね。昔は「笑い」は芸術分野で市民権を得ていなかったのではないでしょうか。現代美術になって、笑いの質にもいろいろあるのですが、なにか肩の力を抜く感じの笑いが出てきたようです。パフォーマンス芸術って言うのは、基本的にとっぴなことを街中でやるというパターンが多いのでしょうが、そういう「突飛さ」がすなわち強い印象と、笑いを兼ね備えていると思うんですよ。

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