• ベストアンサー

古文について

今日は! 外国人です。古文について質問させていただきます。 1.京に思ふ人なきにしもあらず。 2.高砂のをのへの桜咲きにけり外山のかすみ立たずもあらむ。 3.もと光る竹なむ一筋ありける。 4.水はその山に三ところぞ流れたる。 5.遣水より煙の立つこそをかしけれ。 上記の文の意味についていろいろ調べましたけれども、1番目だけなんとかわかるようになりました。それは都に恋しく思う人はいないわけではない という意味でしょうか。残った文はまだ存じません。お手数ですが、何方かご存知の方教えていただけないでしょうか。 よろしくお願い致します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.2

2 高砂(たかさご)の 尾(を)の上(へ)の桜(さくら) 咲(さ)きにけり 外山(とやま)の霞(かすみ) 立(た)たずもあらなむ 前中納言匡房(さきのちゅなごんまさふさ )の歌で、小倉百人一首の中に入っています。 意味は 高い山の峰の上にも、やっと桜が咲いたなあ。 人里近い山にたつ霞よ、春も終りの桜なのだからどうかかくさないでおくれ。 3 竹取物語の冒頭の一節です。 意味は 根元が光る竹が一本あった。 子供向けの童話として、「かぐや姫」として多数出版されています。 4 「更級日記」(菅原孝標女-すがわらのたかすえのむすめ)の一節 父に連れられて、関東から都にのぼる道中の様子を書いた場面です。 意味は 川はその山に三か所流れているのを見た。 5 「徒然草」(清少納言-せいしょうなごん)の第十九段の一節 四季それぞれのすばらしいところを述べています。 さて、冬枯れの景色こそ、秋にはをさをさ劣るまじけれ。 汀の草に紅葉の散りとどまりて、霜いと白うおける朝、遣水より煙の立つこそをかしけれ。 意味は 冬枯れの景色は秋に劣るものではない。 庭の池の水際の草の上に紅葉が散り留まっていて、その上に霜が真っ白に降りている朝 遣水から水蒸気が煙のようにたちのぼるさまは、なんとも風情がある。 意味は私がだいたいのところを書いているだけなので、解釈の細かいところが違っているかもしれません。 ご自身でもう一度調べてください。

someimei79
質問者

お礼

単語の読み方から、作者の名前、作品名までとっても詳しくご説明していただいて、本当にありがとうございます。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (2)

  • banzaiA
  • ベストアンサー率16% (100/595)
回答No.3

外国の方でしたか、存ぜぬこととはいえ、前(15日)の回答の節は失礼しました。 >2.高砂のをのへの桜咲きにけり外山のかすみ立たずもあらなむ これは和歌で、最後は「あらむ」ではなくて「あらなむ」です。 遠い峰のあたりに(高砂のをのへ)桜が咲いたなぁ。(けりは詠嘆です) 近くの低い山のあたりにその眺めをさえぎる霞が立たないでほしい(「なむ」は願望の助詞です) >3.もと光る竹なむ一筋ありける。 「なむ」は係助詞で、「なむ…ける」で係り結びです。強めの意味なので、 根元が光る竹が一本あった。 >4.水はその山に三ところぞ流れたる。 これも3とおなじく係り結びで、強め表現です。 川はその山に三箇所流れている。 >5.遣水より煙の立つこそをかしけれ。 これは、「こそ…をかしけれ」の係り結びです。「をかしけれ」は形容詞「をかし」の已然形です。 「遣水」は、寝殿造りの庭園(の池)に水を引き入れるための人口の小川です。 寒い季節(冬)の朝には、外気温が低いために小川等からの蒸気が白く見えたりします、それを「煙」と表現しています。「をかし」は風情がある。 冬の朝の景色かと思います。 #2の回答者さんの意味を参考にして下さい。 1,2は係り結びではありません。 3,4,5は係り結びです。 ただ結びの語が3,4は助動詞「けり」「たり」の連体形で、5は形容詞の已然形です。

someimei79
質問者

お礼

 失礼なんか全然ありませんよ。だって、とても詳しいことを教えてくださいましたよ。そのおかげで、ずっと悩んでいるその係り結びの問題も解決しました。  試験がもうずぐで、急いで聞きましので、とても分かりにくい質問文になりました。それなのに、いろいろご親切に教えていただいて本当にありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.1

2.高砂のをのへの桜咲きにけり外山のかすみ立たずもあらむ。 →高砂の尾の上の桜咲きにけり外山のかすみ立たずもあらむ。 「高砂(たかさご)」というのは、おめでたい場面にでてくる言葉と思ってください。しかし、ここでは「高砂」という名の山かもしれません。 「尾の上」というのは、「尾根の上」つまり山のてっぺんです。 「桜咲きにけり」はわかるでしょう。 「外山(とやま)」とは、その他の山々でいいと思います。 問題は「立たずもあらむ」だと思います。この言葉はそもそも願望の意味で、おめでたい高砂のてっぺんに桜が咲いたから、他の山はかすみ("もや"のことです)を立てないで欲しいなあ、という程度の意味でしょう。 3.もと光る竹なむ一筋ありける。 「もと」とは根元(ねもと)のこと。 「なむ」は単なる強めの意味ですが、ここでは「係り結び」の約束にしたがっていて、通常では「…ありけり」で終るところを、「…ありける」に活用させています。「なむ」に意味はありません。「一筋」は当時の竹の数え方です。「一本」と思えばいいでしょう。根元が光っている竹が一本あったと思ってください。これは有名な「かぐや姫」の一節です。 4.水はその山に三ところぞ流れたる。 「三ところ」が難解なのだとお察しします。 「三箇所」と翻訳してください。 「三ところ攻め」などは学ばなくてもいいです。(^^; 5.遣水より煙の立つこそをかしけれ。 「遣水(やりみず)」は庭の中に人工的に作った流れ(小川)のことです。 この文にも「係り結び」が使われていて、「こそ」が強めの意味になり、「をかしける」で終るはずの文句が「をかしけれ」に活用しています。已然形(いぜんけい)という活用形です。古文の「をかし」を外国人に理解してもらうのは難しく、「情緒がある、趣がある」という意味です。くだけた言葉でいえば「風情がある」でしょうか。 庭を流れる遣水から煙の立つのも風情があるものだ、くらいの意味でしょう。たぶん、季節は春の朝だと思います。川の水面から蒸気が立ち上っているのを見た経験はおありですか? 【古文の係り結び】 [係助詞]"ぞ","なむ","や","か" → 連体形で終る。 [係助詞]"こそ" → 已然形で終る。 学者を志すならまだしも、一般外国人には無理だろうなー。

someimei79
質問者

お礼

 koma1000ninさん、ご回答ありがとうございます。  古文は確かに難しいと思います。  でも、勉強すればするほど、だんだん面白くなって来たような気がします。それに、独学している私にとっては、質問が解決されたときの気持ちはとてもよかったです。だから、これからも頑張ろうと思っています。  何度も何度もご親切に教えていただいて、本当にありがとうございました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 古文について

    今日は! 古文について質問させていただきます。 1.「京に思ふ人なきにしもあらず。」と「高砂のをのへの桜咲きにけり  外山のかすみ立たずもあらむ。」について (1)「なき」と「咲き」はなぜ連体形でしょうか(ある参考書による)。  連用形ではないでしょうか。 (2)二つの文の意味はなんでしょうか。 2.係り結びについて (1)「もと光る竹なむ一筋ありける。」という文の係り結びはなぜ「なむ→ありける」ではなくて、「なむ→ける」でしょうか。 (2)「水はその山に三ところぞ流れたる。」の係り結びはなぜ「ぞ→流れたる」ではなくて、「ぞ→たる」でしょうか。 (3)「遣水より煙の立つこそをかしけれ。」の係り結びはなぜ「こそ→けれ」ではなくて、「こそ→をかしけれ」でしょうか。 (4)以上の三つの文の意味は何でしょうか。 よろしくお願い致します。

  • 古文がつまらない。勉強意欲がわかない。古文好きな人いますか?

    よく、理解できれば楽しいとか、言いますけど、現代語訳みても、おもしろくなくないですか? 現代文は普通に得意なのですが、古文の現代語訳は、?と感じる部分が多いです。え?つまり何がいいたいの?というふうに。 確かに、面白い文章や、綺麗な和歌、七五調の美しい響きなど、良い部分もあるのですが、たいていは文章として面白みがないものばかりです。とくに恋愛物、軍事物はもとから興味ないので、尚更おもしろくないです。 しょうがないといえばそれまでなんですが、できれば、古文を好きになる方法とかありませんか?また、古文が好きな人の意見をお聞きしたいです。

  • 古文

    こんにちは。近頃 古文を勉強し始めました。 下の文について質問があります。 むかし、さるひとのいへるは、人間、万時、師匠といふものなくて、かなはぬことなり。さりながら、根本の師匠をたづね、もとむべし。根本の師匠とは、我が心なり。ものをならはんと思ふが、すなはち、師匠なり。さあれば我が心こそ、師匠なり。 このさるひとのいへる はどういう意味かわかりません。 あと(さりながら)=だから でしょうか? さあれば=つまりは? どなたか教えていただけたら助かります。

  • 長唄「勧進帳」の歌詞について(意味と文法の質問)

    こんにちは。 長唄「勧進帳」の歌詞の文法的な構成と意味が分からず困っています。 分からないのは以下の文です。 これやこの 往くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の山隠す 霞ぞ春はゆかしける この中の「霞ぞ春はゆかしける」という部分です。 「ぞ」は「ける」と係り結びの関係で「霞」を強調しているのですが、その間にある「春は」が、どういうことなのかよく分かりません。辞書には「は」は終止形と結びついて係り結びをなし、その語を強調するとあるのですが、「ける」は連体形です。終止形ではありません。そもそも、二重の係り結びなんてあるのでしょうか? また、歌詞の大意として 「逢坂の山は春霞で見えないが、もう一度見たいものだ」 という訳があるのですが、これを見る限りでは「春」は「霞」を修飾しています。「春は」は「ゆかりける」という述語と結びついて「春をもう一度見てみたいものだ」という意味かと思っていたら、「霞」に結びついているではありませんか。もう何がなんだか分かりません。 ご存知の方がおられましたら教えてください。 なお、私は古文を勉強しているわけではなく、古文のことはよく分かりません。ですから何か他の古文を引用されると、それを調べるのにまた多くの時間と労力を費やしてしまいますので、他の引用は一切やめてください。どうかお願いします。

  • 京に上る

    古文で「京に上る」を英訳したいんですが、(「京」は京都のことです。) go up to Kyoto というと具体的な地名になってしまって、都へいくという期待感なりそういった諸々の意味が飛んでしまうし、 go up to the capital というと、平安時代の京都をあらわすのにしっくりこないような気がするんですが、通常この場合はどう訳すのが適当でしょうか?

  • 古典について教えてください!!竹取の翁

    古典について教えてください!!竹取の翁 本文 今は昔、竹取の翁といふ者ありけり。野山にまじりて、竹を取りつつ、よろづのことに(2)使ひけり。名をば、さぬきのみやつことなむいひける。 その竹の中に、もと光る竹なむ一筋ありけり。 (1)あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうてゐたり。 翁言ふやう、『我、朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。 子になり給ふべき人なめり』とて、手にうち入れて家へ持ちて来ぬ。 妻の嫗に預けて養はす。うつくしきこと限りなし。いと幼ければ、籠に入れて養ふ。 竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけて後に竹取るに、節を あやしがりて寄りて見るに、筒の中光りたり。それを見れば、三寸ばかりなる人、いと美しうてゐたり。 翁言ふやう、『我、朝ごと夕ごとに見る竹の中におはするにて知りぬ。 子になり給ふべき人なめり』とて、手にうち入れて家へ持ちて(2)来ぬ。 妻の嫗に預けて養はす。うつくしきこと限りなし。いと幼ければ、籠に入れて養ふ。 竹取の翁、竹を取るに、この子を見つけて後に竹取るに、節を隔てて節ごとに黄金ある竹を見つくること重なりぬ。かくて、翁やうやう豊かなりゆくて 1、 本文中の(1)の『あやしがりて』のいみとしてあてはまるものぇお次の中から一つ選んでください。 1、不思議に思って 2、疑わしく思って 3、恐ろしく思って 4、不安に思って 2、 (2)の『来』はどう読むか。次の中から1つ選んでください。 1、こ 2、き 3、く 4、くる

  • 歴史、地理、古文、漢文が覚えられないのは頭の病気?

    中学の社会の定期テストは暗記量も少なく、問われ方も一問一問みたいで70点程取れました。 しかし、高校の範囲の試験になると一桁の点数しか取れません。 授業で配布されたプリントを何時間もかけていくら覚えようとしても頭に入ってきません。 また、プリントの一部を覚えたとしても試験の問われ方が一問一答ではなく、形を変えて出されたら答えられません。 これは大げさではありません。 そこでお聞きします。 1.これは頭の病気でしょうか? それとも暗記自体が合わない頭なのでしょうか? ちなみに、市役所の月1相談のカウンセラーに相談したところ、「強迫神経の様に周りの人や事柄、思春期特有の悩みなどが気になりすぎて勉強が頭に入って来ない。病気ではない。」と言われました。 2.社会の各科目はどう覚えたら良いでしょうか? 自分で社会の各科目を分析したのですが、 【日本史】 暗記量が多い。 難しい漢字が多い。 時代の流れや将軍家の系図や役職や政党の変遷が複雑すぎる。 史料が古文みたいで読解不能。 【世界史】 暗記量が多い。 用語のカタカナが長すぎるのと似たよう名前ばかりで全然頭に入らない。 その国の時代の流れと国と国との横の繋がりが関連付けて整理出来ない。 【地理】 各国の事を同時に覚えるのが難しい。 グラフや細かい数値などが全然頭に入らない。 3.古文、漢文はどう覚えたら良いでしょうか? 古文、漢文の分析。 【古文】 古文単語が現代語と意味が違うので混乱するのと多義語があって全く覚えられない。 活用の変化が覚えられない。 品詞の見分け方が分からない。 長文中の一文の主語が誰なのか分からない。 【漢文】 文に一、二やレ点を振ろうと意味不明。 それではよろしくお願いします。

  • 古典について答えてください。伊勢物語 『東下り』

    本文 行き行きて、駿河の国にいたりぬ。 宇津の山にいたりて、わが入らむとする道はいと暗う細きに、つたかえでは茂り、物心ぼそく、すずろなるめを見ることと思ふに、修行者あひたり。 「かかる道は(1)いかでかいまする」 と言ふを見れば、見し人なりけり。京に、その人の御もとにとて、(2)文書きてつく。 A駿河なる宇津の山べのうつつにも夢にも人にあはぬなりけり 富士の山を見れば、五月のつごもりに、雪いと白う降れり。 B時知らぬ山は富士の嶺いつとてか 鹿の子まだらに雪の降るらん その山は、ここにたとへば、比叡の山を二十ばかり重ねあげたらんほどして、なりは塩尻のやうになんありける。 なほゆきゆきて、武蔵の国と下総の国との中に、いと大きなる河あり。それをすみだ河といふ。 その河のほとりに群れゐて思ひやれば、 (3)限りなく遠くも来にけるかなとわびあへるに、 渡守、「はや舟に乗れ、(4)日も暮れぬ」と言ふに、乗りて渡らむとするに、 みな人ものわびしくて、京に思ふ人(5)なきにしもあらず。 さるをりしも、白き鳥の、はしとあしと赤き、鴫の大きさなる、 水の上に遊びつつ魚を食ふ。 京には見えぬ鳥なれば、みな人見知らず。 渡守に問ひければ、「これなむ都鳥」と言ふを聞きて、 (6)名にしおはばいざ言問はむ都鳥わが思ふ人はありやなしやと とよめりければ、(7)舟こぞりて泣きにけり。 1、 本文中の(1)の『いかでかいまする』のいみとしてあてはまるものを、次の中から一つ選んでください。 1、どのようにしてみつけられたのか 2、なぜいらっしゃるのか 3、いつからいらっしゃるのか 4、なんとかしていらっしゃってください 2、 (2)の『文』の意味を応えてください。 3、 Aのうたについて『夢』と反対の意味を持つ言葉を、歌の中から抜き出してください。

  • 「大阪都」という名称について。

    石原慎太郎氏が「都はキャピタルだからが一国に2つも3つもあるわけがない」みたいな趣旨の言っていましたが、 そもそも「都」とは(特に「みやこ」でなく単に「ト」と読む場合)「都市」ではなく「首都」の意味のほうが強いのですか? 漢和辞典には「人が集まるところ」みたいなことも書いてあります。現代的な用法でも、キャピタルシティーをあらわすのに「都」に「首」を付けて「首都」としているので、排他的なキャピタルを意味するのはむしろ「首」のほうではないかと思います。 また一部の人が天皇がいないのに「都」はおかしいと言う人がいますが、これは「京」の間違いではないのですか? 尚、「府に慣れているから都には違和感がある」とかそういう話ではありません。 ご教示願います。

  • 奈良時代 大仏造立の詔

    大仏造立の詔は紫香楽宮に盧舎那仏を造立するという詔で、 恭仁京の時に出された。 (当時の天皇は聖武天皇。政権担当者は橘諸兄。詔が出された場所は 紫香楽宮だが当時の都は恭仁京であることに注意) 上の説明文にある“詔が出された場所”とはどういう意味ですか? 聖武天皇はその頃恭仁京に居て、 大仏を造立する為の場所として紫香楽宮を指名したという事でしょうか。