- ベストアンサー
新宗教(新興宗教)は本当に“新”なのか?
黒住教などの新宗教(いわゆる新興宗教)は、日本の既成宗教とは一線を画す全く“新しい”宗教なのでしょうか? それとも既成宗教の流れをくんだものなのですか? 既成宗教から生まれ、枝分かれしていったのものか、それとも真の意味で新しい宗教なのでしょうか? 回答、よろしくお願いいたします。
- piko1239
- お礼率100% (3/3)
- その他(カルチャー)
- 回答数3
- ありがとう数4
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
「新興宗教」っつってもいくらでもあるわけで、一応「完全に新しい宗教」というのも無いわけじゃないですが…… Wikipedia-黒住教 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E4%BD%8F%E6%95%99 なんかを見るに、黒住教に関しては神道の流れみたいですね。 まぁ、他のはその宗教によります、としか。
その他の回答 (2)
いずれも既存団体の教義の焼き直しですね、 自分たちに都合のいい部分だけ寄せ集めてる、 日本の伝統的宗教観念に無い破滅思想(終末思想、ハルマゲドン、最後の聖戦)はキリスト教から得てるし(キリスト教自体も中東の土着宗教から派生したユダヤ教を元にしてる)、 戦後の流れでも、 多くは大本教の影響を受けてるし、 内部の抗争(跡目争い)や分派から起こしてきてるのも多いね。
お礼
回答ありがとうございます。 結局は既存の宗教の影響を全く受けないというのは不可能ですよね。
- ymmasayan
- ベストアンサー率30% (2593/8599)
全くゼロからということは無く、何らかの影響は受けているでしょう。 キリスト教の新教(プロテスタント)と旧教(カトリック)だって分派行動ですから。
お礼
早速の回答、ありがとうございました。
関連するQ&A
- 伝統宗教と新興宗教と外来宗教
宗教に抵抗のある人でも、除夜の鐘の音を聞くのも不愉快、初詣にもいかん、お盆もやらんという人は少ないと思います。 多くの人にとって伝統宗教は「宗教」のカテゴリに入っていないのではないかと感じられます。 特異な存在である宗教として意識されるのは新興宗教と、外来の宗教であるキリスト教やイスラム教ではないでしょうか? 伝統宗教とそれ以外は意識の上で何が異なるのでしょうか? またいかなる伝統宗教も開祖の時代は新興宗教であったはずですし、逆にいえば今現在の新興宗教も何百年も先まで残っていれば 伝統宗教として扱われるようになるでしょう。 また今は日本の土着宗教のようになっている仏教も本来は外国の宗教でした。 新興宗教や外来宗教はいつなにをもって伝統宗教に転ずるのでしょうか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
- 新興宗教についての本 探してます
明治から現代にかけての新興宗教の興亡や現代社会への影響などを まとめた本はありませんか?日本中心でアメリカなども知りたいです。 と学会のようなスタンスで、なるべく客観的に宗教の歴史などがのってる本が良いのですが
- ベストアンサー
- その他(カルチャー)
- 海外ではどんな新興宗教が政治に影響していますか?
海外ではどんな新興宗教が政治に影響していますか? 韓国の旅客船沈没事故以降、船の実質的オーナーのユ・ビョンオン氏が教祖である新興宗教「救援派」と韓国政財界との深い癒着関係にスポットライトが当てられていますが、 それでは韓国や日本以外の国では、どんな新興宗教が政治に強い影響を及ぼしているのでしょうか。 なるべく詳しく教えていただければ幸いです。 回答よろしくお願いいたします。
- ベストアンサー
- その他(社会)
- 新興宗教について
先日結婚して、義理の父が新興宗教に入っています。 義理の父はどうしても一度、そのお参りのようなものに参加してほしいと言っています。 詳しくはよくわからないのですが、先日その宗教の人物と話をしました。内容は、仏教において、お釈迦さまが2500年前にといたものを伝えてくれるというものでした。 今いろんなところに出回っている、お寺での話は作りかえられたもので、お釈迦さまが本当に伝えたいことではないとのことでした。それを実行すれば皆、極楽にいける、知らない人は地獄に落ちるとのことです。 そのお話を聞くためにはハードルがあって、38万円かかる、2泊3日で日にちは選べないので仕事を休む必要がある、興味本位なんかでは聞くことはできない、それを聞いてからはいろいろな行事に参加してもらう、などのことでした。 京都のお寺ということでしたが、寺の名前などは知らせてもらっていません。その人は「新興宗教というとあやしいイメージがありますが、うちはそういうものではない」とか、「うちの寺もある意味有名で、インターネットではかなりたたかれている。どこのだれかもわからないところからの情報を信じたり、平気で流す。インターネットというものは今の世の中を歪ます、危険でどうしようもならないものだ。」とか言っています。 こういうものに参加しても大丈夫なものでしょうか? 大変心配なのですが、義理の父は参加してもらわないと困ると言っています。 私自身そういうものは全く信用していないので、どうしたらいいのかわかりません。 どなたか、経験のあるかたなど、アドバイスのほど宜しくお願いします。
- 締切済み
- その他(カルチャー)
- 新興宗教から完全に精神的に抜け出すには・・・
新興宗教の批判をするわけではありません。 宗教を信仰するかしないかは、もちろん個人の自由です。 私は信仰できない。しかし、宗教の教義が私を精神的にがんじがらめにしているので、このような質問をさせていただきました。 教団名はエホバの証人です。(信者には人間性に富んでいる方もいらっしゃいます。批判のつもりではなく、回答の際に役立つと思ったので…。もし、問題があれば削除をお願いします。) 詳しくは↓ http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4104566.html これらから抜け出し、社会に上手く適応するにはどのようにすればいいでしょうか?? 経験者などいらしましたら、アドバイスがほしいです。お願いします。
- 締切済み
- その他(恋愛・人生相談)
- スピリチュアルな世界と新興宗教について
スピリチュアルな世界と新興宗教について 一年ほど前からドイツに暮らしています。 日本に住んでいた時は、自分を<無宗教>たと認識していて、神の存在や死後の世界等にもあまり興味がありませんでした。 ドイツでドイツ人やヨーロッパ出身の人などと話をすると、よく宗教の話になります。ヨーロッパでも禅の思想などはとてもポピュラーで、詳しい人(インドや中国等への旅の経験があったり、アジアの宗教観に興味がある人など)は仏教だけでは無くて、神道のことも、よく知っています。自宅には、神棚とも仏壇ともつかないようなスペースを持っている人も結構居ます。わたしが非常に困惑したのは、仏像と聖母マリア像と「小人」(コロボックルのような精霊のような小人)像が隣り合わせに並んでいるのを見た時です。 友人10名ほどに簡単なアンケートとインタビューをしてみたところ、生まれた家庭が厳格なカトリックの場合に、その厳格さに疑問を感じて、自分なりの神や信仰を見つけたいと思う人が多いようです。語弊があるかも知れませんが、日本を代表する新興宗教として<創価学会>を挙げることができると思います。この団体は、イタリア等では若い人に非常に人気がある、と同時に、「兄弟が創価学会というのに入団したけどどんな団体なのだろう?」と疑問視している人達もいるようです。 このような、日本に暮らしていた時には話題にものぼらなかったような話を、わりと日常的に耳にする環境に身を置くと、ヨーロッパの人にとっての<神様>のような存在が、人生を失望から救ってくれるような存在として、人間にとって非常に大切なものなのでは?と感じるようになりました。その一方で、日本に暮らしていた時も、無宗教でもそれなりに楽しく何とかやっていたと思うので、「なぜ<神様>が必要なのか」という大きな疑問にぶつかりました。また<新興宗教>への信仰と<精神世界>(スピリチュアルな世界)の探索を、同一視し、なおかつアレルギー反応のような自分のリアクションにも気が付き、両者の誤差についても興味を持つようになりました。 前置きが長くなってしまいましたが、わたしがここで質問をさせていただきたいのは、なぜ人生に<神様>が必要なのか、なぜ日本人は<神様>を必要としない人が多いのか、という点です。 また<新興宗教>と<精神世界>(スピリチュアルな世界)について、両者の共通点と相違点に関して、みなさんの意見を伺えたらと思っています。 よろしくお願いいたします。
- 締切済み
- その他(カルチャー)
- 宗教の種類は今後も増え続けるのか?
宗教は動物にはないものと思います。死人に対してお墓を作ったり花をお供えすることなどは、人間が進化した結果の宗教心です。その宗教心は国や地域でさまざまな既成宗教を生み出しました。ですがその反面科学や知識が進歩することにより、既成宗教の信憑性は低下しています。ですが自分で宗教を選ばない人達は先祖の宗教を引き継いでいる人が多数です。信教の自由ですから先祖の宗教から離れる人もいます。その人達は無宗教になるひともいますが、多数の人は理論的で科学的に近い宗教に惹かれるようです。その為、新興宗教が多数つくられてきています。私としては宗教の多くは必要のないものと思っています。この世にとって必要な宗教と必要でない宗教を分けることはできないでしょうか?ただ増え続ける宗教は馬鹿馬鹿しいだけです。できれば宗教は一つにまとめるべきだと思っています。誰にでも人間としての宗教心はあります。その意味をもう一度見直して、世界で一つだけの宗教をつくれないものでしょうか?
- ベストアンサー
- 哲学・倫理・宗教学
お礼
Wikipediaを紹介してくださってありがとうございます。 非常に役に立つサイトですね。