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日本軍と戦った蘭軍の実態
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- tomato1963
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正直、この時期のオランダ軍の状況はよくわかりませんが、 「王室と内閣は、某将軍に後事を託して英国に逃れ、軍は最後まで独軍に抵抗し降伏した。」 と何処かで読んだ記憶がありますので、組織としてのオランダ軍(本国軍)は、壊滅していたのではないでしょうか。 勿論、王室と共に英国に事前に逃れていた、指揮官クラスもいたでしょうが。 実戦部隊は、植民地派遣軍(蘭印のみ?これも日本軍に降伏。)だけだったと思います。 ちなみに、某将軍が降伏を決断したのは、独軍のユトレヒト空爆の恫喝(?)が一因だった様ですね。 はっきりとした、回答ができずスイマセン。 >反日感情 オランダの某女王様は、 「独軍さえ居なくなれば(?)、日本軍など追っ払うのは簡単だ。」 というような発言をしたとも言われてますので(本当に言ったかはわかりませんが。)、 蘭印を占領した日本は、火事場泥棒みたいなものだったのでしょうね。
- tomato1963
- ベストアンサー率38% (7/18)
1940年オランダ本国はナチスドイツに占領されましたが、オランダ政府(及び王室)は、英国ロンドンに亡命し存続しました。 一方蘭印(現インドネシア)には、植民地支配の為の政庁があり、その政庁はナチスドイツの支配下にはありませんでしたので、侵攻してきた日本軍と戦ったのです。 蘭印に派遣されていた海軍(軽巡以下の小部隊)は、連合国側の他国の海軍と、協同で日本海軍と戦っています。
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お礼
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補足
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