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日蓮上人を肯定してください

hw4183の回答

  • hw4183
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回答No.5

いつもお世話になっております。 あまりふれられることがないので日蓮の人柄を表す手紙を。 同郷の息子をなくした女性信者へ 「老いたる母は留まって、若い子が先立つほど情けないことはない。神も仏もうらめしい。なぜ、親を先に行かせてくれず、嘆かせるのかと思うと、心 悲しい」 次男をなくした女性信者へ 「母親であるあなたにとって、どんなにかお嘆きの事であろう、つぼみの 花が風のために、もろくもしぼみ、満月が雲の中に急に隠れてしまったようだ。本当に亡くなったとは思えず、この手紙を書き付ける気にもならない」 佐渡流罪中の書(;;) 「うれしきにも涙、つらきにも涙なり。涙は善悪に通ずるものなり」 「現在の大難を思い続けるにも涙、未来の成仏を思うて喜ぶにも涙を とどめえない。鳥と虫は鳴けども涙おちず、日蓮は泣かねども涙ひまなし」 伝えきれないとは思いますが、日蓮は同悲同苦の人であり、温かく情にもろく涙もろい人であったという事も知っていただきたいと思います。(;;) そして激しく情熱的で純粋な人である、肉身の菩薩が仏法流布に命を賭して活動した事は認めなければならない、と思います。これを認めないと かなり偏った見かたになる、のではないでしょうか。 初期のカルト性はイエス様と共通するところ多数あり、(変な意味ではありません)狂信性、排他性、独善性、閉鎖性、そして、正しいものは試される、法難が現われる、苦しみの礼讃性、(変な意味ではありません)。けっこう似てます。 奇跡により、十字架に架からなかっただけですね。 他宗排撃については、真理が広げるときはあふれ出る熱意がなければ、 広がる事はないでしょう。真理を会得した、悟りを確信したその確信が強ければ強いほど他宗が邪教に見えてくるのはキリスト教とほぼ同じです。 当時のユダヤ教の熱心な信者ほど、イエスはカルトの教祖様に見えた事でしょうし許せなかったのでしょうね。(変な意味ではありません) 一概に言えませんが他宗排撃を比較した場合、実際の被害そのものは対象にならないほど小さなものでしょう。 本来の釈迦の教えには全ての真理が含まれていたのです。釈迦とは教えそのものであり、教えが法そのものであり、宇宙を統べるその法が地上の人間にも理解できるように、人の姿に宿り、応身佛となって教えを説いたのです。 キリスト教的愛(浄土系)、禅宗的智慧、真言密教的神秘性、 日蓮的信仰心、すべての価値を弟子達には全ては理解できないのですね。 自分の認識する範囲がどうしてもあるのですね。日蓮にも認識の限界が あったのでしょう、弟子はいつの時代も100点は取れないのですね。 しかし精一杯、伝道した一生でした。奇跡を巻き起こしながら、精一杯の 情熱と、精一杯の勇気、そして精一杯の信仰心で生き切った肉身の菩薩 でした。法華経には菩薩とは「闇を照らす日月」「泥沼の中の蓮華」と たとえてますがこの菩薩の自覚があったからこそ 日、蓮、と 名乗ったのですね。 上求菩提を捨てて、下化衆生を選択した思想が時を経て、慈悲から堕落へと変わる事はたやすい事のようですね(;;) 思想的には天台本覚思想を若いときにかなり学び、これに影響された事が、 後々の南無妙法蓮華経を発明させてしまいました。この題目だけ唱えておけば救われるとした教えが、本佛の御心から遠く離れてしまっている事は、 その後数百年、その木が実らせた果実を観れば、お分かりの事と思います。 最大の弱点がここです。ここにつけ込んで布教活動をやったところ、 思いのほか資金が集まったのでサ○金屋から宗○屋へ乗り換え大成功してしまったのが××○○ですね。(;;) この免罪符がある限り、愛も、慈悲も戒律も反省もいらぬものなのです。 努力も精進も、悟りも、宗教の核の部分が脱落した状態でも 問題ないと、どれほどの闇に包まれて、どれほどの害毒を垂れ流しても わからない、おおいに悲しい事です。(;;) 日蓮主義があんいな政治イデオロギーとして利用されるとき、 転落型天台本覚思想が政治勢力と一体化した時、目的のためには手段を えらばぬ狂信主義的全体主義へと変わっていく事は明らかです。 悟りと智慧が仏教の核であり、悟り即救済、智慧即救済、ですから、 仏教の救済とは教えを学び、考え、実践してこその信仰心に基づくもの と考えていただければとおもいます。 この信仰心をこそ、この尊さをこそ日蓮は伝えたかったのではないでしょうか。中間の智慧の立場は取らなかった、悟りの立場は取らなかった、という事でしょうか。

nicodemo
質問者

お礼

いつも回答、ありがとうございます。 ●日蓮上人の人柄について教えて頂き、ありがとうございます。  迷い、喜び、悲しみ、そういう人間的な面を捨てずに信念を持っていた方だったのだと思うと、すこしわかるような気がします。 ●初期のカルト性に関するキリスト教との比較は非常にわかり易くありがたいです。 >真理が広げるときはあふれ出る熱意がなければ、 >広がる事はないでしょう。真理を会得した、悟りを確信したその確信が >強ければ強いほど他宗が邪教に見えてくるのはキリスト教とほぼ同じです。 まさにその通りだと思います。 カルト性というのは、自宗の肯定イコール他宗を否定することにならざるを得ない初期の伝道においては必須であることは、歴史的に見ても明らかに思います。しかしながら、歴史を紐解いて考える時、すぐれた思想であれば受け入れられ、カルトの蛇は毒を弱め、牙を失ってきました。(他宗にしてみれば蛇(サタン)だったものが、普遍的な神仏に成り代わる事こそ、真理を肯定する事のようにも思います。 >…後々の南無妙法蓮華経を発明させてしまいました。 >この題目だけ唱えておけば救われるとした教えが、 >本佛の御心から遠く離れてしまっている事は、 >その後数百年、その木が実らせた果実を観れば、 お分かりの事と思います。 ●以下に続く文も含めて、その団体に関わっていない者が言及するにはデリケートな問題です。名が伏せてありますので、わかりませんということでご勘弁願います。 *ここのところは、現代の信者の方に語ってもらいたい部分であります。 日蓮上人を本当の意味で立てておられる信者の方の投稿が少ないのは残念な事です。 >この信仰心をこそ、この尊さをこそ日蓮は伝えたかったのではないでしょうか。 >中間の智慧の立場は取らなかった、悟りの立場は取らなかった、という事でしょうか。 ◆揺るぎない信仰心を示す尊さ・・・これならば理解出来ます。 だからこそ混沌の時代に『末法の世』を見出し、強い姿勢で教えを説いたのでしょうか。

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