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冠詞「the」について

冠詞は非常に難しくて、いつも頭を抱えてしまいます。 今回の疑問はこちらです。 I like swimming in the sea. (わたしは海で泳ぐのが好きです) この文でなぜ「the」がつくのかわかりません。 seaで辞書を引いても、theがつく通例しか載っていませんし、自分の既成概念では (1)数えられるもの (2)地球など「唯一の存在」のもの (3)“その人”など、対象を限定する場合 こういった場合にtheがつくというように解釈していました。 海(sea)にtheがつくのが通例なのはどうしてなのか、知りたいと思います。お願いします。

  • 英語
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回答No.12

Gです。 補足を読ませてもらいました。 >そして誤回答としてまだ扱われてしまう現実があるとしたら、なぜtheをつけるべきか自分なりに一番納得いく形で覚えておきたいというところが素直な気持ちです。 日本には受験英語と言うものがあるのでこれは難しいものだと思います。 英語と言う特殊な学問の一番頭の痛いところはこの「変化」にどれだけついていけるか、また、変化が定着していると「学問的に」断言できるか、また、その判断が教育社会で一貫性を持たせるシステムが出来上がっているのか、など大変難しい課題を持っていると思います。 そうなると、試験自体が、また、先生自身がこの変化についていけるのか、ということになり、試験によって、また先生によって解答の判断が違ってくると言う事にもなります。 Hornblowerさんが引用して説明なされている辞書でさえ楽器にはTheがつくと明記されているとの事。 何を、また、誰を信じて良いのか分からなくなりますね。 だから私は「~と言う人もいる」と言う表現をしたのです。 決して定着しているとは私にはいえない状況だと思います。 確かにTHEを使って「共通」を示す事はします。 日本語の焼くとしては「その」と訳していますね。 I gave the dog a bathと言えば相手もわかっている犬の事ですね。 しかし、I want to go to the moon.はI want to go to a moon(地球の月と言う意味で)は言いませんね。 I want to go to moon.とも言いませんね。 the moonなのです。 確かにgo to schoolと言う定冠詞なしのフィーリングのあらわし方でgo to see、船乗りになる、というような意味として使います。 go to bed, go to churchと同じようなフィーリングですね。 しかし、すべてのgo to seaが人によってはそうであるとは限らない、と私は言うのです。 at the sea, at seaはどうでしょうか。 意味が変わってくるのです。 at the seaは「海辺で」と言う意味ですね。 つまり、at (sea) shoreですね。 ではat seaはと言うと「水辺・浜辺ではなく海上」という意味ですね。 そこからいろいろ抽象的な意味合いがでてくるわけですけど。 つまり、本題のseaに必ずしもtheがつかなくてはならない、と言う意味ではないわけです。 go to school 通学する go to the school校舎へ行く go to sea船乗りになる、海に出る。 go to the sea海辺に行く go to a sea 一つの洋・海(かい)に行く go to seven seas 7つの海に行く・渡る(航海)する とちょっと派手に意味を分けてみましたが、このように英語圏の人たちが感じるように感じてはいけないのでしょうか。 go to school, go to church, go to seaをなぜ熟語として覚えてはいけないのでしょうか。 それは、定冠詞と言う名前を作り上げたい形付けて覚える事が学問だと教えるからだと思います。 だから余計に分かりにくくしているのではないでしょうか。 go to sea, go to the seaはアメリカの小学生でも言うのです。 a/anをなぜわざわざ不定冠詞などという名前で覚えさせるのでしょうか。 最近他の回答者の方が書いておられたのを読ませてもらいましたが、なぜ、一つの・あると言う意味の形容詞で名詞を修飾するだけの用法を持っていて次に来る名詞が母音で始まるかどうかで音節的に変わる、としたって良いと思います。  an appleと言って日本人とアメリカ人とで違うイメージを持つでしょうか。 それとも共通したイメージを持つでしょうか。 私は後者だと思います。 と言う事で「週末に海へいってきた」と言うときに「海辺(ないしその近く)に行った」ということですから went to the sea, でもボートで海に出た、であれば、went to sea in a boatということなんです。 この違いは知るべきものだと思います。 最後にこのtheを取っても、海辺に行く、と言うフィーリングで言う人もいる、ということは一部の人たちはそう言う言い方になれている、といっても良いと思います。 (ちなみに私自身は区別をしています。) 何かの参考になればうれしいです。

その他の回答 (11)

  • spoi
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回答No.11

Hornblowerさんへ お返事ありがとうございます。 考える人の視点・概念の問題なのですね。 >概念上のもので、陸に対しての「海」といった意味になります。 Hornblowerさんの解説非常に分かりやすいです。私はこの冠詞について、なんとなくつけていることしかなく、今回のように深く考えたのは初めてです。そういえば、bedもそうなのですね。 これからの英語に役立つと思います。ありがとうございました。

回答No.10

>>I like swimming in the seaは a seaでもいいような気がしてしまいます。 なぜならaであろうとtheであろうと、また冠詞が仮になくとも、この「海」のイメージの伝わり方に大差を感じないからです。 日本語には、冠詞がないのでわたしも苦労しました。この冠詞のあるなし、theとaの違いからイメージを描くことが、すなわち英語で考えると言うことにほかなりません。 <sea>だとわかりにくいかもしれません。話し手が<a dog>と言うと、聞き手には何の情報もありませんから、【なんとなくイメージできる犬】しか思い描くことができません。ところが、話し手が犬を飼っていて、聞き手も知っていると<the dog>を用いますが、するとその【犬の種類や大きさ、色、性格や、過去の出来事など】、色々な情報が共有され会話を助けます。 わたしは瀬戸内海で育ちましたので、「海」は、水平線のない小島の浮かぶ穏やかなイメージしかありません。先ごろ壱岐に行く船中で、初めて360度水平線の、荒々しい海を見ました。この二つに何が共通しているか上手く説明できませんが、それが<the sea>で描かれるイメージです。池や川にはない何かです。 マーク・ピーターセンの本に紹介されている話です。ある日本人が”I ate a chicken.”と言ったそうです。鶏肉は冠詞なしの<chicken>ですから、そういうつもりだったのでしょう。ところが、ネイティブは、<a chicken>で、生きた一匹の鶏(意味する)をイメージするのです。 生きた鶏を丸ごと食べる光景はおぞましいものがありますね。

回答No.9

Spoiさんへの回答 冠詞のない<sea>は、実際の潮の臭い、水の冷たさや、青い海の色といった、実際に手で触れ、五感で感じることのできるものではありません。概念上のもので、陸に対しての「海」といった意味になります。 「卒業したらどうするの」「海へでます」 この会話から、彼が、海水浴やサーフィンに行くのではないことは、想像に難くありません。 この場合の海が、”go to sea”の<sea>に当ります。 friends2005さんが既に述べていますが、生徒や先生が学校に行くのは、”go to school”と普通は言います。冠詞のない<school>は、学校の場所や建物のイメージは薄らいで、概念上の「学校」つまり、「勉強する(ところ)」といった意味合いになります。生徒や先生以外は、”go to the school”と言い、話し手と聞き手の両方が知っている具体的な学校(建物や場所)を示します。PTAの会合や、参観日、宅急便の配達人は、<the school>を使います。 同様に”go to sea”は、場所としての「海」より、<go>と結びついて、そこで行われる行為に、フォーカスが向けられることになります。”go to bed”なども同じですね。

回答No.8

Oxford University Press発行の Practical English Usageと言う辞書には、theを始め a/anも含めて、詳しい冠詞の用法が記されています。結構長いので(15ページに亘っています)此処に全部書くのは大変なので、興味があれば見てみてください。  the seaについては、「われわれの身の回りの環境や風土や生活上の共通認識に関するもの、つまり、話して、聞き手、また書き手、読み手の誰もが良く知っていて共通イメージがもてる物にはtheが付く」と言う項目に例として出てきます。他の例として、the wind,the universe, the weatherなどが、出ています。そして、海一般について話す時は、theを付けないと続きます。Sea is a great body of salty water.の様に。go to school とgo to the schoolでは、意味が変わって来るのと同じような物です。   ちなみに、この辞書には、We use the +singular when we talk about musical instruments in general, or about playing musical instruments. と、明記されています。 

BIG-BANG
質問者

お礼

回答して頂きましてありがとうございます。 >「われわれの身の回りの環境や風土や生活上の共通認識に関するもの、つまり、話して、聞き手、また書き手、読み手の誰もが良く知っていて共通イメージがもてる物にはtheが付く」 この日本語を読む限り、とても漠然としていてどんなものまでがこれに当てはまっていくのかわかりかねている状況です。 ただ今回のわたしの疑問のみに関してであれば、 一般的に「海へ行く」「海で泳ぐ」という時はやはり「theをつけて使う方のが通例」なのでしょうか。 >Oxford University Press発行の Practical English Usage 理解できるかわかりませんが、一度見てみたいです。 ご紹介いただきありがとうございました。

  • spoi
  • ベストアンサー率32% (34/104)
回答No.7

すいません。ここでやっていいものかどうか分からないのですが、 便乗させて質問させてください。 (1)go to sea (2)go to the sea (1)航海に出る、船乗りになる (2)海に行く 私はこれらが別のものとして習ったのですが、アメリカでは同じ意味として使う人もいるのでしょうか? よろしくお願いします。

回答No.6

英語は姿や形のあるものに話題が及ぶとき名詞にフォーカス(ピントを合わせる)を当てます。 an appleとすることによって、古今東西多種多様の「りんご=apples」と呼ばれるものの内、あるひとつに、焦点をあわせて話題にするのです。このときのイメージは赤い果物といった一般的な単純なものしかありません。一方、<the apple>は、話し手と聞き手の両方に共通の認識を求めます。一度、話題に上った<an apple>は、<the apple>に変わり、暫定的に共通したイメージとして、そのまま会話に用いられます。また、二人の間に共通したイメージが最初からある場合、例えば、冷蔵庫の中にある、美味しそうな「リンゴ」のことを、互いに知っている場合です。このとき、<the apple>は、【その】「リンゴ」にフォーカスを当て、色や大きさあるいは手触りなど、鮮明なイメージを話し手と聞き手に思い起こさせます。 <the sea>は、話し手と聞き手の共通した認識イメージを、呼び起こす働きがあります。冠詞のない<sea>は、概念上のもので、実際の潮の臭い、水の冷たさや、青い海の色といった、実際に手で触れ、五感で感じることのできものではありません。 日本語でも、「海で泳いだ」と言ったとき、実際に湘南で泳いだのか、ワイキキで泳いだのかを問題にしません。ただ、川やプールにない、わたしたちが「海」に持つ共通のイメージを呼び起こすのです。 仮に、<a sea>とした場合、漠然としていて聞き手はイメージを描ききれません。数ある色々な「海」と呼ばれるものをイメージしようとしますが、ピントが定まりません。 ひとつしかないものというよりは、共通のイメージを描けるものを<the>で表すのです。

BIG-BANG
質問者

お礼

ご回答いただきありがとうございます。 「a sea」と「the sea」では呼び起こすイメージが違うとのご意見ですが、 自分は不勉強が原因なのか、実際「a sea」「the sea」どちらが出てきてもイメージの違いを読み取れません。 先の「apple」の例のように「a apple」が後述で「the apple」に変化する道理はわかるのですが、だとすれば I like swimming in the seaは a seaでもいいような気がしてしまいます。 なぜならaであろうとtheであろうと、また冠詞が仮になくとも、この「海」のイメージの伝わり方に大差を感じないからです。 Hornblower様のような専門的な知識をお持ちの方にいろいろ言ってすみません。 意外と自分が思っているより、どっちでもいいような問題なのかもしれませんね。

回答No.5

アメリカに37年住んでいる者です。 私なりに書かせてくださいね。 このような「文法的」な質問には何時もどう答えたら一番分かってもらえるだろうかと自分の実力に失望します。 seaにいつもTHEがつくと言うのはあくまでも辞書的な解釈であり、また、唯一のものだからと言うのも「無理にでも体系付けようとしている」としか見えないのです。 楽器にはTHEがつくと言う「文法」も昔ありました。 多分今もそれを教えている参考書もあったり、信じている人がいるのではないでしょうか。 しかし、やっと認められたように、THEを楽器につけなくても良いのですね。 なぜ、良いのか。 「文法」が「変わった」のではありませんね。 英語を使う人たちがTHEをつけないようになったからなんです。 つけない人が増え、それを聴いたり読んだりする人はないのになれ、子供たちはそれが自然と思うようになってきたわけです。 (日本からアメアメリカに来た子供たちが巻く怒鳴るとの看板を見て「アメリカにもマクドナルドがある!」と言っているのと同じなのです) さて、このSEAですが、本当にSEAは一つしかないと思うだろうか、また、海天文学に関係する思うだろうか、海を見る子供が本当にそう感じるからTHEをつけるだろうか。 私にはどうもその考え方には同意する事は出来ません。  どこかに無理があると感じるのです。 これは日本人が「日本人は島国根性から、、、」遠いような表現を聞いたときもそう思います。 日本人のどれだけの人が日本は島国だと感じているでしょうか。 じゃm、台湾人、オーストラリアとは言わずともニュージーランド人はどうでしょうか。 島国根性を持っているのでしょうか。 本題からちょっとそれてしまいました。 しかし、本当にSEAという単語がきたらTHEを使うのでしょうか。 at sea, go to sea, enjoy seaなど使わない人は使わないのです。 教育・教養がどうのと言う問題ではありません。  play the pianoとplay pianoとの表現で違いを感じるとは思いませんし、I love to go to the seaとI love to go to seaときいても違和感やフィーリングの違いを感じる事は出来ません。 よって、なぜTHEがつくのか、と言うご質問には「使う人はそう言う使い方に慣れているから」と言う私にとっても自然とも言える理由を回答としますが、絶対にTHEを使わなくてはいけないと言う事ではない、と言う事も回答の中に入れる必要があると思います。 しかし、唯一あるものとはっきり分かっているものはいまだTHEをつけているように私は感じます。 たった一人しかいない恋人、つまり唯一の恋人、でもTHE love/girlfriend.ですね。 これでいかがでしょうか。 分かりにくい点がありましたら、補足質問してください。 (なお、私が批判的に意見した事は他の回答者の方々を批判したのではなく「そう思い込ませた」辞書や参考書に対してですーーーーはい、批判です、とはっきり言います。)

BIG-BANG
質問者

補足

英語は学問である以前に「言葉」ですから、Ganbatteruyo様のおっしゃるように「楽器の前にtheはつけなくなってきた」という変化があって当たり前だと自分も思います。 他にもいろいろなケースで学校文法の常識があてはまらないような変化をしてきていることと思います。 ただ今回は仮に各種テストで回答として書くときなどに、間違いとして減点あるいは誤回答として扱われてしまうのか否か。 そして誤回答としてまだ扱われてしまう現実があるとしたら、なぜtheをつけるべきか自分なりに一番納得いく形で覚えておきたいというところが素直な気持ちです。

  • toko0503
  • ベストアンサー率36% (886/2437)
回答No.4

蛇足ですが、 天体関係のものは、例外を除き、"the" が付くと覚えておくといいと思いますよ。 the sun the moon the star the sky the sea the universe the world the earth

BIG-BANG
質問者

お礼

そうなんですよね、the earthなどは既知だったのですが、今回seaが特に気になってしまいました。 今後もよろしくおねがいします。

  • spoi
  • ベストアンサー率32% (34/104)
回答No.3

もうこれ以上何も言うこともないと思うのですが、補足として、 私の辞書でtheを引くと、「唯一のもの」と言うところでthe seaが出てきましたので、ANo.1、2さんの言うとおりで間違いないですよ!

BIG-BANG
質問者

お礼

わたしもそう考えようとしておりましたが、いろいろな方々から貴重なご意見を頂きました。 そのご意見も参考にさせていただき、どうしてもはっきりイメージ出来ないときは「海はひとつだからthe」と覚えることにすると思います。

  • wuyug
  • ベストアンサー率31% (27/86)
回答No.2

英語圏では、海はひとつながりである考え(たぶん..)から「唯一」なので「the」がつくのだと思います。 あいまいな回答でごめんなさい。

BIG-BANG
質問者

お礼

ANo.1さんと同意見ですね。やはりそう考えるべきなのでしょうか!? お返事いただきありがとうございました。

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    タイトルどおりの質問なんですが、英語の冠詞と加算名詞不加算名詞について分からないことがあったので説明していただけたらと思います。私が気になっている単語はsuitという単語なんですが、私の読んでいる本で以下のような文がありました。 Suit must be brought at once against A.T.&T. 文の意味はわかるのですが、なぜsuitに冠詞がつかないのかが分かりません。一応suitについて手元にあった辞書(ジーニアス)で調べてみると bring [file, start] a suit against him (彼を告訴する) という表現がありましたがここではsuitにaがついています。また別の辞書(プログレッシブ)でもsuitにはaがついていました。 研究社の英和活用大辞典によるとsuitにaがつく表現以外に She declared she would bring suit against the Italian paper. enter suit in court file suit for divorce とsuitが冠詞なしで表されています。この違いはいったいどのように説明できるのでしょうか?最初の文でA.T & Tというのが会社かなにかの名前でここではその訴訟が一つ二つと数えるよりももっと全体的に抽象的に考えているから抽象名詞ということになって冠詞がつかないのかなぁ?などと思ったのですが、実際のところ良く分かりません。それにもしかりにここで加算名詞として扱い、aをつけるとか複数形にするとかしたら文法的に誤りとなるのでしょうか? 長い質問でしたが、どうかご説明よろしくお願いします!

  • 不可視の冠詞について

    以前<無冠詞とゼロ冠詞について>という質問投稿をしました。その時に検討課題として残しておいた問題を再度取り上げたいと思います。これから、無冠詞についての説明を行いますがおかしいと思われる点があればご指摘下さい。テーマは働きや性質が異なる無冠詞を区別する際に、どのようなやり方があるかということです。この議論を進めるからには、このような区別にたしかに意味があるとする前提で話を進めなければなりません。ご了承をお願いします。  説明の際には、最初に登場する無冠詞を無冠詞Aとし、ついで無冠詞Aと明らかに働きや性質が異なると思われる無冠詞を無冠詞B, C, ---とする、という体勢で臨みたいと思います。  まず、無冠詞(冠詞がつかないこと)がどのような事態なのかを説明します。そのためには、冠詞(不定冠詞)がつくことがどういう事態なのかという議論から始めなければなりません。(なお、今回の議論においては定冠詞は関係のない話題なので、これ以降、不定冠詞は単に冠詞という言い方で話を進めます) 冠詞が使用されるようになったのは、数えられるものに対して、数えられるものであることを示すための目印をつけるようになったことに始まります。例えば、ライオンであれば、それまでLion is running toward us. (現代英語で使用される語彙を使っています)だったのが、A lion is running toward us. となったわけです。何のためにそのようなルールを作ったかということですが、数えられるものと数えられないものの識別が文中において目に見える形でなされてほしいという要請によるものだったと推測されます。 その場合に、あるものが数えられることを示す要件は、そのものが空間的に一つのまとまりを持つと認められることでした。a lionは空間的にひとまとまりのものとしてとらえられるライオンの姿を表すわけです。  逆に、数えられないものは空間的なまとまりを持たないものです。それにはどのようなものがあるのでしょうか。  一般に<もの>は必ずカテゴリーと実体を表します。カテゴリーは概念によって表されるものなので(概念は心の中にあるものなので)数えることはできません。よって、カテゴリーを表すwater(物質名詞), love(抽象名詞), John Smith(固有名詞)を数えることはできません。 ただし、数えられるものの場合は、例えばライオンの場合、カテゴリーを表すのはa lion とthe lionとlionsです。--- A lion is a wild animal. / The lion is a wild animal. / Lions are wild animals. ここでのa lion, the lion, lionsは概念ではありません。lionという概念の外延でしかないものなのに(上のような特殊な文中において)内包的な働きを行い、カテゴリー(ライオンの種族)を表します。 この時、カテゴリーを表す普通名詞lionには冠詞がつくのに、カテゴリーを表すwater(物質名詞), love(抽象名詞), John Smith(固有名詞)にはつきません。統語的に偏りが存在すると言えます。この偏りを改善しようとすれば、water, love, John Smithに不可視の冠詞がついているのだと考える必要があります。この場合の無冠詞を無冠詞Aとしておきます。無冠詞Aはカテゴリーを表す不可算名詞につけられるものということになります。  では、実体の方はどうなのでしょうか。a lionは空間的なまとまりを持つ実体(実物)としてのライオンを表しますが、普通名詞ではなく数えられないもの-water, love, John Smith-の場合はどうなるのでしょうか。実体であっても空間的に一つのまとまりを持たないもの-数えられないものには冠詞がつかないはずですが、実際、waterには冠詞がつきません。loveも同様です。(なお、不可算名詞の可算名詞用法(a water 湖 / a love (of art) / a John Smithは可算名詞の用法に準じます) ところが、固有名詞のJohn Smithは実物として一つのまとまりを持つものです。現実に身長や体積を測定することができます。ところが、実物のJohn Smithはこの世に一つしかないものと想定されるので数えることができません。よって、不定冠詞をつけることができません。 物質名詞(waterなど)や抽象名詞(loveなど)は実体であるにもかかわらず空間的なまとまりを持たないので冠詞つかないわけですが、それらには実は不可視の冠詞がついているのだと考えることができます。その場合の無冠詞を無冠詞Bとしておきます。 John Smith(固有名詞)は実体であって空間的なまとまりを持つものですが、冠詞がつきません。その場合の無冠詞を無冠詞Cとしておきます。 冠詞のつかない状況を3種類紹介したことになりますが、もう一つ抑えなければならないものがあります。先ほど紹介したカテゴリーを表すlionsです。(Lions are wild animals.) 無冠詞Aはカテゴリーを表す不可算名詞につけられるものでしたが、lionsはカテゴリーを表す可算名詞です。それなのに冠詞がついていません。 形態素の- s -は名詞が数えられるものであることを示すために登場しました。ところが、それは同時に複数のものであることを示すものだったので、単数でありかつ数えられるものであることを示す働きを持つものとして不定冠詞が登場しました。そうすると、- s - が複数を表すものであるだけに、oneの意味(一つという意味)が残っている不定冠詞を- s - と共起させることはまずいということになります。その場合、lionsは1ではない自然数のライオンたちということになります(1<X <∞)。ということは、一定の数量的な(空間的な)まとまりを持たない集団だということになります。この場合に使われる冠詞を無冠詞Dとしておきます。 ところで、When the hunters got out of the jeep, they saw lions running in the prairie. という文も書けます。実物を表すlionsですが、一定の数量的な(空間的な)まとまりを持たない表現です。この場合に使われる冠詞を無冠詞Eとしておきます。 結局、無冠詞が5種類取り出されました。これは面倒だということで、区別することを放棄して一括して「無冠詞」として扱うことも可能です、実際、冠詞の解説書の多くがそうしています。  5種類のすべてを認めることは非効率的です。可視の冠詞でさえ2つしかないわけですから、実際的な面、例えば冠詞の指導といった面を考えると、せいぜい2つに絞るべきだと思います。実際、ゼロ冠詞とナル冠詞という呼び名が流布されていることだし、その線で考察を進めたいと思います。では、5つの無冠詞をどう調整するかということですが、ここで整理しておきます。  無冠詞A-カテゴリーを表す不可算名詞につけられるもの (water, love, John Smith) 無冠詞B-実体であるにもかかわらず空間的なまとまりを持たない不可算名詞につけられる もの (water, love) 無冠詞C-実体であって空間的なまとまりを持つにもかかわらず数えられないもの (John Smith) 無冠詞D-カテゴリーを表す可算名詞で、空間的な(数量的な)まとまりを持たないものにつ      けられるもの (lions) 無冠詞E-実体を表す可算名詞で、空間的な(数量的な)まとまりを持たないものにつけられ     るもの (lions) 絞り込みのやり方として、もっとも適当と思われるやり方を考えてみたいと思います。絞り込む前に、不定冠詞がいかなる目的のために作られたものであるかを再確認しておきます。要は、数えられるものと数えられないものを区別するためのものだったわけですが、それは空間的なまとまりをとらえることができるかどうかという問題と関わっていました。そうであるなら、絞り込みのポイントはそうした観点から考察するのが適当だと考えます。 5つの無冠詞のうち空間的なまとまりをとらえることができる(限定詞と同じ発想の)ものは無冠詞Cだけです。そうすると、無冠詞Cとそれ以外の無冠詞(無冠詞A,B,D,E)を区別するのが本義に沿うやり方ではないかと思います。 ところで、付け足しになりますが、固有名詞John Smithの実体(外延)であるJohn Smithは言語共同体において唯一のものと承認されているものなので、定冠詞がついているのと同じ効果を持ちます。そのことも考慮に入れると、やはり、無冠詞Cは別格の存在ではないかと思います。 これ以外の区別の仕方として、カテゴリーか実体かというのもありますが、あまり本質的な着目ではないという気がします。ご意見をお待ちします。

  • 冠詞について質問です。

    以下の3問が辞書をいろいろ引いたんですが、答えが出せませんでした。 次のカッコに適当な冠詞をいれなさい。不必要な場合は罰を記しなさい。 1.The walls of () arteries accumulate deposits of () fat, which in turn conbine with () calcium from body fluid. 2.One of the major functions of () liver is to maintain a uniform level of () glucose in () blood. 3.() electrocardiography visualized no disorder. 自分が思う答えは、 1 the × × 2the × the 3× だと思うんですが、どうでしょうか。 できれば一つずつに解説を希望いたします。 冠詞に詳しい方お願いします。