• ベストアンサー

現代仮名遣いとアメリカ人

アメリカ人が日本語を習う時,現代仮名遣いはスペリングでなくて発音記号みたいだという違和感を持つというようなことはないのでしょうか。ちょうちょうよりてふてふの方がいかにも蝶々が飛んでいるように感じます。

  • 英語
  • 回答数4
  • ありがとう数5

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • esistdas
  • ベストアンサー率33% (104/306)
回答No.4

ようやくkaitaradouさんの主張が読めました。 ★英語では、音声と(対応する)表記との間に乖離が見られる[事実] →当該言語話者は、乖離している状態が標準であり[まぁ事実]、 一致している言語には違和感を感じるはずだ[推測] ということですね。 およそ地球上で用いられている言語(verbal languageに限定)の中で、音声をもたない言語はないでしょう。それに対し、文字(または表記法)をもつ言語は限られています。 文字をもたない言語を言語学者が「記述」する際には、その音で記述します。ここでは、音声と表記が厳密に一致します。 文字をもつ言語のうち、音声と表記がどの程度一致するか。ラテン語あたりでは、まだ両者の一致の度合いは高いでしょうし、韓国語も一部の助詞などを除いて音声に忠実です(というよりも、忠実であるように文字を作ったわけですが)。一方、デンマーク語では綴りが発音のきっかけにすぎず、そのまま発音してもまず通じないと聞いたことがあります。また、日本語における漢字の当て字も厄介ですよね。 英語はその中間に位置するでしょう。G. B. ショーのように、音声と表記の乖離に苦言を呈した例もありますが、もはや変えようもないのでしょうね。しかし、これが英語話者の標準であるかといえば、即座にyesとはいえません。母語が音声と一致しない表記である言語だからといって、他国語にもそれを求めるとは考えにくいのです。よくは知りませんが、外国人が日本語を学ぶ場合、まずは音のみ、またはローマ字表記から始めるのではないでしょうか。ここに音との乖離があるはずがなく、しかしスンナリと頭に入っていくはずです(日本語は、読み書きがなければ学びやすい言語らしいので)。 これにより、ご質問文中の「違和感」に対する反論を挙げることとなります(もっとも、romanizeする際に「英語表記っぽく」することは十分にありえるでしょう。例えば、カズをKazuとせずKazとするとか)。 また、ご質問の「ちょうちょうよりてふてふの方がいかにも蝶々が…」のご主張にも同意しかねます。あくまで個人的な不同意であり、何ら客観的な根拠があるわけではないですが… 私自身、歴史的仮名遣いで育ったわけじゃないからでしょうかね。

kaitaradou
質問者

お礼

大変ご丁寧な解説をいただきありがとうございました。おかげさまでかなり疑問が解決された感じがします。

その他の回答 (3)

  • esistdas
  • ベストアンサー率33% (104/306)
回答No.3

既に回答が出ておりますが、私はいまだにご質問が理解できていません。第一文と第二文は、論理上どのようにつながっているのですか? 第一文では、現代の日本語の仮名遣いが「(歴史的仮名遣いよりも)音に忠実だ」ということを言っておられるのだと思います。これは事実でしょう。確かに整合しない部分はありますが、歴史的仮名遣いよりは音に即した表記になっています。 第二文では、文字から受けるイメージについて述べておられるのでしょうか?それとも、てふてふを「てふてふ[teФuteФu]」と発音したときの話でしょうか? 「いかにも蝶々が飛んでいるように感じます」について、詳しい説明をお願いします。(難しく考えすぎなのかな…?)

kaitaradou
質問者

補足

うまく自分でも把握できないのですが強いて表現するならばちょうちょうとだとちょうちょうという字が飛んでいるかのようにというか,うまく表現しにくいです・・・てふてふだとちょうちょうといったときに音があまりにも違うのでてふてふという字が飛んでいるとは思いにくく(やむなく?あるいは比較的自然に?)実物の蝶々を想像しやすいというような感じでしょうか・・・私にとってこれは英 語の発音記号と単語の関係に似ているように思うのですが・・・

  • vanvanus
  • ベストアンサー率21% (18/85)
回答No.2

まず、いわゆる現代仮名遣いは発音通りではない部分があり、その点では歴史的仮名遣いと同様です。そして、論理性では歴史的仮名遣いの方が優れているといえます。 まあ、アメリカ人で外国語を学ぶ人は少なく(だからアメリカ語はわかりづらくなるのですが)、その中でも志の高い人しか日本の古典には眼を向けませんから、そういう外国人は共に話すに足るわけですが。

kaitaradou
質問者

お礼

ご教示どうもありがとうございました。

noname#27172
noname#27172
回答No.1

そのような疑問はあまり起こらないと思います。 先ず、アメリカでは外国語の学習自体 あまり熱心ではなく、それに日本語の地位は、スペイン語、フランス語、ドイツ語、中国語の次で第5位くらいだと思います。それに、日本語の古文を学習する人は極めて限られています。日本でギリシャ語を学習している人くらいしかいないでしょう。 歴史的仮名遣いは 現代仮名遣よりも少し難しいので、 違和感を持つとしたら、むしろ 歴史的仮名遣いの方だと思いますが。

kaitaradou
質問者

お礼

早速どうもありがとうございました。スペリングと発音が違う方が言葉としての落ち着きが良いのだろうかと思ったものですから。

関連するQ&A

  • 歴史的仮名遣いの発音についての疑問です。

    歴史的仮名遣いの発音についての疑問です。 同仮名遣いでは、例えば、今日(きょう)は「けふ」と表記し、蝶々は「てふてふ」と表記します。 そして、現代のわれわれはそれを読むとき、それぞれ「きょう」「ちょうちょう」と発音します。 学校でもそう教えられました。 では、当時の人々はどう読んでいたのでしょうか。 まさか、われわれ同様、「きょう」「ちょうちょう」とは読んでいなかったと思います。 それよりも「けふ」「てふてふ」に近い発音ではなかったかと想像されます。 かりにそうだとしたら、学校でも、社会でも、歴史的仮名遣いの読み方は、 現代仮名遣いの表記に直して発音するのではなく、 表記通りに発音するように改められるべきではないでしょうか。

  • 現代仮名遣いについて

    こんにちは。 中学生の問題集の問題について教えてください。 (1) 「諸矢をたばさみて的に『向かふ』」を現代仮名遣いに直すという問題です。 「向かふ」は「向こう」と直したらなぜだめなのでしょうか? au は ou になるのではないのですか?? (2) 現代仮名遣いに直すとは、口語に直したときに発音する文字に直せばよい、ということですか? (3)家の『作りやうは』の『 』を現代仮名遣いに直すと、『つくりようは』であってますよね? ご回答よろしくお願いします。

  • いたう を現代仮名遣いにすると?

    古文で「いたし」の連用形「いたく」のウ音便「いたう」を、現代仮名遣いになおすと、そのまま「いたう」ですか?それとも「いとう」ですか?また発音はどうなるのでしょうか?よろしくお願いします。

  • 現代仮名遣い

     現代仮名遣い=今の私たちが発音するときの読み方 …と断言して良いのでしょうか?何か違うような気がするのですが、辞書的な説明は今いち分かりにくく、すんなりとのみ込めません。    分かりやすいご説明があれば、お願いいたします。

  • 現代仮名遣採用の理由とそこに隠された陰謀とは何でしょうか。

    ウィキペディアの「歴史的仮名遣」の項目に 『GHQの民主化政策の一環として来日したアメリカ教育使節団の勧告により、政府は表記の簡易化を決定、国語審議会の検討による「現代かなづかい」を採用』 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E7%9A%84%E4%BB%AE%E5%90%8D%E9%81%A3#.E6.AD.B4.E5.8F.B2 とありますが、なぜ「歴史的仮名遣」を当時の政府は捨てたのですか。アメリカ教育使節団の主要提言の「国語改革」では、「国語について漢字、ひらがな、カタカナを廃止しローマ字のみにすること。」であり「現代仮名遣」への変更ではなかったと思うのです。  中学の時、塾の国語の先生が歴史的仮名遣について少し触れた上で次のように指摘してくれたのですが、このことが忘れられません。 「旧仮名遣のように、英語の単語の中にも発音しない語がたくさんあるじゃないか。」(例 Washingtonのgは、発音しませんよね)「それなのにどうして、現代仮名遣にさせたんだ。これは、奴らの陰謀で五十年後、百年後に日本人が馬鹿になり国が滅びるようにするための仕掛けだと先生は思う。文章中に「~してえ」を「~してー」とか携帯を「ケータイ」とか書くようになったら日本人は終わりだ。そして、今まさに奴らの計算通りになっている。」 と仰ったのです。 そこでお尋ねしたいのですが、まず歴史的仮名遣から現代仮名遣への転換理由はなぜですか。それから、言葉の表記が「~してえ」を「~してー」などになるとともに日本人は馬鹿になると思われますか?またそのように判断するのは、なぜですか? ちなみに指摘した教師は、某私立中学・高校の国語教師で塾の国語の教師もしていました。 なお随時質問を補足欄に追加するかもしれません。それと参考URLを教えていただけるとありがたいです。実は、大学のレポートでこのことについて取り上げるつもりなのです。ご協力お願いします。

  • 本が現代の仮名遣いになったのはいつからでしょうか?

    数学の絶版本をネットで注文したのですが、ページを開いたら昔の歴史的仮名遣いの本でとてもがっかりしました。(昭和12年と21年) もうこんな後悔はしたくないので、 何年ぐらいの本から現代の仮名遣いになったのか知りたいです。 どなたかご存知の方がいましたら教えてください。 よろしくお願いします。

  • 万葉集の現代仮名遣いについてです。

    次の文を現代仮名遣いにしたいのですが、私の現代仮名遣いはどこら辺が違いますか?教えて下さい。 「天地の別れし時ゆ、神さびて、高く貴き駿河なる富士の高嶺を、天の原振り放け見れば、渡る日の影も隠らひ、照る月の光も見えず、白雲もい行きはばかり、時じくぞ雪は降りける、語り継ぎ言ひ継ぎ行かむ、富士の高嶺は           田児の浦ゆ、うち出でて見れば、真白にそ、富士の高嶺(たかね)に、雪(ゆき)は降りける」 (私の現代仮名遣い) 「あめつちの わかれしときゆ かむ(かん?)さびて たかくたふとき(とうとき?) するがなる ひふじのたかねを あまのはら ふりさけみれば わたるひの かげもかくらい てるつきの ひかりもみえず しらくもも いゆきはばかり ときじくそ ゆきはふりける かたりつぎ いいつぎいかん ふじのたかねは      たごのうらゆ うちいでてみれば ましろにそ ふじのたかねに ゆきはふりける」 長くなり、すいません。教えて下さい。

  • 短歌の仮名遣い

    短歌を作られる方は、大体「古い日本語」を使われているようです。 この古い日本語の仮名遣いは、 明治に制定され教育を受けった「歴史的仮名遣い(旧仮名遣い)」ですか。 それとも、もっと古い「定家仮名遣い」ですか。

  • 旧仮名遣いを調べる辞書やサイト(思い出=おもひで?おもゐで?)

    てふてふ=蝶々 いきませう=いきましょう などなど、旧仮名遣いは現代社会でも様々な場所で見かけます。 また、あえて旧仮名遣いを使用した小説、エッセイもあります。 自分では使う機会はありませんが、中学生の時に、 卒業文集名を「おもひで」としたところ、 国語の先生から「"おもひで"ではなく、"おもゐで"です。理由は○○です」 といわれました。 理由のところが大事なんですが、忘れてしまいました。 その後、海音寺潮五郎か司馬遼太郎の本でその理由を見かけましたが、 それも忘れてしまいました。 そこで質問です。 (1)なぜ、"おもひで"ではなく"おもゐで"なんでしょうか? (2)これらの表記に困ったときに、参考にする辞書やサイトはありますか?

  • 古典.現代仮名遣いに直してください

    いつもお世話になっております。 古語辞典で調べてもわからなかったので質問させてください。 (1)呼び据ゑ奉れり (2)思ひをり (3)唐土 (4)ゐ給へり の読み仮名を、現代仮名遣いのひらがなに直してください。 お願い致します。 また、竹取物語でかぐや姫が右大臣に要求した『火鼠の皮衣』にはどのような特徴があるかもわかる方、回答をお願い致します。