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「が」と「は」の違い

pocariblueの回答

回答No.7

「が」と「は」の違いは、語り手の視野に依存しているように感じます。 「リンゴは赤い」と言った場合、 「リンゴとは一般的に赤いものです」というニュアンスを感じます。 この時の語り手の視野を想像してみると、 やや距離をおいて、比較的広い視野でリンゴを見ているイメージになります。 一方、「リンゴが赤い」と言った場合、 「今、目の前にリンゴがあって、そのリンゴが赤い色をしている」という ニュアンスを感じます。 この時の語り手の視野を想像してみると、 リンゴに焦点をあてて、比較的狭い視野でリンゴを見ているイメージになります。 このような違いを桃太郎の例に当てはめてみると、 初めの文は、おじいさんとおばあさんの初登場のシーンなので、 この二人にスポットをあてて「が」が使われる、 次の文は、山にいるおじいさんを見ていると同時に、 川にいるおばあさんを見ているので、離れた視点になり「は」が使われる、 という解釈が成り立ちます。 今、私が思いついたことを書いただけなので、この回答に自信はありませんが、 こんな風に考えてみては如何でしょうか。

Lariat
質問者

お礼

 語り手の視野というのは、新しい考え方ですね。どちらに焦点(スポット)をあてるかという点については、今までご回答いただいた方々とだいたい同じだと思いますが、対象との距離で考えてみるのは、なかなか面白いかも知れません。  ありがとうございました。

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