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金と銀

今では金銀、貴金属は高価で価値があるようですが、昔の日本、時代劇に見る一分銀や小判は今の100円や500円のように普通に金や銀が使われていました。佐渡金山に石見銀山と金と銀がよく採掘されていたようですが、金銀が現在の様に付加価値と言いますか、高価になったのはいつからどのような経緯でしょうか。 金と言えばプレートとして見ると高いですが、結局は携帯等の小さな部品々には使われていますし、明治の一圓銀貨は1万円台、50銭20銭銀貨なんか5000円で売ってます。特年やスラブ入りになると高くはなってます。 先に申しましたように、江戸時代今の50円100円に普通に金銀が使われていたと思うと、なんとも不思議な気がします。

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  • ベストアンサー
  • t_ohta
  • ベストアンサー率38% (5071/13250)
回答No.1

江戸時代の一両小判は現在の価値で10万円から15万円相当となります。 一分銀4枚で一両なので現在の価値で2.5万円から3.75万円相当となります。 庶民が使っていたのは銅銭です。

ryouseikoku
質問者

お礼

時代劇で助さん格さんや八兵衛が主人に、「はいよ」と払っていたのは一分銀ではなく銅だったのですね。 興味深い回答ありがとうございました。

その他の回答 (1)

  • iq00001
  • ベストアンサー率15% (40/266)
回答No.2

>江戸時代今の50円100円に普通に金銀が使われていたと思うと、なんとも不思議な気がします。 金本位制・・1816年に英国で始まった金を通貨の価値基準とする制度。 各国の中央銀行が発行した紙幣と同額の金を保有し、いつでも相互に交換することを保証する。 19世紀から20世紀の初めにかけて世界で取り入れられていたが、1929年の世界恐慌以降、相次いで廃止。 金の価値があるから成り立つ世の中です。 >携帯等の小さな部品々には使われていますし 金は電気にも一番重要なのです。接触抵抗や腐食に一番の金属です。本当は代わりになるものがあれば安い金属を使います。無いのです。

ryouseikoku
質問者

お礼

ありがとうございました。

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