ロシア人の北方領土への意識とは

このQ&Aのポイント
  • ロシア人の北方領土に対する意識について解説します。戦争の結果、ロシアの領土になったという認識が一般的ですが、その背景にはさまざまな要素があります。
  • 北方領土問題に関して、ロシア人の意識は以下のように分かれています。1つ目は、戦争によって勝ち取ったロシアの領土であるとの認識です。2つ目は、国際法違反を自覚しながらも、力があるならばそれが許されるという考え方です。3つ目は、密約の方が優先されるという見解です。一般の人々の意見についてもさまざまな考え方があると言えます。
  • 以上がロシア人の北方領土に対する意識についての要約です。
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北方領土に対するロシア人の意識について

テレビでよく見るのが「戦争の結果、ロシアの領土になった」というロシア人の受け答えをよく聞きます。が、それ以上、突っ込んだインタビューを聞きません。 そもそもロシアとはこれが初めての戦争ではなく、その前にもいろいろありました。 ロシア人はどういう根拠でロシアの領土だと思っているのでしょうか。 1.詳しい経緯は知らない。それまでにもロシアと日本は戦争をしている。ロシアだって悔しい思いをしたことはある。北方領土問題については、どちらかが一方的に悪いというわけではない数ある戦争の中でロシアが勝って領土を取ったというだけの事。 2.日ソ中立条約があったのは知っていて、それがロシアによる明確かつ一方的な国際法違反だと知っていて、自分たちの行いが人間としても非道だという事を承知した上で、力さえあればそういう事をしていいと思っている。 3.日ソ中立条約があったのは知っていて、連合国の密約のほうが優越するので条約違反自体は問題ではないと思っている。 4.その他 プーさん個人は2番だと思いますが、一般の人がどう思っているのか知りたいです。

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  • sr1903
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回答No.7

>ご回答ありがとうございます。 ロシア人がこれから北方領土をどうしたいかではなく、「ロシア人はどういう根拠でロシアの領土だと思っているのでしょうか。」にお答えいただければ。 ↓を見て下さい。 いわゆる「北方領土の問題」は、択後島、国後島、歯舞群島、シコタン島のクリルチェーンの4つの島の所有権の問題です。しかし、もちろん「北部」は日本向けです。そしてロシアにとって、これは千島列島南部の問題であり、その所有権は日本によって争われています。この論争は半世紀以上続いていますが、ほとんどの場合、滑りの状態にあります。時折、問題が言及されましたが、問題の解決策は宣言を超えていませんでした。始まった新ラウンドがどのように終わるのかはわかりません。しかし、あなたは問題の歴史を思い出そうとすることができます。 最初の噂 ロシアも日本も17世紀に千島列島について学びました。ここに現れる前は、これらの領土にはアイヌが住んでいました。アイヌは、昇る太陽の国の住民自身が日本列島から追い出されました。アイヌ語で「くる」という言葉は「人」を意味します。それで彼ら自身が「千島列島」と呼ばれるようになり、島々は千島列島と呼ばれました。 日本人自身については、1635年から1637年に北海道とサハリンに遠征した結果、千島列島について学びました。その結果に基づいて、サハリンと千島列島の最初の日本地図が編集されました。精度に違いはありませんでした。島は北海道の東にある小さなグループによって指定されました。 アイヌ。写真:wikipedia.org これらの領土についてのロシア人の知人は、少し後で、イヴァン・モスクヴィチンのキャンペーン中に起こりました。キャンペーンについて報告している彼の分遣隊からのエニセイコサック-ひどくイワンコロボフ-は、「座りがちなギリヤク」が住んでいる海の島々について話しました(ニヴフはギリヤクと呼ばれていました)。Muscovitesは、ウリヤ川の河口で越冬した後、1640年に地元の指導者からこの情報を受け取りました。コロボフはサハリンアイヌについても言及しましたが、多くの研究者によると、コサックはそのキャンペーンでサハリン自体と千島列島に到達しませんでした、そしてこの情報は海の海岸の住民からも受け取られました\ u200b\u200bOkhotsk。 初見 17世紀後半、ロシア人入植者は主にアムール地方に定住しました。おそらく、状況がなければ、コサックはカムチャツカ半島と千島列島にすぐには到達しなかったでしょう。しかし、アムール地域ではロシアと中国の利益が衝突した。1685-1686年、紛争の結果、アルバジン戦争が発生しました。その間、ロシア人入植者は、清軍からアルバジンスキー刑務所を2回防衛しなければなりませんでした。その結果、1689年にネルチンスク条約が調印され、ロシアと中国の国境が確立されました。この境界設定の結果として、ロシアはアムール地域の領土を失っていました。この地域を開発する機会を失ったコサックは、より北の土地の開発に力を注ぎました。千島列島を含む。 ウラジミールヴァシリエビッチ阿頼度。写真:wikipedia.org 千島列島に関する新しい情報は、カムチャッカウラジミールヴァシリエビッチアトラソフの探検家によってもたらされました。ヴォログダの農民の出身で、ヤクーツクで20年間奉仕し、東シベリアをよく研究しました。より遠い土地について学び、アトラソフは大きな分遣隊を集め、1697年に当時未踏のカムチャツカ半島に移動しました。彼は半島のはるか南に行き、そこでカムチャツカ半島と千島列島の南に住む「千島列島」に会いました。彼はアトラス諸島自体には到達しませんでしたが、彼らを見たと報告しました。 殺人の贖罪 アトラソフのキャンペーンのおかげで、ロシア人はカムチャツカに定着しましたが、この所有は穏やかではありませんでした。コリャーク人はしばしば反抗し、コサックのグループはしばしば互いに敵対し、店員は秩序を達成することができませんでした。1707年にここでアトラソフ自身が任命されたとしても、状況は変わりませんでした。さらに、1711年に、服従から出てきたコサックは、ニジネ-カムチャツカ刑務所でアトラソフを殺害しました。コサックサークルでアタマンのダニラ・ヤコジレフスキーとイワン・イワン・コジレフスキーが殺人の理由を説明する請願書を書いた(アトラソフに加えて、反抗的なコサックは他の書記官を扱った)。彼らは新しい土地を探し、新しい部族にヤサクを課すことを約束しました。 彼らの罪悪感を贖うことを熱望し、1713年にコサックは「海の島々」を探索するためにボルシェレツクから出発しました。彼らには、嵐の最中に誤ってカムチャツカに連れてこられた日本人翻訳者が同行しました。灯台船では、コサックがクリル海嶺に沿った航路を探索し、イワン・コジレフカが島の北部の最初の目録を作成しました。彼は当時の千島列島が誰のものでもないことを知りました。コサックは占守島に上陸し、地元のアイヌの分遣隊と幌筵島を打ち負かしました。これが千島列島のロシア併合の始まりでした。  千島列島は長い間ロシアの所有物ではありませんでした。日本は18世紀の終わりからこれらの領土を主張し始め、19世紀の後半にいくつかの条約に署名することによって紛争は解決されました。1855年2月7日、最初の条約である下田条約がロシアと日本の間で調印されました。この協定によると、国の国境は、日本を出発した択後島とロシアが所有していた択後島の間の択後海峡を通過した。択後島とともに、日本は国後島、四国島、歯舞群島も受け入れました。これらの島々を合わせて「北方領土」と呼ばれ、2月7日は後に日本では北方領土の日として祝われました。 島の割譲と共通の国境の確立は、最初の日露条約の唯一のポイントではありませんでした。ロシアは貿易において最恵国待遇を受け、その船のためにいくつかの港が開かれた。ロシア領事館はこれらの港に開くことが許可されていました。合意のもう一つのポイントは、両国の共同の不可分な所有物に変わったサハリンの問題でした。島のこの位置は、その後、新しい条約の締結の理由でした。 ロシアはすぐにサハリンを開発し始めました。島はロシア人入植者によって定住し、石炭鉱床の開発が始まり、北海道の開発に忙しい日本人はサハリンの南端でしか釣りに従事していませんでした。しかし、サハリンでのロシアの存在感の高まりは、日本で懸念を引き起こしました。日本では、島を50度線に沿って分割するか、少なくとも南部を借りることを提案しています。しかし、この島の問題については、ロシアは確固たる姿勢を示した。 1875年、ロシアと日本の間のサンクトペテルブルクで新しい条約が調印されました。これによると、後者はサハリンへの請求の放棄と引き換えにすべての千島列島を受け取りました。しかし、日本の買収はそれだけではありませんでした。1904年から1905年の日露戦争後、ポーツマス平和条約の下で、ロシアもサハリン南部を失い、日本に譲渡されました。 戦争と島々 千島列島の所有権の問題の変化は、第二次世界大戦をもたらしました。2月4日から11日まで、ビッグスリー(スターリン、ルーズベルト、チャーチル)に代表される反ヒトラー連合の第2回会議がヤルタで開催されました。そのポイントの一つは、ソ連が1941年4月13日に中立協定に署名した日本との戦争へのソ連の参入の問題でした。スターリンは同意したが、サハリン南部とすべての千島列島がソ連に返還されることを条件とした。同盟国間の合意は1945年2月11日に正式化されました。 ソ連は協定の一部を履行し、1945年8月から9月に、千島列島はソビエト軍によって占領されました。1951年9月8日にサンフランシスコで開催された会議で、日本との同盟平和条約が締結され、日本はサハリン南部と千島列島を放棄した。問題は解決されたようです。しかし、日本は択後島、国後島、歯舞群島、四季島を千島列島と見なすことを拒否したため、彼女はそれらを拒否しませんでした。ソビエト連邦はこの立場を好まなかったし、協定は署名されなかった。  スターリンは日本との平和条約の欠如についてあまり心配していなかった、そして彼は単に彼女の領土主張を無視した。ニキータ・セルゲビッチ・フルシチョフはこの問題に対して異なる反応を示し、問題の存在を認識しました。1956年10月19日、モスクワでソ連と日本の間の宣言が署名され、戦争状態が終結し、外交関係が回復しました。そして、この宣言はまた、平和条約の締結後、歯舞群島と四季丹島の2つの島を日本に移転することへのソビエト連邦の同意を宣言した。 しかし、合意は破綻しました。残りの2つの島である国後島と択後島への請求を放棄しないことを要求した米国の恐喝のため、日本は条約に署名しなかった。そうでなければ、アメリカは琉球列島を戦後支配下にあった日本に返還することを拒否した。一方、ソ連自体は、日本が1960年に米国と協定を結び、日本領土に米軍が駐留することを認めた後、島の移転を拒否しました。結局、NATOの軍事基地がソビエト国境に出現する可能性があります。その結果、ブレジネフの下で、彼らは領土問題を無視するというスターリン主義の立場に戻った。

subarist00
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。これはロシアの教科書か何かでしょうか? アイヌがロシアであることも、北方4島がロシア領土である根拠も一切無いような記述ですね。 むしろ一生懸命かかわりがあるかのような記述をしてみたものの根拠が書けなかったかのような感じ。

その他の回答 (6)

  • sr1903
  • ベストアンサー率38% (5/13)
回答No.6
subarist00
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ロシア人がこれから北方領土をどうしたいかではなく、「ロシア人はどういう根拠でロシアの領土だと思っているのでしょうか。」にお答えいただければ。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.5

No4、 「~北海道に屯田兵~何か問題~?」 …いや、そんな明治とか近代の話ではないから。 参考に言うなら、 モンゴル帝国滅亡からユーラシア大陸を支配した、古い大ロシア帝国回帰がプーチンの思想だよ。 古来から「ロシア極東と沿岸地域は帝国を構成するアイヌ民族の領域」というのが、ロシアの帝国時代からの認識だから。 (俺個人の考えではなくて、ロシア側の考えを解釈したものなんで反論されても困るけど。) 当時の実態としては、 和人が北海道南部に入植してアイヌと交易を始めたより以前から、 ロシア極東の沿岸部ではロシアと蒙古、アイヌの民族同士が相互に交易する場を既に設けていた。 (その実態を日本人が知ったのは江戸鎖国時代の後期。) …その交易の中心だった地域がロシア領土であり、ロシア帝国を構成するアイヌ民族の領域である事から、北海道を含むアイヌ居住域全体がロシア側領土認識の根拠となる。 その考え方は 本来は中国と冊封関係だった琉球王国を、薩摩が交易関係を根拠に日本の領土と認識したのに似てるかも。

subarist00
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。実際そういう認識なんですかね。 中国はその政権がいろんな民族にわたっているものの実際に黄河文明以降数千年もの間、東アジアにプレゼンスを確保してきました。しかしロシアは中世まではロシアの一国にすぎず、シベリアの東端に達したのは近代になってからです。おおよそもともとロシアのものなんて考えるのもおこがましいというか、もっと東の日本にも誰もいなかったはずだとでも思っているんですかね。まあアメリカは西へ進んで船淳民全て滅ぼしましたけど。

  • g27anato
  • ベストアンサー率29% (1166/3945)
回答No.4

ロシアの教育と認識 アイヌ民族はロシア帝国の一員。 …アイヌが居住した北海道までロシア帝国領土。 日本が樺太に侵攻。 …日露戦争講和の直前に侵略された。 北方領土 …連合国の協議による参戦で北海道を除く旧ロシア領土を奪還した。

subarist00
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >アイヌ民族はロシア帝国の一員。 >…アイヌが居住した北海道までロシア帝国領土。 そもそも日本が北海道に屯田兵を送って開拓している段階でロシアとの間で何か問題になりましたっけ? アイヌ民族が何か言うならわかりますが、ロシアが何か言う理由は無いように思いますが。 >日本が樺太に侵攻。 >…日露戦争講和の直前に侵略された。 これを言う人はいますね。だからロシアも第二次大戦が終わったのは8/15ではなく9月だと主張しているのだと思います。 ただ日ソ中立条約についてはなにも触れていませんが、やはり分が悪いと思っているのか。

  • eroero4649
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回答No.3

おそらく一般のロシア人は「北方領土問題そのものを知らない」が大多数だと思います。 日本人が「尖閣諸島は日本領でしょ?」となんとなく思っているのと同じ程度じゃないでしょうかね。尖閣諸島は日本が実効支配している島で、あれが沖縄諸島の一部だとするのは少々話が強引だと思います。 沖縄本島より台湾のほうがよっぽど近いのだから、本来は台湾に帰属したほうが自然といえば自然です。 北方領土についても、第二次世界大戦に敗北したときに、日本政府は千島列島の領有権を破棄すると明言しました。 だけど現在の北方領土にあたる択捉、国後、色丹、歯舞は千島列島の中には入らないと日本政府は解釈しています。 一方のロシア(ソ連)政府は「どう考えたってこの島の並びで千島列島いうたら択捉も国後も千島列島だろうがよ」と考えています。 ただ、日ソ共同宣言で北方四島はいずれ日本に返還することで合意をしています。ジャイアンと同じですね。「いつ返さないといった?永久に借りているだけだ」ってやつです。 領土問題なんて、世界中どこの国でもあることですよ。日本は北方領土と竹島と尖閣諸島くらいしかないから、少ないほうです。しかもどれも漁業に少し影響を与える程度で、ほとんど価値がありません。

subarist00
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。まあ尖閣も北方領土も相手からすれば知らない人が大多数だそうですね。ここでは知っている人がどう思っているか興味を持って質問してみました。その論理がどんなものなのか、純粋な興味です。 結果論としてもしも日本がアメリカではなく中国やソ連に占領されていれば、日本語の政府は残っていなかっただろうと思うし、どう見てもアメリカのほうが中国やロシアよりもマシな国だとも思いますが、そのことをいろんな角度から検証してみるのも面白いかと。

  • tzd78886
  • ベストアンサー率15% (2589/17101)
回答No.2

第二次世界大戦の戦勝国は戦争でやったことすべてが許されると考えているのです。同じようなことをやったのであっても敗戦国がやったことは犯罪になり、戦勝国がやったことは容認されてしまうのが現実です。「勝てば官軍」とはよく言ったものです。韓国が竹島を占領しているのはこれにすら当て嵌まりません。韓国は第二次大戦の戦勝国ではないからです。

subarist00
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。確かに世界中見渡してみれば第二次大戦中の国際法違反なんていくらでもありましたね。アメリカの東京大空襲や原爆投下はこれ以上ない非戦闘員への大量虐殺攻撃だし、捕虜の強制労働なんて日本も外国もやってたし。 知りたいのは「戦争の結果、ロシア領土になった」と言っている人がどう思っているかですが、数ある違反の中の目立たない普通の事、くらいですかね。

  • watanabe04
  • ベストアンサー率18% (295/1597)
回答No.1

条約破りは「やっても良い」と思っている国がいくつかありますね。 条約は締結したけど、守らなくてもよいよね。 え?条約って守るものなの? とか。

subarist00
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。1965年の条約を破ってるK国の事ですかね(^^; そう言われてみればロシアは確実にそれ以下だとは思います。 知りたいのは「戦争の結果、ロシア領土になった」と言っている人がどう思っているかです。

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