konstellationのプロフィール

@konstellation konstellation
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自己意識のなかで己自身について反省する思惟(Denken)は、フリードリヒ・シュレーゲルの、また、ノヴァーリスにおいてもその大部分の、認識論的論述の出発点となる根本的事実である。 ベンヤミン「フィヒテにおける反省と定立」

  • 登録日2004/03/08
  • どうして一方的なんでしょう?

    ご覧頂いて有難うございます。 私は、哲学については浅い知識しかありません。 失礼でしたら、すみません。 先日、ヒルティの幸福論を読んでいました。 その時ふと思いました。 『なんでこういった本は、「幸福とは、~である。」という風に、きめてかかっているのだろう』と。フランクルの時もそう思いました。 以前何かの本に、「物事を一方的に決めるのは、その人にその物事を理解するだけの能力がないからだ」と書いてあり、私の少ない経験上ですが、私もそう思いました。 著者の経歴や、文体からはとても「分別がない」ようにはとても思えません。どうしてこういう書き方なのでしょうか? 私だったら「~だと思う。」調に書くのにな~と思っています。 程度の低い質問ですが、宜しくお願いします。

  • 論文・作文を書くための本

    こんにちわ。今年から高校生になります。 この間、高校から「高校への希望や夢」という感じの作文の宿題が出ました。 正直驚きました。自分がこんなに文章が書けないとは。 私は国語が5教科で1番得意なので、どこかで自惚れていたのかもしれません。 とにかく、文章が全く書けないのです。 書けないといっても、用紙を埋めることはできたのですが、日本語になっていなかったり同じことを書いていたり。 文章の構成というものを全くわかっていないのだと思います。 私は目指している大学があって、そこはかなり難しい大学なので文章を書く練習もそろそろ始めなければいけないと思っています。 もちろんそれだけではなくて、文章を書くのが上手になりたいです。 こんな私でも文章の書き方を一から学べる、良い本はないでしょうか? 小論文・作文・感想文の書き方を学びたいです。それぞれの専門書でも良いです。良い本をご存知でしたら教えてください。 よろしくお願いします。

    • ベストアンサー
    • noname#27157
    • 文学・古典
    • 回答数2
  • Vistaで漢字変換が遅いのは何故?

    VistaのデスクトップPCの購入を検討してます。 店頭で色々と触っていたときに気付いたのですが、ワードを開いて日本語を入力する際、漢字変換が機種によっては随分と遅く感じました。 触ってみたのは以下の3機種です。  (1)NEC VL970/HG(Core2DuoE6300)  (2)NEC VL570/HG(Pentium4-531)  (3)NEC VS700HG(Celelon M420) 感覚としては、(3)は遅くてイライラするくらい、(2)は気持ち遅いかなというくらい、(1)はストレスなく快適、といった感じです。 今、私が仕事で使っているPC(Windows2000-SP4,PentiumM-1G)では、(1)と同じくらい快適に変換してくれています。(2)や(3)のCPUは自分のPCよりも高スペックのはずです。なのに単なる漢字変換くらいで、Vistaになっちゃうと何故こんなに遅いのでしょう? 文章入力が主な用途なので、これではCore2DuoのPCを買わざるを得ないです。

  • 金魚鉢の金魚はなぜ怒るのか?

     たとえば「宗教」や「神」をめぐる論争をしていて  相手が「目に見える世界」だけしか相手にせず、したがって「形而上のこと」を理解しない場合に、  「まあ、あなたが言っているのは、金魚鉢の中の金魚が外の世界を理解できないようなものなんですよ。  宗教はその外側に広がっている世界ですからね。理解できないのもしょうがないですね」  と言ったとします。(この比ゆは mmky さんのを勝手ながら使わせていただいています。ありがとうございます)  そうすると、猛然と怒る人間がいます。これはなぜでしょうか?  たとえば、私は下手ながら将棋をします。アマ名人クラスの年下の友人がいて時々指導してくれるのですが  「あなたの将棋はまあ、初段の手前をうろうろするぐらいですね。  2段以上になるためには、「位」が分からないといけない。  3段以上になるためには、「厚み」が分からないといけないんですが、そこまでは現世では無理みたいですね。」  と言われます。そう言われても  「そんなもんかなあ。」と思うだけで腹は立ちません。  いまだに「位」も「厚み」も分かりませんが、それが「分かる」「見える」という達人同士の世界は  他のことからの類推によって「想像する」ことは出来ます。  それがなぜ「宗教」や「神」の話になると  これだけ「いこじ」になる人が多いのでしょうか?  反論も大歓迎です。よろしくお願いします。

  • シラーのカント批判

    シラーがカント倫理への皮肉として書いた詩。「私は進んで友につくしている。しかし悲しいかな、私はそれを喜んでしているのだ。そこで私は自分は有徳な人間ではないのだという疑いにさいなまれている」という詩がシラーのどの著作に載っているのか知りたいのです。 ペイトンの著作『定言命法』でこの詩が引用されており、その引用箇所をみると"Ueber die Grundlage der Moral"の6説と書かれていますが、シラーにこのような著作があるのでしょうか?見つけられませんでした。ちなみにショーペンハウアーに同名の著作があるので見てみましたが載っていませんでした。 ヘッフェの『イマヌエル・カント』や中島義道の『モラリストとしてのカント』などにもこの詩を引用してありますが、なぜか引用もとが書かれていません(中島は訳者名のみ記している)。 日本語でもドイツ語でも構いません、このシラーの詩がどの著作のどこに書いてあるのか知っている人がいましたら教えて下さい。