climber(@politeness) の回答履歴

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  • シーア派とスンニ派はなぜ、いつも争っているのですか??

    シーア派とスンニ派はなぜ、いつも争っているのですか?? 学校の宿題で困ってます(>_<) お返事いただけたら幸いです(Тωヽ)

    • 締切済み
    • noname#109037
    • 経済
    • 回答数2
  • 法学「構成部分説」での抵当権設定後の従物について

    法学「構成部分説」での抵当権設定後の従物についてお聞きしたいのですが。 抵当権の及ぶ範囲について「経済的一体説」「構成部分説」の比較なのですが。 「司法書士プログレス3 P51」によると 経済的一体説では「付加一体物には従物も含まれ、抵当権の効力は民法370条により従物に及ぶ(設定当時の従物、設定後の従物を問わない)」 構成部分説では「従物は付加一体物には含まれないが、民法87条2項の解釈を通して、抵当権設定当時の従物はもとより、設定後の従物に対しても抵当権の効力は及ぶ」とされています。 上記からは結局、どちの説でも根拠法「民法370条」「民法87条2項」の理由の違いだけで、抵当権の効力が抵当権設定後の従物に及ぶと読み取れます。 「問題集 LEC合格ゾーン P766」によると [問い] 「Aが自宅の建物に設定した抵当権の効力が、抵当権の設定後に取りかえられた畳に及ぶかについて、経済的一体説では及び、構成部分説では及ばない」 [解答]○ 畳は建物の従物に該当する。 構成部分説では付加一体物に従物を含まない、「抵当権設定後に取りかえられた畳には、民法87条2項に基づいて抵当権の効力を及ぼす事が出来ない」とあります。 テキストによると、構成部分説でも「設定後の従物に対しても抵当権の効力は及ぶ」と記載されている事と矛盾が生じると思うのですが、 テキストの間違いなのでしょうか?なにか解釈や例外などがあるのでしょうか? 教えてください、お願いします。

  • 国債は大量発行してもかまなわないのでは?

    19:33 | 編集 郵政の限度額の引き上げに関し、反対意見が財政健全化を唱える人々から挙がっているようです。 集めた資金の運用を国債に依存して財政規律を扱うということですが、素人の私にはよく理解出来ないので教えを請いたくて記しました。 ・国の予算の執行のために国債で資金を集めるか、税金(国民資産の収奪)で集めるかの違いではないのでしょうか。 ・問題は資産の配分(予算の執行)の問題だと考えられないでしょうか? ・職のない若者があふれ、生活保護家庭の増加する国が健全財政を誇れるものでしょうか? ・よく、次世代に借金を残すなといわれていますが、社会インフラの整備を行ってきた現在は多くの資産もまた次世代に残しているのではないでしょうか? ・問題は現在の社会状況をどうするか、何に金を使うかで、その資金は国債の大量発行で構わないのではないでしょうか。国債を購入するのは最終的に資産家であり、しかも資産として手元に残っているのですから。 貧乏人の懐に手を居れ、ふんだくる消費税より良いと考えるのは間違いでしょうか。 是非ご教授お願いいたします。

  • 最近急激に宇宙というより星座や流星に興味を持った30歳男子ですが、今年

    最近急激に宇宙というより星座や流星に興味を持った30歳男子ですが、今年のペルセウス流星群は期待できますか?また、この一冊で星の事がある程度分かるオススメの本はありますか?子ども用の図鑑とかは分かりやすそうですけどね。

  • 地理についての質問です。

    地理についての質問です。 (1)グレートプレーンズの家畜について、域内の東西地域の特徴の違いを述べよ。 (2)アメリカ合衆国のめん化地域の中心は,ジョージア・オラバマ・南北カロライナ各州から、テキサス・オクラホマさらにはカリフォルニアの各州に移っている。移動したおもな理由は何か。 (3)カリフォルニア州では、近年地中海式農業生産物の地位が相対的に低下したといわれている。その原因は何か。 (4)春小麦地域と冬小麦地域の教会は北緯47度付近と言われる。しかし、大陸西部にはこれより高緯度で冬小麦地域が見られる。なぜか。 よろしくお願いします。 関連単語検索をしてみたのですが^^; 探しきれません^^; どなたかわかる方 よろしくお願いします。

  • こういう場合、刑法上のどういう罪になるのでしょう。

    「教授が学会で発表する為に必要な書籍を嫌がらせの目的で天井裏に隠した事件があったが、これは窃盗罪にならない」とある人が言っていました。 窃盗罪にならなければ刑法上のどういう罪になるのか教えて下さい。まさか、何の罪にもならないという事はないと思うのですが・・・

  • 文書偽造罪で、名義人につき「意識主体説」を採った場合、「A代理人B」と

    文書偽造罪で、名義人につき「意識主体説」を採った場合、「A代理人B」と表示された文書の作成名義人はBが自然でしょうか? 文書偽造罪における文書の名義人について、通説・判例は「意識主体説」といって「文書に表示された意識内容の主体」であるとします。 ところで、「A代理人B」と表示された文書の名義人は誰でしょうか? 代理人というのは、法定代理人と任意代理人がいますが、どちらも使者と異なり、本人から独立して行動し、独自に意思を表示するものとされています。したがって作成名義人は代理人であるBだと考えるのが自然だと思うのですが、いかがでしょうか? 判例は名義人について「責任主体説」を採らず意識主体説を採っているのに、「A代理人B」との表示につき名義人をAとして、Bが作成した場合に文書の有形偽造になるとしていて、おおいに疑問にに思っています。

  • 文書偽造罪で、名義人につき「意識主体説」を採った場合、「A代理人B」と

    文書偽造罪で、名義人につき「意識主体説」を採った場合、「A代理人B」と表示された文書の作成名義人はBが自然でしょうか? 文書偽造罪における文書の名義人について、通説・判例は「意識主体説」といって「文書に表示された意識内容の主体」であるとします。 ところで、「A代理人B」と表示された文書の名義人は誰でしょうか? 代理人というのは、法定代理人と任意代理人がいますが、どちらも使者と異なり、本人から独立して行動し、独自に意思を表示するものとされています。したがって作成名義人は代理人であるBだと考えるのが自然だと思うのですが、いかがでしょうか? 判例は名義人について「責任主体説」を採らず意識主体説を採っているのに、「A代理人B」との表示につき名義人をAとして、Bが作成した場合に文書の有形偽造になるとしていて、おおいに疑問にに思っています。

  • レントについて 学部1年生レベルの初心者です

    経済学部1年生レベルの入門初心者です、よろしくお願いします。 レント(地代)について、教科書によって色々解説されていますが、ごく単純には、以下のような例題での理解で正しいでしょうか? ●農業者がいる。資本金10円(費用)で、米を作るか?麦を作るか?選択を迫られている。売上は、米の場合が30円、麦の場合が25円と期待される。けきょく彼は米作を選択した。 機会費用は、選択しなかった麦作の収益だから25-10=15円です。したがって、レントは、(30-10)-15=5円、と計算できます。 レントは、(30-10)-(25-10)という計算結果なので、結論を言えば、レントとは、30-25、つまり売上の期待額の差である・・・と考えていいのでしょうか? 特に複雑な背景は考えていませんが、この単純な事例のような理解で、間違いはありませんでしょうか?よろしくお願いいたします。

  • 「小切手」「手形」についてお願いします。

    「小切手」「手形」についてお願いします。 私は、もうすぐ高額な金額をおそらく小切手でいただくとおもいます。 その時に領収書を書くのがとても不安です。 教えて頂きたいのですが「小切手」「手形」(これはみたことがありません)を もらう時にこれは正しく本物だというのをどこでどのように見れば いいのでしょうか、相手を疑ってはないのですが 念のために教えて欲しくおもいます。宜しくお願いいたします。

  • 複式簿記に関しての質問です。

    複式簿記に関しての質問です。 現在簿記を初歩から勉強中の者です。素人な質問で恐縮ですが、そもそも会計上「現金」と「預金」の違いは何なのでしょうか? 今、勉強中のテキストで、 「現金とは通貨及び通貨代用証券である」と書いてありますが、分かるような分からないような感じです。 例を挙げると、他社振出の当座小切手は「現金」勘定で、自己振出小切手は「当座預金」勘定で処理するみたいですが理由がよく分かりません。小切手は通貨代用証券のひとつなのだから共に現金で処理すべきなのでは?と思ってしまいます。 その他、送金為替手形は「現金」で、約束手形は「受取手形(支払手形)」で処理する等もよく理解できません。 どなたかお分かりの方教えていただけないでしょうか?

  • 福祉を持ち込むと 経済の自然均衡は何故失われるのか?

    福祉を持ち込むと 経済の自然均衡は何故失われるのか? 経済学を勉強されている方への質問です。 私は労働者として生きてきた62歳の者です。 物の値段が さまざまなバランスで生まれることはわかります。 ですが、そこのビジネス自体に福祉を持ち込む (例えば シュタイナー教育のように貧乏な人からは料金はもらわないシステム)と そのバランスは崩れてしまうのでしょうか? そのへんの詳しい道理を知っておられる方がおられましたら 教えてください。 欲望のままに行動するのは一見 ふしだらに見えますが ほんとうに成熟した感性とともにある欲望であれば それは生産のエネルギーのみ生かされて余計なお金幻想などに惑わされない姿にもなってゆくと思っています。 しかし、それには個人個人により、長い修練が必要だったりもします。 また 感性の教育の問題もあるかと思います。 現在 その感性の教育は 哲学的にも心理学的にもまだ発達していないのではないかと思えてしまうところがある段階に思えます。 (学問歴史的には私自身まだよく解かっていませんが) とすれば、 この欲望の未熟な段階の利己主義も多いに考慮しないと 生産のたくましさが失われたり  よい商品の開発(生涯使える品として)も、 いきなり人気をシェアを独占してしまうような値段を実現する良心的なものであるほどに、   そこには いきなり多くの企業の倒産や失業がうまれ あってはならないほどの不幸もたくさん波状的に生まれてしまうかもしれません。 たしかに 利己主義をそのまま肯定する自然均衡の経済学にも一理あると考えるべき地点に今はまだある点も 多々考えられます。 が、それによって 今のような格差が出てきている時に(格差自体を問題としているのではないのです。それなら日本は他の国とは比較にならない少ない格差となってしまいます。  下の格差の人たちの苦痛の切実さの現状を語ろうとしています)  自然均衡の理論だけでは片手落ちと思うのです。 そこからの質問です。  福祉を持ち込むとなぜ 自然なバランスが失われると言われているのでしょうか?

  • 福祉を持ち込むと 経済の自然均衡は何故失われるのか?

    福祉を持ち込むと 経済の自然均衡は何故失われるのか? 経済学を勉強されている方への質問です。 私は労働者として生きてきた62歳の者です。 物の値段が さまざまなバランスで生まれることはわかります。 ですが、そこのビジネス自体に福祉を持ち込む (例えば シュタイナー教育のように貧乏な人からは料金はもらわないシステム)と そのバランスは崩れてしまうのでしょうか? そのへんの詳しい道理を知っておられる方がおられましたら 教えてください。 欲望のままに行動するのは一見 ふしだらに見えますが ほんとうに成熟した感性とともにある欲望であれば それは生産のエネルギーのみ生かされて余計なお金幻想などに惑わされない姿にもなってゆくと思っています。 しかし、それには個人個人により、長い修練が必要だったりもします。 また 感性の教育の問題もあるかと思います。 現在 その感性の教育は 哲学的にも心理学的にもまだ発達していないのではないかと思えてしまうところがある段階に思えます。 (学問歴史的には私自身まだよく解かっていませんが) とすれば、 この欲望の未熟な段階の利己主義も多いに考慮しないと 生産のたくましさが失われたり  よい商品の開発(生涯使える品として)も、 いきなり人気をシェアを独占してしまうような値段を実現する良心的なものであるほどに、   そこには いきなり多くの企業の倒産や失業がうまれ あってはならないほどの不幸もたくさん波状的に生まれてしまうかもしれません。 たしかに 利己主義をそのまま肯定する自然均衡の経済学にも一理あると考えるべき地点に今はまだある点も 多々考えられます。 が、それによって 今のような格差が出てきている時に(格差自体を問題としているのではないのです。それなら日本は他の国とは比較にならない少ない格差となってしまいます。  下の格差の人たちの苦痛の切実さの現状を語ろうとしています)  自然均衡の理論だけでは片手落ちと思うのです。 そこからの質問です。  福祉を持ち込むとなぜ 自然なバランスが失われると言われているのでしょうか?

  • 福祉を持ち込むと 経済の自然均衡は何故失われるのか?

    福祉を持ち込むと 経済の自然均衡は何故失われるのか? 経済学を勉強されている方への質問です。 私は労働者として生きてきた62歳の者です。 物の値段が さまざまなバランスで生まれることはわかります。 ですが、そこのビジネス自体に福祉を持ち込む (例えば シュタイナー教育のように貧乏な人からは料金はもらわないシステム)と そのバランスは崩れてしまうのでしょうか? そのへんの詳しい道理を知っておられる方がおられましたら 教えてください。 欲望のままに行動するのは一見 ふしだらに見えますが ほんとうに成熟した感性とともにある欲望であれば それは生産のエネルギーのみ生かされて余計なお金幻想などに惑わされない姿にもなってゆくと思っています。 しかし、それには個人個人により、長い修練が必要だったりもします。 また 感性の教育の問題もあるかと思います。 現在 その感性の教育は 哲学的にも心理学的にもまだ発達していないのではないかと思えてしまうところがある段階に思えます。 (学問歴史的には私自身まだよく解かっていませんが) とすれば、 この欲望の未熟な段階の利己主義も多いに考慮しないと 生産のたくましさが失われたり  よい商品の開発(生涯使える品として)も、 いきなり人気をシェアを独占してしまうような値段を実現する良心的なものであるほどに、   そこには いきなり多くの企業の倒産や失業がうまれ あってはならないほどの不幸もたくさん波状的に生まれてしまうかもしれません。 たしかに 利己主義をそのまま肯定する自然均衡の経済学にも一理あると考えるべき地点に今はまだある点も 多々考えられます。 が、それによって 今のような格差が出てきている時に(格差自体を問題としているのではないのです。それなら日本は他の国とは比較にならない少ない格差となってしまいます。  下の格差の人たちの苦痛の切実さの現状を語ろうとしています)  自然均衡の理論だけでは片手落ちと思うのです。 そこからの質問です。  福祉を持ち込むとなぜ 自然なバランスが失われると言われているのでしょうか?

  •  とある中学生(複数名)から以下のような問題提起がされました。

     とある中学生(複数名)から以下のような問題提起がされました。 日本国憲法43・44条から考えるに、全国区選挙が要請されるのでは? 現選挙(小選挙区)制度の憲法上の妥当性は公職選挙法と立法裁量権だけでは?  確かに、43条1項では「全国民を代表する選挙された議員」と明記し、特定地域から選出される当選人はその地域の代表者でしかない状況とも言えます。事実、政治献金などで訴追される議員などは「地域の代表として」と地域的支持を議員辞職固辞の正当化に悪用する節もあります。  更に、44条1項(14条)からも投票価値の平等・選挙区割りによる差別的状況(投票時間・立候補者)が発生していることは違憲性が指摘され、それらを全面的に解決する集団としては、唯一全国区選挙しか想定できません。  昨今、「一票の格差(投票較差)」を通じて選挙制度の妥当性への嫌疑が提示されていますが、現選挙制度を法理論的に妥当と説明する手法が見つかりません。  仮に説明するとしても、立法裁量権の限界射程についての説明を考えるとやはり、主権に関する政治決定で立法の不作為・無作為が続く状況は好ましくないなどの批判は尽きません。 (それを中学生が指摘するような水準です) 彼らにある程度の法理論的妥当を持って、現選挙制度を肯定させるような良い知恵はないでしょうか? (現実問題として、私個人も中学生と同じ意見なのですが、日本国憲法99条を尊重する立場としては、むしろ、彼らの方が妥当に思えてなりません。)  なお、このような問題に関して、政治的意見を述べれば日教組などと言われるので、持論を述べられません。

  • 英語ができない=クズ人間

    英語ができない=クズ人間 こんばんは。私の大学のある教授のことです。 今日ふと思い出して少し腹が立ってしまったので、ちょっと皆さんに聞いてみます。 去年、大学で遺伝子研究の授業を教養として受けていました。私は文系なのでそのような学問とは無縁なのですが、受けなければいけないので受けていたんです。 そしたらその授業の担当教授が・・・。 授業中に上手くもない英語の発音で専門用語とかを披露し、こんなことを毎時間毎時間言うのです。 ・英語ができない人間はクズ ・英語ができなければ生きている価値なんてない ・一流の企業は英語で物事を進める ・英語を使わなくてもいい会社なんて三流以下 ・英語ができなければ一生年収700万以下の貧困層決定でロクな生活ができない、だから奨学金もらって学校通う奴らが多いんだ ・日本語は幼稚くさいから普段の会話でも英語を使え 最後の授業でも、遺伝子の話で終わるのではなく「いいですか皆さん、英語ができなければクズです。英語を学び、英語を使いなさい。」 これが最後の一言でした。 これって、常識なのでしょうか? 私にとってはとんでもない話です。 確かに英語ができるに越したことはありませんが、ここまで言われなければいけないことなのでしょうか・・・。一体、日本人の何%が英語で仕事をできるほどの英語力を持っているというのでしょうか。 幅広い意見を聞くにはここがうってつけなので聞いてみました。 お時間がある方はお願いします。

  •  とある中学生(複数名)から以下のような問題提起がされました。

     とある中学生(複数名)から以下のような問題提起がされました。 日本国憲法43・44条から考えるに、全国区選挙が要請されるのでは? 現選挙(小選挙区)制度の憲法上の妥当性は公職選挙法と立法裁量権だけでは?  確かに、43条1項では「全国民を代表する選挙された議員」と明記し、特定地域から選出される当選人はその地域の代表者でしかない状況とも言えます。事実、政治献金などで訴追される議員などは「地域の代表として」と地域的支持を議員辞職固辞の正当化に悪用する節もあります。  更に、44条1項(14条)からも投票価値の平等・選挙区割りによる差別的状況(投票時間・立候補者)が発生していることは違憲性が指摘され、それらを全面的に解決する集団としては、唯一全国区選挙しか想定できません。  昨今、「一票の格差(投票較差)」を通じて選挙制度の妥当性への嫌疑が提示されていますが、現選挙制度を法理論的に妥当と説明する手法が見つかりません。  仮に説明するとしても、立法裁量権の限界射程についての説明を考えるとやはり、主権に関する政治決定で立法の不作為・無作為が続く状況は好ましくないなどの批判は尽きません。 (それを中学生が指摘するような水準です) 彼らにある程度の法理論的妥当を持って、現選挙制度を肯定させるような良い知恵はないでしょうか? (現実問題として、私個人も中学生と同じ意見なのですが、日本国憲法99条を尊重する立場としては、むしろ、彼らの方が妥当に思えてなりません。)  なお、このような問題に関して、政治的意見を述べれば日教組などと言われるので、持論を述べられません。

  •  とある中学生(複数名)から以下のような問題提起がされました。

     とある中学生(複数名)から以下のような問題提起がされました。 日本国憲法43・44条から考えるに、全国区選挙が要請されるのでは? 現選挙(小選挙区)制度の憲法上の妥当性は公職選挙法と立法裁量権だけでは?  確かに、43条1項では「全国民を代表する選挙された議員」と明記し、特定地域から選出される当選人はその地域の代表者でしかない状況とも言えます。事実、政治献金などで訴追される議員などは「地域の代表として」と地域的支持を議員辞職固辞の正当化に悪用する節もあります。  更に、44条1項(14条)からも投票価値の平等・選挙区割りによる差別的状況(投票時間・立候補者)が発生していることは違憲性が指摘され、それらを全面的に解決する集団としては、唯一全国区選挙しか想定できません。  昨今、「一票の格差(投票較差)」を通じて選挙制度の妥当性への嫌疑が提示されていますが、現選挙制度を法理論的に妥当と説明する手法が見つかりません。  仮に説明するとしても、立法裁量権の限界射程についての説明を考えるとやはり、主権に関する政治決定で立法の不作為・無作為が続く状況は好ましくないなどの批判は尽きません。 (それを中学生が指摘するような水準です) 彼らにある程度の法理論的妥当を持って、現選挙制度を肯定させるような良い知恵はないでしょうか? (現実問題として、私個人も中学生と同じ意見なのですが、日本国憲法99条を尊重する立場としては、むしろ、彼らの方が妥当に思えてなりません。)  なお、このような問題に関して、政治的意見を述べれば日教組などと言われるので、持論を述べられません。

  • 有限会社がなくなった理由はなんでしょうか?

    有限会社がなくなった理由はなんでしょうか? 有限会社は現在、新たに設立できないそうですが、何故でしょうか? 商法上ややこしいからだと聞きましたが・・・ また、逆に株式会社が簡単に設立できるようになったと聞きましたが その、必要用件は何でしょうか? 宜しくお願い致します。

  • 血液検査

    血液検査 1ヶ月前にコレステロールが高いと言われて高脂血症と言われました そのとき中性脂肪は55で標準値でしたが 今回はコレステロールが標準値になり 中性脂肪が29でひっかかりました 中性脂肪が低いという事はどういう事なんでしょうか? 中性脂肪は低くてもだめなんでしょうか? どう改善すればよいのでしょうか?