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神はいますか
eroero4649の回答
- eroero4649
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日本は多神教でありますので、森羅万象どのようなものでも神様になります。「これが御神体である」と宣言する人がいて、それを信じる人が現れたら、なんでも神様になります。 それが山そのものだったり、巨木だったり巨石だったり、まあなんでもいいのです。 そして重要なことがもうひとつあります。神様が自ら「俺を信じろ」とはいっていないということです。「これは神様である」といってるのは人間なのですよ。日本の伝統的な信仰では、神様はただそこに「いる」だけの存在です。 ただ神様もご機嫌がうるわしゅうない日がありまして、そういうときに雷が落ちたり大雨が降ったり地震が起きたりするので、そのような災いが起きたらどうかお鎮まりくださいと我々は手を合わせ、こうすりゃご機嫌が治るんじゃないかと供物を捧げるわけです。 いいことがあったときの「神様のおかげ」は、出世したときに「皆様のおかげです」というようなのと同じですよ。そこで「俺が出世したのは俺が優秀だからだ。俺の優秀さが理解できるやつらが周囲にいて良かったよ」なんていったら大顰蹙ですね。
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