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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:『本能寺の変』明智光秀の動機は何だと思いますか?)

明智光秀の謀反の動機とは?

kamejrouの回答

  • kamejrou
  • ベストアンサー率17% (191/1107)
回答No.16

こんにちは 面白い質問をされる No 15の方が諸説出尽くしている中で常識的な説をとると言われる 仰るようにそれが一番分かり易く、 私自身もおそらくはそうであったろうか?思いもするのですが 敢えて別な見方をしてみたい 「本能寺の変」の2~3年以前、 重臣、佐久間信盛並びに林、丹羽などを信長、追放する訳ですが 光秀、明日は我が身と考えたことはこれは想像に難くない No15の方の仰るとうりかと ただ、私がここで疑問に思うのは光秀は信長旗下で随一の知将と言われた 果たして一時の衝動的な判断で謀反を起こすに至るだろうか? 家臣、妻子を含めれば何万と言う一族郎党 私はそこ迄の鬱、あるいは錯乱状態であったとは考えられないのです 秀吉の「大返し」が早すぎたと言われる方もおられる ただ、遅かれ早かれ勝家も秀吉も駆けつける 光秀、尋常な精神状態であったと仮定すればですが 細川、井筒などの合力のみを頼りに謀反を起こすだろうか? 私はおそらく光秀成算あっての事ではなかったろうか?そう考える ならこれは天皇と結ぶしかない 時の天皇は正親町天皇です 信長は入洛のさい天皇を手厚く庇護しておりますが 私に言わせれば天下平定の為に天皇の権威を利用しているのに過ぎない 信長と言う武将は権威と言うものに無縁の世界にいる 天皇がそれにお気付にならない訳がない なら、尊皇の志の篤い光秀に自分が後ろ楯になってと 考えても満更これは不思議な話しでもないように思いますが おそらく利害が一致した事は十分に考えられるのです 「宣旨」でもあったろうか? このような例は歴史の中には実に多いのです 近くは幕末、天皇水戸家に密かに「宣旨」を出されるのですが 首尾一貫しない、為に水戸斉昭蟄居に追い込まれる これはある意味明治維新までの天皇と言うものの宿命と言えるでしょうね 光秀、誤算があったとすれば 天皇と言う存在への過度の信頼、私はそれであったろうか? そうも考えますが、いずれにしても又これも推測に過ぎません No15の方と少し違う見方をしてみましたアハハハ

oya_zico
質問者

お礼

kamejrouさん、お礼が遅くなり申し訳ございません。 『信長の棺』を読んでらっしゃったとは、読書でもkamejrouさんには敵わないですね。 >光秀、誤算があったとすれば >天皇と言う存在への過度の信頼、私はそれであったろうか? 朝廷&公家陰謀説、 敢えて、違う説を選択していただきありがとうございます。 確かに、光秀は将軍家や公家側に近い人達と仲が良かったと言われていますし、この説の方が妄想をかきたてられて楽しいですよね。 『信長の棺』でも、その様な描写がありましたし。 でも、山岡宗八の『織田信長』では、信長の父の時代から天皇に寄進(寄付)をしていますし、 他の本では、信長も父親同様、天皇家には気を遣っていたという話ですし、公家の近衛文麿卿とも蜜月状態だったとも言われている。 そして、おっしゃる通り、光秀がそこまで愚かだとは思えない。 そこで出て来る説が、(光秀に罪を擦り付けての)秀吉(官兵衛)謀反説。 闇にまぎれて明智軍を装っての、本能寺襲撃。 そして、光秀謀反との噂をばら撒き、反論が出来ない内に一気にカタをつける。 ふ~う、雄大な歴史ロマンに思いをはせながら、色々妄想させて頂きました。感謝です。 ご回答ありがとうございました。

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