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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:『本能寺の変』明智光秀の動機は何だと思いますか?)

明智光秀の謀反の動機とは?

noname#236410の回答

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noname#236410
noname#236410
回答No.12

私は1と4です。 明智光秀は、日常的に信長にパワハラを受けていてうつ状態だったので 仕事を任されても自分の力を十分出すことができなかった。 結果、怒られて評価が下がるという悪循環。周囲は、 「わー。また始まったよ。でも、光秀君が当たられてくれている間は こっちにとばっちりこないしなあ」とちょっと引きぎみだった。 魂抜けたような毎日を過ごしていた光秀だったが、 機会があったので謀反を起こしてしまった。 「むしゃくしゃしてやった・・・。後悔はしていない。 とりあえずこれでもう信長にいじめられることはない。」

oya_zico
質問者

お礼

ronjeさん、お礼が遅くなり申し訳ございません。 >日常的に信長にパワハラを受けていてうつ状態。 うまい!『鬱』と『討つ』が掛け言葉になってます(笑) 光秀の連歌『時は雨』が『土岐は天』に似ています。 窮鼠猫を噛むってこともあるかもしれません。 >仕事を任されても自分の力を充分に発揮できなかった。 確か、山岡宗八の歴史小説だったかな、光秀が最初に大失敗したエピソードは 徳川家康に対する接待で、何かしらの理由で大量に購入した魚を廃棄することになり、怒った料理人が魚を腐らせて腐臭で大変な事になったとかならなかったとか。 次に怒られたのが、毛利攻めが中々上手く行かないこと。みんな戦力がカツカツで協力プレイが上手く行かなかったらしいという噂も。 ちなみに、私の同僚も、光秀ほど優秀では無いが、ジャイアン上司にやられっぱなし。 自分のところに、とばっちりが来ないよう願う気持ちは良く分かりますし、彼の辛さもひしひしと伝わってきます。 ただ、その同僚は、反抗よりは、逃避ばかりしてますね。 ご回答ありがとうございました。

oya_zico
質問者

補足

『明智光秀は、病気だった。うつ病になるほど追い込まれていた。』 ふ~う、この可能性については、恥ずかしながら、そこまでは考えても見ませんでした。 パワハラは受けていたとしても、病気とまでは。。。 でも、よくよく考えてみると、光秀は(marcさんがおっしゃる通り)超が付くほどの真面目(居士?)。 現代においても、真面目で賢い人ほど、うつになると言いますし、 それに、実際に、古参幹部でも失敗すれば信長に領地を召し上げられていた事実があり、更に追い込まれていたこと、 そして、isokenさんの病気説の解説を読み、筋が通っている話だと思いました。 光秀としては、私欲ではなく、 一族郎党を守るためという大義名分、延暦寺に火をつけ将軍を追放した信長を倒すという大義名分があると考え、 更に、 パワハラされている自分に対する薄っぺらい同情を、自分への惜しまぬ協力と勘違いしてしまったのかもしれませんね。 確かに、病気であれば、冷静な判断力を失い、沢山の情報から、自分に都合の良いよいことばかりを取り上げ、その結果、見るも無残な3日天下となったとしても納得出来ます。 ronjeさん、私に、最初に病気説を教えていただきありがとうございました。 それから、本当に、皆様、色々な面白いご意見、ご回答をご紹介頂きありがとうございました。 (ちなみに私は、正しいかどうかは別にして、やはり、自分の希望も含めて、病気説よりも、秀吉陰謀説が好きですけどね~。)

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