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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:『本能寺の変』明智光秀の動機は何だと思いますか?)

明智光秀の謀反の動機とは?

GIANTOFGANYMEDEの回答

回答No.11

(5)モンストで仲間外れにされた 本能寺の変とそれに続く三日天下は後から見れば場当たり的で無計画、無謀そのものに見えます。 当時、織田家の家督は信忠が相続していましたから、織田家転覆を狙うなら信長と信忠を同時に弑しなければなりません。記録によれば本能寺で信長が自刃した時点でも二条城に明智軍は到達していません。だとすると信忠はいくらでも脱出のチャンスがあったはずです。ところが信忠はその場から動かず、結局切腹しています。 光秀の謀反は結果的には上手くいきましたが、信忠脱出の目があったとするなら、あまりにリスクの高い暴走としか考えられません。 しかし光秀は当時知られた教養人でしたし、武将としても信長から軍団の一つを任せられていたのですからそれなりに優秀だったはずです。 その彼がほとんど丁半博打のような行動に出るとは考えられません。 本能寺で信長を討った後で二条城に向かっても十分だという根拠があったはずです。 とするなら、謀反を成功させる根拠として、信忠は脱出出来ない、脱出しても無駄、ということだったのでしょう。 それは京都周辺にいる全員が仲間だったということでしか説明できません。 本能寺の変当時、京都周辺にいた人は以下の通り(◎は光秀配下の武将)です。 細川藤孝:光秀の与力大名、親戚 高山右近:光秀の与力大名、津田宗及を通じて茶の湯仲間 中川清秀:光秀の与力大名、津田宗及と旧知 池田恒興:光秀の与力大名 筒井順慶:光秀の与力大名、友人 丹羽長秀:津田宗及と交流 神戸信孝:津田宗及と交流 蒲生賢秀:信長の忠臣 明智秀満◎ 山崎片家◎ 斉藤利三◎ 阿閉貞秀◎ 蒲生賢秀だけは信長の忠臣ということもあって金で買収しようとしていますが、それ以外は何らかの形で光秀と縁があります。 中でも津田宗及がキーマンで、本能寺の変前年から光秀に急接近している人物です。 本能寺の変の直前には、茨木城で羽柴秀吉、津田宗及、中川清秀の密会が行われています。 おそらく、秀吉(及び黒田官兵衛)の意向を受けた津田宗及が光秀を動かしたのでしょう。 そして、本能寺の変後、これら宗久がらみの人物たちは秀吉に組して光秀を討つ側に回ります。 みんな友達だと思っていたのがいきなりハブンチョですから、光秀にしてみればポカーンだったでしょうね。 このことからあなたが学ぶべき教訓は、実行犯は所詮使い捨ての下っ端に過ぎないということです。 奥さんに謀反を起こすなら、あなた自身が実行するのではなく、他の人を使って討つというのが賢い方法でしょう。

oya_zico
質問者

お礼

GIANTOFGANYMEDEさん、こんにちは。 (5)モンストで仲間外れにされた 信長と光秀が仲間になってモンスターを倒すんじゃなくて、 信長がモンスターだったのですね。 ふ~う、非常に面白い説ですね。キーマンは津田宗及ですか~。 確かに、堺から高い税金を徴収した信長に対する恨みはあったかもしれないが、 逆に、信長に重用されたという話もある。 そういえば、光秀が『時は今 雨が下しる…』と詠んだあの有名な歌会にも、黒田官兵衛と仲が良い歌人?が出席していたらしいですよ~。 黒田官兵衛も、信長の命で息子が殺されそうになったこともあったし、恨みがあるといえばあるんですよね。 >光秀にしてみればポカーン 高い木に登らされた後で、ハシゴを外された気分? でも、光秀がそんなマヌケだったとは思いたくないという気持ちも働きます。 >このことからあなたが学ぶべき教訓は、実行犯は所詮使い捨ての下っ端に過ぎないということです。 >奥さんに謀反を起こすなら、あなた自身が実行するのではなく、他の人を使って討つというのが賢い方法でしょう。 ご教授ありがとうございます。 ただ、他人に頼むにしても依頼するためのお金が無い、 結婚した直後に、刀狩(カード狩)、 そして、既に妻からの兵糧攻め(小遣い少な目で美味しい弁当)で、生かさず殺さずの生活、謀反する元気もありません(笑) ご回答ありがとうございました。

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