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日本の教育問題についての翻訳お願いします。

以下の文章の翻訳をお願いします。 これは長い文書を要約したものです。 こんな感じなので、日本語で足りないところは補っていただけるとありがたいです。 よろしくお願いいたします。 高度経済成長でより良い、人材を作るために義務教育で知識を詰め込むだけの授業をやっていたが、その教育制度により、個性という物が無くなり、頭の固い大人が増えてしまった! なので、その欠点を補うためにゆとり教育という教育制度を採用しました! しかし、この教育制度も思いつきですぐに実践してしまったものなので、批判の声が多く挙げられました! なので教育制度をより、完全な物にするべき定義しなおすべきです!

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回答No.1

何処からの翻訳かわかりませんが、正しい部分があまりありません。 「だけ」と言い切れる根拠がないのと(限定的な論は論破されやすい)、ゆとり教育の実施について、その理由と目的、失敗の理由が、井戸端会議並みの俗な話になってしまっています。せめて目的の部分は文科省の文言を持ってきた方がいいかと。 気になるのはそのくらいです。 原文がわからないのでなんとも言えませんが。

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  • 以下の文章を英語に翻訳してください。

    高度経済成長でより良い、人材を作るために義務教育で知識を詰め込むだけの授業をやっていたが、その教育制度により、個性という物が無くなり、頭の固い大人が増えてしまった。 なので、その欠点を補うためにゆとり教育という教育制度を採用しました。 しかし、この教育制度も思いつきですぐに実践してしまったものなので、 批判の声が多く挙げられました。 なので、教育制度をより完全な物にするべき定義をしなおすべきです。 教育問題についての文章です。 英語訳よろしくお願いします。

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    義務教育制度について こんにちは。 いま、日本の義務教育制度の意義やその機構と機能の問題について考えています。 とりあえず、いま問題だなぁと思っているのは、 (1)就学率がほぼ100パーセントではあるが、ごく少数の教育が保障されていないこと。どのような子達が保障されていないのかは謎なのですが… (2)最近はゆとり教育からの脱出が実践化されてきていますが、そういったゆとり教育などの問題 に注目しています。 いまはまだ深い考察はないのですが… 皆さんにお聞きします。 現代日本の教育改革の動向を踏まえて、日本の現行義務教育制度の意義やその機構と機能の問題点について、みなさんの考えを聞いてみたいです。 回答お待ちしています。

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  • もし、ゆとり教育や人間性重視の教育を進めると・・・

     今、日本ではゆとり教育や学力低下の問題が注目されていますが、例えば、学校の授業時間数、特に英語・数学・理科・社会・国語の授業時間を今の半分にしてしまったら、子供の成長や日本社会はどのような影響を受けるのでしょうか?  また、英数理社国の授業時間を大幅に減らす代わりに、江原啓之に代表されるスピリチュアルや宗教教育、道徳教育、武道・書道・華道や着物の着付け等の日本の伝統教育、漁業・農牧業実習、建築・工場内作業実習、裁縫・調理実習、実践心理学・人間関係学、子育てや福祉施設での介護実習、医療教育、恋愛・性教育、部活動時間の増加、刑務所見学、サバイバル訓練、ホームレス支援活動等のボランティア活動への参加、両親の家事や仕事の手伝いを生徒に進める、選挙に関する知識を養う授業・・・等の人間性を養う教育・実生活で役に立つ教育を多く取り入れたら子供の成長や日本社会にどのような影響をもたらすのでしょうか?  暇な人!どうか教えてください!     

  • 高校教育の意義とは。アドバイスをください。

    高校の教員です。大学院まで出て、小・中学校の免許も持っています。 高校現場で働いてもう何年にもなりますが、ずっと抱いている不満があります。 私は、教育とは ・社会で自分を生かせる個性の伸長 ・持続可能な社会の実現 のためにあると思い、教育に当たっています。(実際には教育基本法に書かれていることが理想理念ですが、長くなるので割愛します。) よって、勉強ができたり、得意なことがある子には活躍の機会を与え、才能を伸ばします。 また、不登校などの問題を抱えている子どもには、自分のマイナス思考に捕らわれないようにアドバイスし、先を想定して具体的に行動することを示唆し、他の人との関わりによって視野を広げるように、根気強く向き合います。 教育活動とは、地味なものだと思っています。引きこもりをできるだけ減らし、納税者を増やし、ゆとりある前向きで明るい社会を目指し、地道に地固めをする仕事だと思っています。それに、「個性を伸長」するわけなので、大勢いる生徒たちのそれぞれの価値観を尊重できるくらい視野は広くなければならないと思います。 なのに、進学実績だけにこだわったり、目新しいことをして新聞に載ったり、そんなことばかりが評価の対象になることが許せません。 真面目にコツコツと働いている人たちがいるから保たれている平和が、 自分の言いたい放題意見するだけの単なる目立ちたがりの我が儘を「個性」と呼んだり、 他人を見下して自分の利益だけを取っていくことを「優秀」と呼んだりする人たちによって搾取されることが許せないんです。 一番許せないことは、教員自体が一番そうだという事実です。 私も、大学院まで出て、きちんと学歴を有していますが、周りの教員たちを見ていると、「これが本当に高等教育まで受けてきた人たちの実態か!?」と思ってしまいます。 公務員は、社会秩序を恒久的に維持するための仕事であり、教員は、社会が維持されうまく回っていくような未来の人材を育む仕事だと思うのですが…。 でも結局、学校の先生になるような人たちは、自分が周りに認められたいだけの優等生の「いい子」ちゃんがそのまま大人になっただけで、自己承認欲求の方が強く、 公務員としての本来の然るべき志なんか持ってないんでしょ?と言いたくなります。 すみません、ただの愚痴なのですが、何かアドバイスをいただけると気持ちも楽になるのではないかと思っています。 よろしくお願いします。

  • 長文です。日本の格差について。

    近頃、世界的に景気が悪いですが日本の技術は素晴らしい物がありますね。そんな中、中卒、高卒、大卒の格差や偏見、差別が昔と比べて大きくなっているよう感じます。 私はまだ23歳で最近を生きている人間ですが、工業高校卒業後に就職して、リーマンショックによって余儀なく転職し今に至りますが、30代~60代の方と話をしていますが、経済成長前や経済成長時は大学なんてほんの一握りの人しか行けなかったらしいです。 今では大学は行って当たり前。むしろ中卒、高卒だと知らず知らずのうちに時代に取り残される時代です。 これは今の若者の多くが感じている問題だと思います。 それに気づいた若者は、人生転換を試みますが、ここでぶつかる壁は年齢と就職難とゆとり教育世代の偏見です。 学び直しても、大企業は若い人材やフレッシュな人材しか採用しません。 年齢的問題、金銭的問題、人間的問題によって人生転換に失敗した若者は、小企業やアルバイトを余儀なくされ、その中で幸せを探すのです。 なのでせめて、中卒、高卒、大卒の壁を無くす為に、中卒者、高卒者に大卒にはないメリットを抱かせることが大切だと思うのです。 大学に行って大企業に就職して、高給で安定して、なおかつ海外研修に無理せず行け、人として成長できる場が与えられている。こんな贅沢なことが当たり前になってきている時代です。何せ社員教育を行っているのは大企業が殆どで、中小企業の社員教育なんて馴れ合いのようなものです。 ヨーロッパの格差社会を繰り返さぬよう、自由を与えるのではなく、どんな人にもチャンスを与える仕組みをつくるべきだと考えます。 そして自分は大企業に入りたいです。 みなさんは、経済成長に伴う、この格差社会、学歴社会をどう思いますか?

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