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ヤルタ会談の映像を笑いのネタにするテレビ制作者の感覚に違和感を覚える
toshi-tsuguの回答
- toshi-tsugu
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長い間、平和が続いた結果ということです。幸せともいえるし不幸せともいえるかもしれません。 平和のおかげで、”国を守る”あるいは”侵略”という感覚が、全国民に欠如しているということだと思います。 政治家、マスコミ関係者を含めて、防衛は他人事と考えているから、そのような番組をできるのだろうと思います。 日本国民は平和を享受しているわけですが、その一方で国内には外国のスパイが一杯いて情報を一杯とられています。それでも”知る権利”を主張して”秘密保護法”の成立を非難する国民が多くいます。これが民主主義の発達した平和国家の日本の実態です。
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