• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ヤルタ会談、笑えない)

ヤルタ会談の映像を笑いのネタにするテレビ制作者の感覚に違和感を覚える

toshi-tsuguの回答

回答No.5

長い間、平和が続いた結果ということです。幸せともいえるし不幸せともいえるかもしれません。 平和のおかげで、”国を守る”あるいは”侵略”という感覚が、全国民に欠如しているということだと思います。 政治家、マスコミ関係者を含めて、防衛は他人事と考えているから、そのような番組をできるのだろうと思います。 日本国民は平和を享受しているわけですが、その一方で国内には外国のスパイが一杯いて情報を一杯とられています。それでも”知る権利”を主張して”秘密保護法”の成立を非難する国民が多くいます。これが民主主義の発達した平和国家の日本の実態です。

mikasa1905
質問者

お礼

大変遅くなって申し訳ありません。 この国はある意味とても幸せな国なんでしょうね。のど元過ぎれば熱さ忘れる国民性なのかもしれませんね。教訓を学ばず、また同じ失敗を繰り返すんでしょうか。まあちょっと、本題からは飛躍しちゃいますがw 平和は大切だし、秘密保護法とか集団自衛権については多くの議論が必要でしょうけれど、自分も含めてそうゆう事は誰かがやってくれる、という現実逃避がありますね。 平和は与えられたものじゃなく、築き守るものだってことを忘れちゃいけませんね。 ご回答ありがとうございました。

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