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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:寿命の長短と現世での生き方の充実度、どちらが大事?)

寿命の長短と現世での生き方の充実度、どちらが大事?

kennkouojisannの回答

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回答No.2

50歳、男子です。 いやあ、驚きました。カルマの法則をここまでしっかり掴んでいらっしゃる同世代とここで逢えたとは。 私は、特別な宗教には入っておりませんし、これ等の事は、全て独学と経験則で学び、確信しました。 霊界や輪廻の法則、この世での全ての環境は、又一生を通じて出合う人々は、一言で言えば全て「魂の修行」の為のものです。この法則を知らずに世を去る方が残念ながら多いのですが、少なくとも質問者さんや私は、きっかけは何であれこの法則に「気づかされて」います。 こちらで修行している間に「気づいた」(信じるに至った)という事が、実に重大な事で、そうであれば残された人生の時間の過ごし方は、殆ど答えを得たようなものです。不自由な肉体を持って生きなくてはならないこの世は、欲望に溢れ返っています。食欲、睡眠欲、性欲などの肉体的な欲望に加え、経済欲、名誉欲があり、欲望が支配する世の中ですから、弱肉強食などといった世の中になるわけです。 我々は、この世に生まれる以前は、『自分の所有物』は一切無かったのですし、この世を去るときは、全て『置いて行かなくては』なりません。一切のものは、たかだか長くても数十年間の借り物です。成功とか、勝ち負けといった現世的な評価は、実は魂にとってはあまり深い意味は無く、年齢とともに、欲望をどんどん小さく、軽くしていき、適度な欲で生きられるようになれば、私達の修行段階は向上したといえます。 世の中の無駄な争いは、皆無にはならないとしても、こうした法則に気づく人が多くなれば、確実に減るでしょう。 >他人のことを思いやり平和を愛し、静かに生きる人もいます。 そうした人の多くは、深い精神世界を持って、現在の経済力や社会的地位に関係なく、心に余裕が生まれている人々です。 これを書いている私は、一般の企業に勤めるサラリーマン、年老いた両親を抱え、人生がやや安定期に入ったのは40代になってからの事です。日本赤十字特別社員として、微力ながらの貢献をさせて頂いていますが、『この人生』が果たして、これで『合格』なのか、やり直しなのか、自分では全く採点出来ません。多分、後者でしょうね。笑) 何かをしなくてはという脅迫観念のようなものをお持ちだそうですが、気づく事が多くなればなるほど、宿題は、与えられてきますから、焦って探さなくとも偶然を装って、目前にやるべきことは出現するでしょう。 私の父は79歳になりますが、病身であるにも関わらず、この法則に気づく事無く、世を去りそうな一人です。 肉体的には血縁のある親子ですが、霊的には全く他人ですから、いたしかたない事であると存じます。 仰るように、今回の人生は一回限りであって、『私と貴殿』でいられる時間も少なくなって来ました。今日、ここでお目にかかれた事を感謝したいと思います。心静かに、少欲知足、温和にて柔軟、和顔にて愛語で生きれば良いのではと思います。 ご質問への答えが最後になってしまいましたが、言うまでも無く、人生は全て中身、つまりは生き方です。ご健勝を祈ります。

BEACHBOYS1970
質問者

お礼

大変わかりやすいご回答ありがとうございます。 私も久々に、カルマの法則を十分理解されてる方とお逢いできて うれしく思います。回答者さんと同じで、関係本など読み自分なりにいろいろ考え、大学のころからこれが人生の本質だと思うに至りました。現在もネットなどで情報収集し内容を深めています。 書かれていることがほとんどそのとおりですので、私が改めて付け加えることもないです。本当に、この事実を理解してる人がもっと増えて多数派になれば、もう少し平和で素晴らしい世の中になるのに・・・と思います。 ただ、日本でも一昔前よりは霊界や輪廻転生を信じる人が増えてきてるとのことで、物質中心主義に疑問を持つ風潮は少しずつ広がってるのかなと、こんな社会ですが、かすかな希望も感じてます。 日本赤十字特別社員さんとのことですが、赤十字はたまに寄付しますが公益に関するお仕事なのでしょうね。アンリ・デュナンが創立者くらいしか知らず詳しい活動は知らないのですが。 私はもう退職しましたが、かつて税金関係の部署にいまして正直人様のお金を強制的に取り上げるという仕事に嫌気が差して、早期退職しました。これは自分の本来の職分ではないと違和感が強かったですし。 人生最後に、一生の採点をされてあの世の行き先が決まると言います。これは本当になかなか自分では評価が難しいです。 でも、おっしゃるように心穏やかに、欲は少なく足るを知る、温和な態度、にこにこして優しい言葉で話すなどが大切なのでしょうね。特に難しいことでなく当たり前のことが大事ですね。 退職直後は何かせねばという強迫観念がありましたが、今は全くなくなりました。無趣味ですが旅行が好きで、国内特に九州・北海道によく行きます。普段は暇をもてあましてる感じもあるので 何か世の中の役に立つことを始めたい気もしています。やるべきことを見つけるということでしょうね。 お父様はこの法則をわからずに、あちらへ行きそうとのことですが私の両親も同じです。親子といえども霊的には他人ですから、 理解のレベルは違っても仕方ないですね。でも、死後親兄弟や親しかった人とは、あちらで会えるそうなのでその時は「こういうことだったんだね」とお互い、話せますね。 友人とも飲みながらよくこの種の話をします。相手は半信半疑で全く否定するわけじゃないですが、霊的なことも科学で証明できるはずだというので、それは無理だという私と口論することもあります。科学万能主義とは相容れないですから。そんな人とも死後会えばすべて解決ですが。 最後に、私のほうこそ感謝したいです。普段は現在の荒れた世の中の波動もあり、つい心が乱れることもありますが、そんな世に生きるのも修行の一環と捉えここでのやり取りを思い出して身を引き締める所存です。

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