• ベストアンサー

感情は大切です

人間は、感情によて創られております。 殺人事件においても 例えば 遺族の無念を晴らさないと、国民が法や 司法を信用しなくなります。だからこそ、死刑があるのだと思います。 私の考え 間違っていますか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.2

> 私の考え 間違っていますか? アナタの考えはアナタのもの。 他人がとやかく言うものではありませんし、言ってもムダでしょう。 ただ、アナタが感情を最重要視する立場ならば、人間にとって「殺人」こそが、最大の感情の発露の一つではないですかね? また死刑も、国家による殺人だし・・。 すなわちアナタの考え方の大前提は、まず「殺人を容認する」に発端せねばならないと思います。 一方、少なくとも我が国における死刑制度は、「いかなる事情があろうとも、殺人は許されるべきでは無い」と言う観点から、「極刑」としての死刑を存置しています。 結論は同じ死刑存置でも、考え方は正反対かと思われます。 また死刑に関しては、各国の歴史,文化,宗教などと、それに対する個人的な信条などが大きく左右します。 アナタが「試験がないと、法や司法を信用しない」と言うのを、国民レベルに置き換えることは不能ですよ。 冒頭の通り、アナタの考えはアナタ個人のものですが、それは国民が共感し得るものでは無いです。 たとえばキリスト教や仏教の宗教観で言えば、「無念を晴らす」より、むしろ「許せない相手さえ許す」に宗教的幸福感があるのです。 「無念を晴らす」と言う宗教観は、イスラム原理主義のテロリストに近く、少なくとも近代的とか平和的では無い考え方です。

myrtille54
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 日本人のメンタリティーはキリスト教の「右頬を殴られたら左頬をも差し出しなさい」という教えよりも イスラム原理主義の考え方に近いのかもしれませんね。どうも、私たちはイスラム教に偏見を抱きがちですが、イスラム教がキリスト教よりも支持される理由も分かるような気がします。

その他の回答 (2)

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.3

> 日本人のメンタリティーはキリスト教の「右頬を殴られたら左頬をも差し出しなさい」という教えよりも イスラム原理主義の考え方に近いのかもしれませんね。 どちらかと言うと、キリスト教的かと思いますが・・。 日本人のメンタリティを代表する「赤穂浪士」が象徴的ですが、赤穂浪士は報復者であると同時に殉教者であり、その両方が揃っての美談,美徳です。 イスラム法なら、赤穂浪士が最後に刑死するのは不当であり、激怒しますよ。 アナタは赤穂浪士の討ち入りに喝采を送るだけで、彼らの刑死に涙する日本人のメンタリティには、考えが及んでいない様です。 「国家が国民を殺す」と言う行為は、法理を超えたところに存在する行為です。 アナタ個人の考えを否定する気はありませんが、死刑は「だからこそ、死刑があるのだ」と言う様な、単純な話しでは無いことだけは確かです。

myrtille54
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >どちらかと言うと、キリスト教的かと思いますが・・。 そうでしょうか。今の日本人で 「右頬を殴られたら左頬をも差し出しなさい」の考えに従える人は かなり殊勝な人だと思うんですよ。日本人の多くがキリスト教的だったら、半沢直樹があんなにヒットしないはずです。 >日本人のメンタリティを代表する「赤穂浪士」が象徴的ですが、赤穂浪士は報復者であると同時に殉教者であり、その両方が揃っての美談,美徳です。 今の日本人にそんな美学を持っている人が どれだけいるでしょうかね。私は「北斗の拳」のジャギこそ 今の日本人の浅ましさを象徴しているような気がします。もっとも key00001さんはそんな漫画読まないか。 >アナタは赤穂浪士の討ち入りに喝采を送るだけで、彼らの刑死に涙する日本人のメンタリティには、考えが及んでいない様です。 key00001さんは頭が良すぎて、私たち庶民の平均的な感覚とはズレを感じます。

  • kou913
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.1

もしも我が子が犯罪を犯したとき、私は死刑にはしてほしくはないけれど、やはり、遺族側の立場になれば死んで償って欲しいと思うかもしれませんね。 法律的には、死刑はあって良いと思いますが。

myrtille54
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >もしも我が子が犯罪を犯したとき、私は死刑にはしてほしくはないけれど、やはり、遺族側の立場になれば死んで償って欲しいと思うかもしれませんね。 意地悪な仮定です。ちょっと込み入っています。実際の法律は無視していますので、そのつもりでお考えください。 kou913さんの 奥さん(旦那さん)が殺されました。そこで kou913さんのお子さんが 母親(父親)を失った悲しみを相手にも分からせようと 仕返しで kou913さんの 奥さん(旦那さん)を殺した加害者本人ではなく、その人の母親(父親)を殺したとします。それで、お相子なわけです。 そこで、 kou913さんのお子さんと kou913さんの奥さん(旦那さん)を殺した加害者の二人が絞首台に立ちました。 そして、 kou913さんと kou913さんのお子さんに殺された 母親(父親)の配偶者の二人に 死刑執行ボタンを押す権利が与えられました。 二人が押した時のみ、絞首台に立った二人とも死刑になります。その時、kou913さんは迷わずボタンを押せますか? 押すとしても 非常に重いことと思います。

関連するQ&A

  • 「やられたらやり返す」それは正常な感情です

    死刑は代理報復の一面があるのは否めないが、そのために死刑が存置されているのではない あくまでも治安の維持のためであり罰を与えることが目的です 加害者が死刑になっても被害者遺族の悲しみが無くなるわけではないが、死刑にならなかったら更なる苦しみが一生続くでしょうね 少なくとも加害者が生きてる限り「怒り」の感情は小さくならないでしょう 加害者が死刑になれば「死ねば仏」ですから、「怒り」には多少一区切りがつけられると思います つまり大半の殺人事件の被害者遺族はそれに耐えながら生きていると思います 「やられたらやり返す」それは正常な感情です これで正しいですか?

  • 三人殺しても死刑で納得?

    よく、死刑賛成派の人は 1人殺しただけでは 死刑にならないのは おかしい と言います。 でも、1人殺して死刑なら、3人殺しても 死刑にするだけで 納得できるんでしょうか? 裏返しで考えるのなら、加害者が 最初から死刑覚悟なら、1人殺すも3人殺すも同じ、どうせなら 3人殺そうと 思う人がいても不思議ではありません。もともと、殺人者なんて まともじゃないんで 一般人の良識論は通用しないと思います。それで、2人目、3人目の殺人に関しては どうでもいいんでしょうか? それから、加害者が 死刑執行前に病死ししたら、遺族の無念も この上ないと思います。遺族感情って、 どうせ 死んだんだから 死刑にならなくてもよかったとか そんな甘いもんじゃないと思います。加害者の親族や 他に関係している人間を 殺したいとか思わないのでしょうか? ぼくは高卒で馬鹿ですが、有識者の皆さんはどう思いますか?

  • 被害者側の報復感情を適切に処理できないと

    被害者側の報復感情を適切に処理できないと、 国民の間に、司法や国に対する信頼が失われていくのではないか? 死刑制度については、被害者の報復を國が成り変わってやると言う側面があるような気がします。イスラム法で言う目には目をです。中世には、正当な報復は合法でした。日本でも江戸時代には敵討ちという殺人が合法だったのです。明治になって近代法治主義を取り入れたとき、いかなる理由があろうと個人的殺人は禁止せざるを得ませんでした。その代わり、加害者に対する報復は國が代行することで被害者感情とバランスをとったのです。いわば代行敵討ちです。この側面を無視して、人道上の理由だけで死刑をなくすのは、人間感情と相容れず、合理的とは言えません。必ずどこかで社会的歪みが生まれます。被害者側の報復感情を適切に処理できないと、 国民の間に、司法や国に対する信頼が失われていくのではないか、と懸念しています。それはボデーブローのように、時間をかけて 国民の規範意識を弱め、 徐々に社会を歪めていくのではないでしょうか。 皆さんは、どう思いますか?

  • 被害者遺族感情を量刑に反映すると、被虐待児が被害者なら刑は軽くなるの?

    最近、殺人事件の裁判などのニュースで「被害者遺族の感情を反映させるべき」というフレーズをよく聞きます。 実際に家族に愛されていた被害者が殺された場合、それはもっともなことだと思います。 でも、秋田の連続児童殺傷事件や渋谷の医師家族の事件など、被害者が生前から家族に愛されておらず、犯人が家族の場合、つまり、被害者の無念さに遺族が無関心な場合、量刑は軽くなるという意味なのでしょうか? 殺人の厳罰化は犯罪抑止力を狙ったものと聞きますが、それでは死刑にされたくて無差別殺人をしたいと考える変質者が、大阪池田小事件の犯人のように生育歴や家族環境に恵まれていない場合、かえって「自分がもし殺されたら、死んでからも差別されるのだから」恵まれた人を何人か道連れにしようなどと考えたりしないでしょうか? たとえば裁判やニュースで、被害者が家族に愛されているようすのビデオやエピソードを流すのは、「この子が5分間で与えられた優しさは、自分が数十年生きてて体験した分よりはるかに多いんだから、もう殺したって元が取れてるだろ」と変質者の論理で考えたりしないでしょうか? 色んな事件のニュースを見ても、被害者遺族の感情にスポットが当たる事件ほど、犯人がよけい攻撃的になっている気がして、ちょっと心配になりました。

  • 被告人の死刑を望む人々について

     山口県光市の母子殺害の裁判で被害者の遺族が被告人に死刑を望む発言をしているのを聞いて思ったことです。  私は、よくTVで遺族は被告に対して死刑の判決を求めている会見を見ます。つまり、これは遺族は「被告が死んで欲しい」と思っているということ、極端に言うと「人の死を望んでいる」という事になりませんか?私が子供の頃、人に向かって「死ね」と言うと、両親は私を叱り「死ねということを人に言ってはならない」と教えられました。しかし、光市のような事件がTVで放送されると両親は、「死刑になって当然」と言います。これは、「死ね」と言っていることと同じではないかと私は思ってしまいます。被告人は確かに残虐な殺人を犯しましたが、人であることに変わりはありません。もし、遺族が死刑を望んでいた被告に対して裁判官が「遺族の無念さははかりしれない」等の言葉を言って、死刑判決を下し、死刑が執行されたら、遺族は間接的に殺人を犯したのではないかと考えています。みなさんはどのように考えますか?ご意見の方よろしくお願いします。

  • もし、日本で死刑を廃止したら

    日本では国民の3/4~4/5が死刑を支持しています。 根強い死刑の支持の理由には 刑務所の経費、遺族感情、殺人事件など 凶悪な犯罪の抑止 などが主な理由だと思いますが、 今回は 刑務所の経費について考えようと思います。 もし、極刑を死刑から終身刑に変えた場合、どれくらい、経費が余分にかかりますか? きちんとした根拠があれば ありがたいです。

  • 殺人被害者がホームレスなら刑は軽くするべきなのですか?

    死刑か無期懲役か判断が微妙な殺人事件が起きたとき 被害者遺族に思いをはせ「このような刑罰では遺族の無念な気持ちは報われない。それを考慮すれば無期懲役は甘い。死刑とするべきだ」 とブログなどで意見を表明する人を見かけます。 最高裁の永山基準でも被害者感情の大小は 死刑判決を出す上での重要なポイントとなっています。 一年間に数件ホームレスのような身寄りがないと考えられる人が殺人事件のターゲットになっていますが このようなケースの場合被害者家族が法廷に現れ「愛する家族を失い、大変つらい思いをしている。 ぜひ犯人に重い刑を!」と訴えることはあまりないと考えられます。 遺族の被害感情を考慮していくことは正義のようにも見えますが裏を返せば「家族をもち愛されている人が殺人のターゲットになった場合は刑が重くすべきで天涯孤独の人が殺された場合は刑を軽くすべき」といっているようにもとれます。 両者のように被害者の境遇が違っていた場合は刑を変えるべきなのでしょうか。 あるいは被害者の境遇にかかわらず同程度の刑を与えるべきなのでしょうか。

  • 光市の母子殺人事件、法律的に見てどうなのか教えてください

    光市の母子殺人事件、法律的に見てどうなのか教えてください。 私の個人的な意見(感情)は、犯人はもちろん死刑、 21人の死刑廃止論弁護士も極刑にしてしまえ!と思っております。 ご遺族の方へは「あともう少しだ!がんばれ!!」心から応援したいです。 世論もご遺族に同情的だし、21人の弁護士に対しても厳しい意見を持っている方が多いようです。 もしかしたら最終的に死刑の判決がでるかもしれません。 そこで質問です。そもそもの話になりますが、 この事件は世論やご遺族の感情は別として、 法的に犯人の犯した罪の量は死刑に値するものなのでしょうか? 先ほども述べましたが、私は犯人には死刑になってもらいたいと思っています。 ただもし死刑判決が出たとしても、法の下にそういう判決が出たというより、 裁判所が世論に動かされたためという印象が否めないのです。(私はそれでもいいと思ってますが) ご遺族の気持ちを思うとこの事件の犯人には死刑になってもらいたい反面、 ここまで世間が騒がなければどうなってたのかなぁと思います。 私の近所の男が仕事が決まらずむしゃくしゃし、何十件と放火を重ねました。 火事で何の罪も無い家族5名が亡くなりましたが、彼は死刑にはなりませんでした。 法律の専門家の見解を伺いたいです。 この事件はご遺族の感情、世論を抜いて、法律だけをみて 死刑に値するのかどうかを教えてください。

  • 死刑問題を語る時に感情論はダメなのですか?

    特に死刑反対派の方々が言いますが死刑問題を 語る際「感情論」は排除すべきみたいな方が多く見受けられます。 もちろん感情だけで語るのはNGでしょうけど感情って 大事な部分ではないですか?? もし感情を無視しろと言うのなら何のための法律なの?? 本来国民一人一人の為にあるのが法律ではないの?? 身内を理不尽に一方的に殺されたら加害者に死刑を望む。 これを極わずかの人が望んでいるならともかく多くの人が 望んでいる状況で死刑はダメだ!!と言う人は誰に遠慮してるのですか? 死刑反対派ですらもし被害者遺族だったら死刑望むかも知れないけど それはよくない! 的発言してる人もいましたが誰に遠慮してるのですか?? もちろん被害者遺族だけの意見を重視するのは危険でしょうし それこそ正当防衛で殺したのに殺された側の遺族に死刑望まれて コチラまで殺されたらたまったもんじゃないですしね(笑 被害者遺族の意思 + 裁判員の考え この辺の両者の感情は多少重視しても良いのでは?? 上記に上げた正当防衛みたいな例なら被害者遺族が死刑望んでも 裁判員側で死刑はありえない。無罪を・・・等なるでしょうしね。 極端は話し国民の多くが万引きされるのは精神的苦痛半端無い。 泥棒は許せない。この身が張り裂けそうだ。家族が殺されるより辛い。 と思って万引き=死刑が妥当。 と国民の多くが思うならそれすらありだと思うのですがダメな理由は? まぁ、最後の万引きの例は極端ですしそんな世界になったら怖い気は しますけどなぜ感情を無視しないといけないのでしょうか?? 法律は国民の為にあるのでは?? ちなみに被害者が天蓋孤独なら従来通り殺人罪で過去の判例や 被害者遺族の意見なくても裁判員達の意見反映すれば良いし 不平等だ!!というならそもそもが被害者と加害者の時点で 大きな不平等でてるのだからガタガタ言う権利は加害者には無いのでは? それに見方をかえれば天蓋孤独の人を殺した・・・ 悲しむ人が少なくて済んだので罪が重くなりにくい・・・ 家族に慕われてる人を殺した。 悲しむ人が多く結果罪が重くなる。 同じ事やったって結果多くの人を苦しめたのならそれ相応の罰 受けるのはおかしくないのでは?? それこそ事故レベルで言うなら 操作ミスって電柱に激突。=ちょっと自分の入院費と 色々修理代が飛んでいくだけ。 が、たまたまそこに人がいたら裁判沙汰へ発展。 同じ事でも結果多くの人を犠牲にしたのならそれ相応の罰は当然では?

  • もし、永山基準をなくしたら?

    日本では 1人殺したくらいでは滅多に死刑になりません。 概ね、死刑になるには概ね3人以上が目安になるそうです。 ぼくは低学歴で馬鹿ですが、 ぼくの単細胞の頭で考えると、1人殺しても原則死刑にすれば、殺人事件も減るし、遺族の無念も晴らせると思うんですが、社会学や法律学の有識者はどのように考えていますか? なお、ぼくと同類の同調意見は要りません。