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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:研究を論文として発表しない大学教員)

研究を論文として発表しない大学教員の問題

yuklamhoの回答

  • yuklamho
  • ベストアンサー率26% (305/1156)
回答No.14

 『さて、完全を求めるが故に論文を全く発表していない教員は、技を修得していないわけであって、教育者としてやっていくことができないと私は思っています。どうでしょうか?』 私は生物系の研究職のものなのですが、人文科学の教官って論文を出さなくても大丈夫なのですか?クビにはならないだろうけれど、学内で居場所がなくなるというか(昇格できなくって)いづらくなることはないのでしょうか?理系の場合は、いい雑誌に一つでも多くの論文を出さなければ研究費がもらえないので。 『「不完全ながらも、ある程度の体裁をつける技術」こそ、論文の技だと思っています。』 一般論としてはそうだと思いますが、生物系の論文の場合は殆どの雑誌に審査員がいて彼らの審査を通らないと雑誌に論文が載りません。なので、「こりゃ不完全だ」と思って出すと落ちることもあるし、運が良くても追加実験をさせられます。 学位審査の場合も、体裁を整えてもあまりに内容が貧弱だとパスしない場合もあります(実際にはそういう場合は主査の教授が審査を見送る)。 研究を論文として発表しない、ゼロというのは何も研究していないのと同じなのでよくないですが、論文の数より質を大事にするというのはそれなりに大事だと思います。バランスの問題です。特に大学院はまだトレーニングの課程なので数と質なら質を重視した方が良いと個人的には思います。勿論、論文にするという前提でです。教官になれば仕事ですので定期的に論文がでないと具合が悪いということはあると思いますから、数も大事です。 恐らく、理系と文系でだいぶ認識が違うと思います。少なくとも理系(生物系)の場合は授業や実習もあるけれど殆どの時間は研究室で実験しています。実験するためにはお金が要ります。その研究費を得るためには質の高い論文をたくさん書かなければなりません。ですから、教育者というよりかは研究者という認識でいると思います。中には教育重視の方もいらっしゃいますが。 量と質の両方が求められるので、ある程度やって発展しないような研究は捨てるか手間がそれほどかからなければ“不完全ながらも、ある程度の体裁をつけ”て論文にします。

noname#187976
質問者

お礼

>クビにはならないだろうけれど、学内で居場所がなくなるというか(昇格できなくって)いづらくなることはないのでしょうか?理系の場合は、いい雑誌に一つでも多くの論文を出さなければ研究費がもらえないので。  おっしゃる通り、居づらくなりますよ。仔細は書けませんが、「何やってんの、あの人?」という雰囲気が出てきます。同僚は理解してくれても、院生の方が許さない(笑)。ただし、お話を読んで思ったことがあります。理系の場合は研究費が無いと、研究者生命が絶たれるでしょう。しかし文系の場合、図書館に行けばいいし、ある程度、どうにかなってしまう。大体はシンポジウムを開催する費用になっています。外国人を呼んできたり、冊子を発行したりと、啓蒙活動に使われています。研究費が小さい分、自由なところはありますね。 >「こりゃ不完全だ」と思って出すと落ちることもあるし、運が良くても追加実験をさせられます。  これは私の言葉足らずだったかもしれません。「不完全」とはクオリティが低いという意味ではなく、当初の理想を達成できなかったという意味でした。ご明察の通り、ここには文系と理系の差があって、私はこれを説明しておくべきだったのだと思います。改めて言われて、気付いてきた次第です。  文系の場合、多くは歴史研究になります。経済史、哲学史、文学史、美術史など、結局は「史」になります。しかし細部を完全に把握することは難しいです。故に常に不満なところは出てきます。これは後に出た研究が乗り越えて、修正していく予定です。この遥か高見に、数百年して、完璧な研究が登場するのだろうと思います。 >数と質なら質を重視した方が良いと個人的には思います。  上記の事情で、院生には大体の場合、質を達成するのは不可能なんです。大志をもって院生は調査を始めるのですが、資料がある程度集まったところで「もうそれだけでやれるようにしろ、その枠組みを一緒に考えよう」と言って課題設定を調節します。  わかりやすい例を出すと次のようなものです。「白樺派の歴史を調べていたけれど、多過ぎて無理だ。しかし志賀直哉については資料が集まっている。じゃあ志賀直哉論としてまとめてしまうことにしよう」とか、「志賀直哉という作家の生涯(=歴史)について調べていたけれど、全作品を分析することは出来なかった。しかし『暗夜行路』だけは手厚く調べた。故に『暗夜行路』論としてまとめよう」。  これらはわかりやすい例です。仔細を書くと煩瑣なので、簡単な例しか出せませんが、作家名や作品名を規定することで調節が出来るということは稀で(この程度は学部生でも一人で出来る!)、概念で絞ります。こうやって、ある狭い範囲については「死角」がないように調整します。  しかし私はこれが文系だけではないと考えます。理系でも野望を持っていろいろ実験を繰り返したけれど、使えそうなデータは一部しか無いのであって、それを見極めるために試行錯誤しませんか。

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