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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:研究を論文として発表しない大学教員)

研究を論文として発表しない大学教員の問題

takkochanの回答

  • takkochan
  • ベストアンサー率28% (205/732)
回答No.9

分野が違うので、一概にどうこうは言いにくいですが >研究を論文として発表しない大学教員は、教育者としてきちんとやっていけると思いますか?  本来は研究で得たものを教育に反映するのが大学とは思いますが、自分の場合も、教育の面では ほとんどが既知事項ですから実際には関係ありません。しかし、本来の大学の目的から言うと どうかなとは思います。 >私は以下の特徴があると思います(人文科学)。 >・当人は研究している。研究室は本で埋もれていることが多い。 >・しかし論文にしない。 >・完璧なものを求めるためである。 ここまでは、うちの分野にもいます。 今年3月に准教授で定年になりましたが、なんと10月から研究生として復帰してきました。 在勤中ほとんど論文を書かなかったのに、今さら、何をするのかなという感じです。 研究自体はしているのだが、とにかく論文を書かない。 >・これを学生にも求める。 >・その結果、学生を潰してしまう。 私の周りの論文を書かない教員にはこれはありません。 >私は完璧な論文など、この世に存在しないと思っています。 そうは思いたくないけれども、そうかもしれません。しかし、最善は尽くすべきでしょう >だから「こりゃ不完全だ」と思っても、ある程度のところで発表に踏み切らないとなりま >せん。そこで誤解を恐れず言えば、「不完全ながらも、ある程度の体裁をつける技術」こそ、 >論文の技だと思っています。 ここまではどうかなと思いますが、まあ、ここは納得します。 >学生の論文など不完全なものであって、この技術が無いと成立しません。 卒論は卒論であって、本来の論文とは別物ですから。 >さて、完全を求めるが故に論文を全く発表していない教員は、技を修得していないわけで >あって、教育者としてやっていくことができないと私は思っています。どうでしょうか? 別にそういうわけではなくて、その時点では、自分で納得していないからかもしれないと 思います。それでも論文発表した方がよいとは思いますが。 教育者としては、別問題と思います。 まあ、私は理系なので考え方が違うかもしれません。

noname#187976
質問者

お礼

 ありがとうございます。しかしおっしゃることはよくわからないです。よかったら補足を頂けませんか。t先生は懇切丁寧に投稿を下さる方だと考えているので、敢えて疑問をぶつけてみます。 >教育の面ではほとんどが既知事項  私は知識を教えるのではなく、考える力を養うところが大学だと思っていました。少しショックを受けました。 >卒論は卒論であって、本来の論文とは別物ですから。  卒論は単位を取るもので、ジャーナルに掲載される論文は社会に広く読まれるものですね。しかし「別物」というほどの問題ではないと感じています。私が指導した学生の論文は、文章が稚拙であったにせよ、ジャーナルに投稿できる水準を目指しています。必ず一つ以上は小さな発見をしてもらいます。 >別にそういう[今あるデータで論文をまとめる技術がない]わけではなくて、その時点では、自分で納得していないからかもしれないと思います。  よくわかりません。今手元にあるデータをまとめ直し、新しい観点から書くことが出来ないということでしょう。そういうのを技術が無いと呼んだのですが。私の言葉足らずかもしれませんが、不完全なものを納得しない形のまま、提出することなどありえません。不完全なものを納得できる形に整形し直します。さもなくば査読を通過して、ジャーナルに掲載されないと思うのですが・・・。  どうやらご投稿をまとめると、次のように類推できます。 ・既知の知識=教科書通りの知識を伝達するのが教育。 ・故に教育者の研究能力はそれほど問題ではない。 ・卒論とジャーナルは全く異なる。  卒論とジャーナルの差がわかりませんが、卒論とは既存の知識を学習したことを証明するものなのかもしれません。だとすれば、これはこれで一貫しています。既知の情報を伝えることが教育だとすれば、指導者の研究能力の有無は問題はありません。しかし、これでは高校の延長ではないか?と感じたとお伝えします。  大学・大学院とはデータを整理し、そこから仮説を導き出す方法を教えるものだと思っていました。また同時に、仮説がデータと合致しなければ、仮説を修正し、論文として形を作る技術も教えるものだと思っていました。知識の伝達は本を読めば書いてあるので、二の次と思っていました。これは文系も理系も同じだと思っていました。  理系と言っても、念頭に置いていらっしゃるのは、技術者を養成するような教育ではないでしょうか。

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