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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:母の死・・受け入れ方)

母の死・・受け入れ方

naana2の回答

  • naana2
  • ベストアンサー率38% (74/191)
回答No.3

自分は18の時に母を亡くしました。余命宣告があったわけではなく、突然死だったので質問者さんのケースとはちょっと違いますね。 私はお葬式でも気丈に振舞い、常に冷静を装いました。 優しい言葉をかけてくれる親族も居ましたが、自分の心には何も響きませんでした。 ようやく日常も落ち着いたのが1週間後。でも心にポッカリ穴が空いてしまい、ただただ虚無感で満たされました。自分が描いていた夢が陰り、全てが壊れていくのを感じながら、自分は母によって生かされていたことに気付きました。 それらを全てに整理をつけて、ようやく母を自分の心の中から送り出してあげることが出来たのは10年たってからでした。母の命日前になるといつも憂鬱なカウントダウンが始まり、その日を思い出すことが毎年ありましたが、10年目その日をうっかり忘れてしまったんです。 その時初めて、自分の気持ちが母の記憶を束縛していたんだなぁと思いました。 今は泣くしかない。 全部出し切ってしまうほうがいい。それでも涙が出てきても。 生きている自分は前を向くしかない。 そのあと何年もかけて、自分なりの答えが出て ※自分の話ですが、 あの時、優しい言葉をかけてくれた親族、厳しい言葉をくれた人達の言葉を受け入れられれなかった自分。ひねた心で耳を塞いでいた自分。親が死ぬことによって、そういう大人と子供の間で揺れる心を、全然だめじゃない!おまえはまだやれる!って今度は自分が経験者として救える立場になりたい。 と、思った時 本当の意味で強くなれたと思いました。 与太話で申し訳ない。 少しでもこの回答が貴方の心に響いてくれればと思います。

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