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可能動詞

dohedoheの回答

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  • dohedohe
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回答No.3

辞書で「可能動詞」を引いてみました。すると、「現在では、五段活用以外の動詞からできた「見れる」「来れる」などをも、可能動詞と認める場合がある」とありました。意味の上から「食べれる」を可能動詞と主張すると何ら矛盾は起きないように思われます。 一方、成り立ちに関して、可能動詞は五段活用の動詞の命令形に「る」がついたものとされています。 「歌う」の命令形+「る」→歌える 「話す」の命令形+「る」→話せる 「打つ」の命令形+「る」→打てる などです。 これは、「食べれる」などの、五段活用以外の活用をする動詞にはあてはまらないことになります。 「食べる」の命令形は「食べろ」または「食べよ」となり、【命令形+「る」】の形にしても「食べれる」とはならないからです。 しかし、可能動詞を五段活用の動詞の仮定形に「る」がついたものとしたらどうでしょう。 五段活用の動詞の場合、仮定形も命令形も同じ活用をしますので、【仮定形+「る」】としても何ら問題はありません。 そして、その他の活用の種類の場合でも、 上一段活用:「見る」の仮定形+「る」→「見れる」 下一段活用:「寝る」の仮定形+「る」→「寝れる」 と、正格活用(口語文法におけるカ行変格活用とサ行変格活用以外の活用)では問題ないように思います。 ところが、カ行変格活用の場合は、「来る」の仮定形+「る」→「来れる」と、表記の上では問題ないように見えますが、読みが「くれる」となってしまいます。 サ行変格活用の「する」は可能動詞にはなりません(そもそも「する」につく助動詞は「られる」ではなく「れる」です)。 ほかにも、五段動詞でも「ある」は可能動詞にはなりませんし、上一段動詞の「できる」、下一段動詞の「見える」なども可能動詞にはなりません(「できる」も「見える」も可能動詞ではありません)。 こう考えていくと、可能動詞という区分自体がまだ確立されていないと考えることもできます。だから「書ける」が辞書に載っていなかったり、「食べれる」を可能動詞とする見解が出てきたりするのでしょう。 長々と失礼しました。

ahkrkr
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 なるほど、このように考えると可能動詞は五段活用以外の動詞にも拡張できるということですね。

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