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学者は政治家のようなもの、とは?

学生です。 将来研究者になりたいと思い、指導教員の先生と研究者について色々話していたのですが、そのなかで学会とか研究費とかについての話をしていると、「学者(大学教員)はある意味政治家のようなものでもあるんだよ。」と言う事をおっしゃっていました。これは一体どういうことなのでしょうか? 専攻は文系ではなく理系なのに、なぜ政治家という言葉がでてきたのでしょうか?政治家と学会・研究費にどんな繋がりがあるのでしょうか?指導教員に聞いてもそれ以上は教えてくれません。 どなたかわかる方がいらっしゃったら教えて頂けないでしょうか? よろしくお願いします。

  • 科学
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みんなの回答

  • Postizos
  • ベストアンサー率52% (1786/3423)
回答No.6

辞書によると政治とは「諸権力・諸集団の間に生じる利害の対立などを調整・統合すること」とあります。 例えばデザインは色々対立する要求を両立する方法や、どちらかを優先させてできなかった方に代替の措置をする、などの解決策を講じて行って完成するという点で「政治」であるというような喩えがされます。 ここで言う「政治」とは喩えでもありますし、広い意味での政治でもあるわけです。 対立する利害(派閥もあります)や、支配や被支配(上下関係)、矛盾する要求(あちらを立てればこちらが立たず)、そういう物が無ければそれに越した事は無い、そういう意味では政治とはネガティブな物で、無くて済むのならその方が良いに決まっています。汚い面(ある計算で策略などを使って本心でないことを言ったり説明したりするなど)はどうしてもついて回ります。 しかし対立する要素があってこそ、それを統合して行く仕事と言うのは工夫のしがいもあり、達成したときの満足感もあるとも言えるでしょう。 しょせん汚い物だからと居直ってしまわずに、また理想と違うからと逃げ出してしまわずに、汚れにまみれながらも本来的な理想を忘れないようであれば立派ではないでしょうか。

  • SOGYO
  • ベストアンサー率26% (17/65)
回答No.5

先立つものとはよく言ったもので, どんな研究であっても,その額の多寡は別としてお金がなければ何もできません. したがって,学者(特に大学の教員)の大きな仕事の一つに 「いかにして研究費を確保するか?」 というものがあります. (むしろそれに大半の時間を費やさねばならない) 知識のレベルも立場も様々な人・機関・国にむけて 自分の研究の有用性を説き,お金を確保する. しかもそこには,師弟関係や他の類似する分野の研究者との力関係が絡む. まぁ,政治家が選挙活動前にやってることに近いと言われればその通りですね.

  • tadys
  • ベストアンサー率40% (856/2135)
回答No.4

研究の中には、一人でコツコツやって成果の出る研究も有れば、大勢の人と沢山のお金を掛けないと出来ない研究も有ります。 ノーベル賞学者で言えば、前者は下村さん、後者は小柴さん。 小さな研究でもお金は必要ですからね。 人を説得できなければお金は出てきません。(自分が大金持ちで有れば別ですが) CERNでの研究者は年間で1万人を超えています。 こういう施設を運営するには政治的手腕が必要でしょう。

  • alphaXXX
  • ベストアンサー率40% (108/264)
回答No.3

どんな研究者でも予算と研究設備がなければ研究はできません。そして大学にはそのどちらも限られていて全ての学者が潤沢に予算はもらえません。 そのため予算や設備を得るための権力闘争が必然的に発生します。 無論、学者として優秀であれば予算は出やすいですが、学者として優秀であることを判定するのは国とかの役所であり、優秀であると示すテクニックなどがあったりもします。 こうしたテクニックは学者としての優秀さとは別であり、政治家的な技術が求められます。 つまり学者は学者として優秀なだけではなく政治家並みに口が上手くて交渉力がなければやっていけないわけです。

noname#171471
noname#171471
回答No.2

研究者と政治家ですか… 世間・大衆にウケないといけないということかな? 派手で目立つ研究が周囲から求められており、そういう研究に対し研究費がたくさん下りる。 だから自分のやりたいことを素直に研究できるとは限らない…とか。

回答No.1

 予想ですが。 >指導教員に聞いてもそれ以上は教えてくれません。  君に考えて欲しくて「謎かけ」で出題したのでは無いかと思います。  このまましばらくの間、悩んでみてはいかがですか?

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