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勉強なんて『俺の』役にたたない、という意見

高校の教員です。 ときどき「学校の勉強なんて役に立たない」という人がいますよね。 大人でも「数学や歴史なんて、私の人生において不要だ」と言う人がいます。 あれを聞くと、私はとても腹が立つんです。 ある教育書で、こういう説を読みました。   教育は、個人がそこから利益を得るためのものではない。   教育によって利益を得るのは、社会全体である。   自分の利益をいったん置いてでも、共同体のために行動する、   そういう人間が一定数いないと、社会は維持できない。   (実際、そうでない会社はすぐに潰れる)   ゆえに、そういう人間を生み出すために教育は存在する。 要するに、学校で習うことについて 「それは『俺にとって』何の得があるんだ」 「それを習っても『俺には』何の役にも立たない」 と聞くこと自体が、お門違いだということです。 そうして自分の欲望ばかりを押しだすことをやめ、 社会をよくすることを考えられるようになろう。 そのために色々なことを知らなきゃダメだ、ということです。 それは、したいとかしたくないとかではなく、しなければならないのだ、と。 私はこれを読んで「そう、そうなんだよ!」と両手を打ちました。 生徒にも訴えましたが「言い分は分かるけど、イヤだなぁ…」という感じでした。 まぁ、子供なので無理もないでしょうが…… さて質問は、これを聞いた大人の方は、どう思うのかということです。 特に「勉強なんて『俺の』役に立たない」という大人の方にお聞きしたいです。 もちろん学生の方でも歓迎します。 反対意見でも構いませんので、いろいろ聞かせていただければと思います。

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noname#141177
noname#141177
回答No.6

勉強で学ぶのは、知識ではなく、「考え方」であると思います。 勉強が自分の役に立たない、というのは、勉強を単なる暗記だと勘違いしている人の発言です。 また、記憶力や応用力がある人間(いわゆるエリート)を峻別し、養成するためにも、画一的な教育・試験は不可欠でしょう。

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回答No.5

「学校教育」 >「それは『俺にとって』何の得があるんだ」 この発言は 教育をする側にも 受ける側にも 根本的な問題を投げかけているように思われます。 現在の学校教育では 学年に応じて 教科書というマニュアルに準拠した内容を 効率良く整理した形で教えていく方式だと思います。 教わる生徒の側は 年若く、いろいろと経験はしていても 先の長い人生航路! これから漕ぎ出して行くのですから どんな困難難問にぶつかるか 計り知れないものがあります。 いざ困ったことに出会った時 解決策を見つけるのが、それまでに受けた教育であり どういう手掛りを探せば良いのか、糸口を見つける能力を身に着けるのが 「教育」ではないかと思います。 >「それは『俺にとって』何の得があるんだ」 昔 私が教育を受けていた時 先生が 次のような設定をして教えて下さっていたら どんなに面白かったか と  先生方の顔を思い浮かべながら 時々ニヤリと思出し笑いをしています。 「将来 自分の土地家屋を購入する際 気を付けることは???」  複雑な土地建物の面積の計算 → 数学  建築材料の知識 耐震性など建築の力学 → 物理化学  日照→天文  地形 風土 歴史的背景 → 地理歴史  建築関係 登記関係の法律 租税の知識 → 社会公民  不動産取得時のローン設定の際の金融知識 → 社会経済  等々・・・ >「≪それ≫は『俺にとって』何の得があるんだ」 正確な面積の計算ができれば 不動産売買で損をすることはないぞ! 太陽の高度の変化を知っていれば この物件の冬至の日照時間が計算できるぞ! ≪それ≫を学習すれば 人生の強力な武器になることを 教わる生徒の側が 「気が付けば良いだけ」のような気がします。 新しい単元に入る前に これから先 直面しなければならない身近な問題との関連性を 示唆するだけで 問題意識を持って 学習に突入出来るのではないでしょうか。 「知りたい!」と強く願う心が 学習のエネルギー源だと思います。 若者の一人一人が 学習への自らの欲求から 生きて行く力をどんどん蓄えれば 必然的に 次の結論になりませんか??? >教育によって利益を得るのは、社会全体である。

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回答No.4

理系大学生です。 勉強はめちゃくちゃ役に立ってますよ。 理系は技術者になる人が多いので専門知識が必要だということも絡んでくるんですが、 一般人でもかなり役に立ってます。 僕の中では勉強は「思考訓練の場」だと思ってます。 要するにアタマを使うトレーニングをしているんです。 学生時代に勉強して鍛えてきた「考える力」を 社会に出て様々な問題に直面した時に発揮するものだと思います。 その他具体的に見ていっても、勉強は役に立っています。 英語や国語で論文を読むというのは、論理的な思考回路を鍛えることができますし、 他人の意見を吸収できます。 数学の問題はまさに社会に出て使う「問題解決」の典型的パターンです。 与えられた課題に対してどのようなアプローチをすればいいか、どの知識を使えばいいかを 試行錯誤しながら、最終的な答えを出すというのは大人になってからも使いますよね。 複雑に絡み合っている事象を様々な切り口で切ってみるというのは 地歴とよく似た点があります。 例えば世界史ならば、地域史、テーマ史、時代ごと分割する、などです。 勉強計画を立てるということは、仕事のスケジュールを立てることと同じことです。 期限、優先順位、時間を考慮して計画を立てる必要があります。 何を通して考えるかが違うだけです。 学生は学校の教科を使って考える。 大人は別のもの(仕事など)を使って考える。 必要な知識は違いますが、 土台となる力は変わりません。 また、上に挙げたようなことができる人間が社会で求められているのではないでしょうか。 社会が求めている=社会の役に立つということだと思います。 自分の利益を云々とありますが、個人主義の国アメリカの社会は崩壊しているのでしょうか? 僕はそうは思いません。 長々と書きましたが、まとめると ・勉強は大いに「個人」の役に立っています。 ・学校の勉強を通じて鍛えた力を仕事に活かせる人材を社会は求めている。 生徒さんが「学校の勉強は役に立たない」というのも理解できますよ。 何を隠そう、僕も高校生の時はそう思っていましたから。 教科の知識は役に立たない場合が多いのでそう考えるのでしょう。 でも「勉強とかホントに役に立たねぇー」とか文句を言っているほうが高校生らしいです 高校生がこれを理解できたら、それはもう、オッサンです。可愛くないです。(笑) 長文失礼しました。 参考になればうれしいです。

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  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.3

 企業勤務と大学教育、二足草鞋の立場に従事する者です。 日本の教育が抱える問題点として知識の獲得と思考することの乖離が見られます。極論かもしれませんが、高校までの教育では眼前の試験対策に重点が置かれることからどうしても「情報としての知識の獲得」になりがちな傾向も否めません。どの教科目も「なぜそうなるのか」を順を追って問うていきその過程を一つ一つ自らが調べ実験し検証する姿勢が必要であるにもかかわらず、こうした本質的な部分が押し込められる様な歪な形になってしまっている背景には、大人の社会でも「すぐ役に立つ」「答のみが欲しい」との短絡的な姿勢が影響している様にも感じられます。  実際の企業現場にはマニュアルどおりの想定問答などないのが実情です。正解は1つでしかないとの発想に基づくならばこうしたプロセスで育った人間が立ち往生してしまうのも当然です。しかしながら「もし~ならば」など自らが問題を解くプロセスを持つ発想があるならば、何らかの形で解決策を見出すことも可能でしょう。にもかかわらず「正解が欲しい病」の病根はスピードと効率が強調される余り、結果的に判断が誤っていたら元も子もない事に気付いていないのではないか、と考えることもできます。その過誤は時として致命的なミスを生まない共限りません。  しかしながら「勉強することの意味」を「何かとの関わりの中で、自分ならどうするかを考える」とするならば、検証過程に基づく判断の重要性など試験での「正解」や「模範解答」の類は意味を為さないことも理解出来るでしょう。  単体としての知識は何処まで行っても知識でしかありません。知識は他のモノと組み合わせることで知恵になります。その知恵の原点も元はと言えば学校で学んだ知識に由来するものでしょう。営業の仕事をしている方にとって、取引相手との遣り取りをする中でも「引き出し」の数が多ければそれだけ仕事の機会も増えていく可能性もあります。「今は役に立たない」と思っていても意外なところで「あの時に勉強しておいて、今になって役に立った」などの経験は幾らでもあります。学べる物は貪欲に学びたい、人生は一生学びの場であると僕は勝手に考えています。

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回答No.2

大学生です。 教育が利益を与えるのは社会全体ならば、その社会の一部を構成する『自分』にも利益はあると考えます。 ベタな事ですが確かに自分一人が学んだことによる見返りは小さいかもしれない。でもそれを多くの人が行うことで大きな見返りを得ることができる。1円だって1億枚集めれば1億円です(これと同じ理屈)。 あとは某ゲームからの引用ですが、学校では『学習する方法を学んでいる』というのは正論だと思います。確かに古典や物理学なんてものは普通の会社員になろうとする人にはいらないかもしれない。でも誰が将来会社員になると決めた。もしかしたら考古学者や科学者になるかもしれない。未来はどうなるか分からない。だから知識ゼロでその世界に放り込まれるより、例えその道の人にしては基礎中の基礎でもわずかな知識でも持っていたら、まだ自分の行く末を見失うことはない。それに、学習方法を知っていれば、何も知らない世界(仕事という意味で)に行ってもすぐにつまずくことはないでしょう。 僕が思うに教育(学習)が人生に影響を与えるのは社会に出てから、学生の間に『教育は役に立たない』『教育は役に立つ』の判断をするのは早いと思います。 長くなりましたが以上です。

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  • ka28mi
  • ベストアンサー率41% (969/2314)
回答No.1

40過ぎの会社員です。 学生時代は、「学校の勉強なんて、将来なんの役に立つの?」と思っていました。 で、実際に社会に出てみたら、学校で習った事は、物の考え方の基礎になるもので実社会で役に立つものだと言うことが分かりました。 たとえば、「集合」の概念なんて、言葉遊びのようで何になるのと思っていましたが、実際に使うわけではないけれど、論理的に物事を考える基礎訓練だったのだと思います。 「世界史」なんて、自国の歴史すら全部は怪しいのに、よその国で大昔に何があったかなんて、何の関係があるのと思っていましたが、どんな歴史があったのか、どんな宗教が根本にあったのか、どんな気候風土のところだったのか、どんな文化の国なのか、どんな国民性なのか、ということは、複雑に絡み合っていて不可分のことだと知りました。 学校の先生でしたら、学校で学ぶことが、実社会においてなぜ必要なのか、知らなければ困ることはどんなことか、一例を挙げてでも説明してあげてはいかがでしょうか? 「社会を良くすることを考える」と言っても、「じゃあ、どんなふうに数学は社会に役立っているの?」と訊かれて何も答えられないのでは、相手の心に響かなくて当然だと思います。 引用されている説でいうなら、「社会が得る利益」とは何ですか?「自分の利益」とはどういったものですか?「社会には利益をもたらすが個人には利益をもたらさない教育」とは、どういったもので、どういうシチュエーションですか? その説を突き詰めるならば、「教育」は個人がより良く生きるためではなく、その時の「社会」の権力者にとって都合の良い個人を作るために利用することも可になってしまいそうですが、いかがでしょうか? 個人の利益が全体への利益に繋がる、全体に対し益をもたらすように行動することが長期的には自身の利益に繋がる、のでなければ、長くは持たないと思いますよ。 一部の人の犠牲だけでは、物事は回りません。

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