• ベストアンサー

「真理は一つ。宗教はいくつ?」

kaminの回答

  • kamin
  • ベストアンサー率40% (30/74)
回答No.18

こんにちは。はじめまして。  ideaismさんは、『三酸図』という絵があるのをご存知ですか?仏教の中でも禅宗系の水墨画で、室町時代から江戸時代にかけてよく描かれて親しまれました。  絵には、釈迦と孔子と老子が一緒に大きな瓶の前に立っています。その瓶の中には酢が入っています。釈迦は、これを舐めて「ウン、酸っぱい」と言うわけです。すると、孔子は同じように舐めて「そうよね、酸っぱいワ」と言い、老子も「ホントホント、マジ酸っぱい」と、満場一致で「酢は酸っぱいのだ」ということが決定するという、賢者が三人揃って、まあ、当たり前のことを言ってる瞬間の絵です。  この絵が言わんとしているのは、宗教は違えど、「酢は酸っぱい」という真理は変わらないということ、言い換えれば、それぞれの教祖の語ることの真髄は同一である、ということを例え話にしたものです。昔から人々にはやはり「真理はひとつ」という概念があって、宗教の違いでケンカしたり軽蔑してはいけないことを、ちゃんと知っているのですね。    それでは、真理とは何か。それはきっと哲学であり、文学であり、農業であり、畜産であり、科学であり、魂であり、細胞活動であり、宇宙に存在する数え切れない程の生命活動と霊的なものの総合体でしょうから、あまりに壮大すぎて私には何が何だか分かりませんが、何らかの生なり物質なりが存在する以上、「真理」というものは確かに存在すると思います。  「ひとつ」といえば、宗教というものは、その多くが「死」を一つのキーワードにして成り立っているようにも思われます。釈迦が「生・老・病・死」を東西南北の門に見、それによって出家した四門出遊の逸話、そしてダイナミックな涅槃、キリストの磔刑および最後の審判、ピラミッドや古墳という人類の遺産がそれを物語ります。  死について話すのはあまりにおこがましくて、気持ちのいい話ではありませんが、宗教というものは、死という絶対的なものへの恐れから、望ましい生の在り方へ、何らかの模索をする存在なのかもしれません。   自分が何教徒であるかなんて無自覚であっても、人が亡くなればその大事を見送るためにお葬式をします。それは各国そうであって、キリスト教徒は彼らなりの(もちろん一絡げにはできませんが)、イスラム教徒はその習慣に合ったお葬式をします(ここでは「葬式仏教」の問題については他日に任せましょう)。  つまり、宗教はツールであると思います。軽い言い方に聞こえるかもしれませんが、人間が生きるために利用する生活の糧や、権力を支えるものであり、また、死者や大いなる力との交信に用いてきた道具のようなものではないでしょうか。敢えて「真理」という言葉と結びつけるのなら、宗教は「真理」へ到達するための手段として、人間が作り出した「梯子」のようなものと私は考えます。ただ、その梯子には色々と凝った仕掛けがしてあります。単に細くて長い梯子を一歩一歩登っていくものもあるだろうし、端っこに付いているボタンを押して呪文を唱えたらワープする梯子かもしれない。いつの間にかとんでもない方向に反れて真逆様に落下する梯子かもしれない。色々な梯子があります。  宗教と真理は別物であって、「宗教=真理」ではなく、「宗教=真理に到達する手段」。これが、世界中に数多の宗教が存在する理由であると私は考えます。一生懸命作りあげた梯子ですから、出来るだけ良い設置場所を確保したい。その場所をめぐってお互いにケンカしたり、弱い立場の者を迫害してしまうのかもしれません。  さて、どの梯子に登るか。梯子に登るには多少の交通費が掛かります。お布施や会費などの心づけが必要です。とはいえそれは、あくまでも梯子の維持費であり運営費です。支払ったからといって真理への道が保証されたわけではありません。さあ、どの梯子が真理へと導いてくれるのでしょうか?・・・・・私には見当もつきません。ただ、広い意味で宗教は、生活必需品として、そしてひとりひとりが発展していくための手段として、人間にとって必要不可欠な存在であるような気がします。  ideaismさんはどう思いますか?  

関連するQ&A

  • なぜ、どの宗教も多くの宗派に分裂したの?

    キリスト教、仏教、イスラム教などの巨大宗教は、無数の宗派に分裂していますね。 そのどれもが、自分たちが一番正しいやり方と信じていると思います。 そこで、感じるのですが、開祖が教えを始めた時には、当然、真理はたったひとつしか無かったはずなのに、時間が経つにつれて、どうしてこんなに無数の宗派に分裂するようになったのか、分りやすくお教え下さい。 たとえば、日本国憲法のように、それぞれの経典の文面が意味不明だとか、まるで反対のようにも解釈できる、といった理由でそうなったんでしょうか? もし、開祖の考え方はこれだ、と何らかの方法で立証できれば、原点に戻ってどの宗教もたったひとつの宗派にまとまるでしょうか? たとえは変ですが、もし100ある宗派の内、開祖の考えと同じである宗派が一つあるとすれば、残る99の宗派は、開祖を冒涜した事になるのでしょうか?  たとえば、開祖の名をかたって、信者を誤った道へ導いたという理由で? もしそうなら、どの宗派の信者も、真に開祖の教えに基づいているという確率は1%しかない、という結論になってしまうのですが ・・・ また、開祖の教えは、数学の定理と同じで、真理はひとつしかなく、それ以外は間違い、という考え方で良いでしょうか? 私自身、特定の宗教の信者ではないのですが、宗教というものをどう考えたらいいか、自分の考えをまとめたいと思いますので、宜しくお願いします。

  • 真理の分類

    真理の分類を考えました。 霊的真理:死後の世界の真理。宗教的真理。 自然真理:この世の自然法則。 人造真理:人間が作った法律。 自然真理と人造真理に精通すると、この世を手中に納めることができる。

  • 宗教について教えて下さい。

    宗教について教えて下さい。 世界中には様々な宗教がありますよね、 なんで人間には宗教が必要なんでしょうか? 一応、我が家も一般的な宗派はありますが、 個人的には「無宗教」です。 宗教を否定してるわけではなく、 人にはなぜ宗教が必要なんでしょうか? たまにかんたんな宗教の教えの本とか読むと「なるほど~、うまいこというなぁ~」とか「おもしろいなぁ~」とか思うのですが、 私の印象としては「人が人としての道」の様なものを、はずさずに生きてくよう、 教えてる印象があります。 しかし、昔に宗教のせいで起きた戦争がありましたよね。 宗教というものがよく分からないから私は「無宗教」なのかもしれません。 分かりやすく説明すると、「宗教」とはなんでしょうか? そして世界中には様々な宗教が存在してますよね。 皆、同じ人間なのに、生まれた国、または家柄で宗派が変わってきます。生き方まで変えてしまいます。 決して否定してる訳ではなく、 皆、同じ人間なのに、なぜ世界中、または日本だけでも沢山の宗教が存在するのでしょうか? 「人、皆、それぞれ」だけではなく、遺伝子的に生まれた時から絶対的な「何か」を本能的に必要としているのでしょうか? デリケートな内容の質問ではありますが、ずっーーーーーと疑問に思っていました。 何かの宗派の方でも、無宗教の方でも、どうぞよろしくお願い致しますm(_ _)m。

  • 宗教の意義についてです。

    大震災より来月で1年!…。大規模災害が世界的に続いてます。世間では又、大きな災害が起きるのでは?…と噂や憶測がなされ議論されてるとも聞きます。 1面、被災者やその関係者始め心有る方々は宗派や国を越えて無宗教の方々も平和や安穏、無事故、健康、長寿、又、冥福と復興、繁栄…を真剣に祈ってる筈です。 然るに何故、その願いは通じず新たな災害や戦争や飢餓、貧困…が続くのか?…、祈りが足りないのか?…、祈る対象外が違うのか?…、祈るだけ無断なのか?…、無駄なら何故、宗教は出来たのか?…、 そもそも釈尊1人が解いた教えが何故、沢山の宗派を生むのか?…。 宗教は反戦平和を掲げて祈る筈が何故、宗教間の争いが絶えないのか?…。 国内でも同じ本尊を拝みながら相争ってるのは何故か?…。 無宗教の方々は何に向かって何を信じて祈るのですか?…。 各家々の先祖に祈る人が居ますが祈りの対象がバラバラで祈りがバラバラでも願いは叶いますか?…。 宗教とは何ですか?…。 只の弱い心の拠り所、気休めだけですか?…。何の力も無い人間が作り出した架空の存在ですか?…。 その為にキリストは、釈迦は…宗教を作ったのですか?…。 とある宗派の様に無差別テロで何人もの無実の人々を殺す様な最低な宗派が有るのなら最高の宗派や教えは何ですか?…。 私含め人々の大半が何故宗教に無知なのでしょうか?…。 その意義と価値を解り易く教えて下さい。 反戦平和や無事故、健康、長寿…を叶えて下さる教えは有るのですか?…。 被災者や苦しむ庶民の為にも教えて下さい。 反戦平和や災害が起こらない様に祈っても何故、立て続けに災難や争いが絶えないのでしょうか?…。 何卒、宜しく御願い致します。

  • 宗教の色々

    初めて質問させていただきます。私はこの夏からカナダに留学することにしました。そこで気になったのが、世界の宗教のことです。日本は無宗教だといわれていますが、世界には真剣に宗教を信仰している人が大勢いますよね?ですが、私はキリスト教の教えすらわかっていません。宗教観の紛争が絶えない中、これではいけないと思っています。そこで、宗教について知っておくべきことがあれば何でもいいので教えてください。漠然としてるうえに長くなって申し訳ありません。

  • 真理

    最近、引き寄せの法則という内容の本が人気だそうです。 引き寄せの法則に限らずこの宇宙を貫く法則性、真理って あると思いますか。 あるとしたら人間が持っている多くの疑問に答えてくれるものなんでしょうか? 宗教的な質問ですが、真理があるか、どうかでお答えくださいませ。 よろしくお願いします。

  • この世の真理が知りたい…このままじゃ社会不適合者

    科学でも宗教でも辿り着けないこの世の真理について知りたいと、最近強く思うようになりました。 この世界はどのように生まれてどうして存在しているのか? 人が生きていることに意味があるのか、無いのか? 等々 そんな事ばっかり考えていたら、日常の色んな事がどうでも良くなってきました。 興味の湧かないことに興味の有る振りを演じながらこの先ずっと生きていかねばならないのかと思うと辛いです。 この世の真理なんて、興味をもって調べたからと言って分かる類のものでもないので常にイライラして、満ち足りないような状況です。 私はどうすれば社会と折り合いを付けて生きていく事ができるでしょうか? 東京オリンピック開催の知らせに飛び上がって喜べるような人が、心底羨ましく思います。

  • 宗教と宗派

    まったくおかしな質問ですいません。 宗教と宗派はまったくで別物ですか? 例えば宗教は何?と聞かれたら『仏教です』とか『キリスト教です』と答えますよね。宗派は何?ときかれたら『浄土真宗です』とか『曹洞宗です』と答えるとも思うのですが、宗教と宗派って関係があるのでしょうか? あくまで例えですが、例えば仏教という宗教の中に“浄土宗”“曹洞宗”“真言宗”・・みたいに分かれるとか・・ いまいち宗教と宗派の関係性が分かりません。 キリスト教信者なのに宗派は浄土宗・・こんなの無いですよね?

  • 宗教の分派

    仏教でも、キリスト教でも、元の教えは一つのはずなのに、枝分かれして宗派がたくさんできています。枝分かれ派は、元の宗派に対して、どういう理由で枝分かれしていくのでしょうか。 私が思いついたのがいくつかあります。 ・元派の中では、高位につけないので、分派して自らトップにつく。 ・元派の教えは、自分の考えと違うので、分派して、自分の考えを広めようとする。(元派の教えは、現状と合わず、改善も見込めない。) ・全く新しいものを造って広めようとしても、簡単に受け入れてもらえないので、分派という形で広めようとした。

  • 「哲学」は「宗教学」に近いのですか?

    当カテゴリで、いまだ未締め切りの質問を抱えている者です。 「哲学」がなんたる学問かについては良く知らず、 自分の質問内容が投稿先の候補としていた「心理学」や「国語」には多分当たらないであろうとの 消去法で「哲学」カテゴリに投稿した次第です。 私が投稿した質問はごく日常的な疑問です。。 何人かの方がすぐに回答下さり、とてもありがたく思いました。 しかし、ふと「哲学」カテゴリの質問リスト(回答数も載ってる)をみてみると、 タイトルに宗教的なものが多いように感じたのです。 聖書がどうしたこうした、仏がどうしたこうした、神がどうしたこうした… しかも、宗教的な質問ほど多くの回答が集まっているように見える。 これは私が考えていた「哲学」とは異なる傾向です。 「哲学」は宗教などから離れて、あるいは少なくとも宗教の教え等は第三者的な視点から捉えて、 人間の真理を追究する学問と思っていたからです。 ざっとみた感じなので申し訳ないのですが、 どうにも「哲学」カテゴリが「宗教」に巻き込まれているように思えてならないのです。 たとえば、本カテゴリで興味深い質問をみつけ、少し見てみたのですが、 回答された内容に、「輪廻転生」を前提としたものが複数見られました。 私は「輪廻転生」自体は否定しません。 しかし、「哲学」カテゴリで、 「人間は生き返るのだから大丈夫だよ」などとする意見はどうしても受け入れ難い。 これってまさに宗教的じゃない?気持ちわるーい!と思うのです。 私の「哲学」に対する認識は間違っているのでしょうか?