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釈迦の位置付けって?

neil_2112の回答

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  • neil_2112
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回答No.7

ご質問のポイントがはっきりしましたので、再度回答させてもらいます。 >「~宗にとっては釈迦如来よりも~如来のほうが上」とかあるのかな およそ伝統的な宗派では釈迦如来を否定することはありませんが、“格下”に位置づけることが全くないとも言い切れません。幾つかのパターンがあると思います。 まず、阿弥陀如来を至上の存在とする浄土宗や浄土真宗では、釈迦如来は特に礼拝の対象とはなっておらず、あまり大した扱いを受けていませんが、それでも否定されているわけではありません。少し詳しく見れば、むしろ大変尊敬を受けていることがわかります。 例えば、これらの宗派が拠り所にする浄土三部経のひとつ、「無量寿経」には阿弥陀如来のいわば来歴が語られています。阿弥陀如来は遥か昔には宝蔵という菩薩だったこと、誓願をたててそれが果たされるまでは菩薩でいることを誓ったこと、今は西方十万億土の浄土にいること、などが阿難ら仏弟子に語られるのですが、その語り手が釈迦如来なのです。 つまり、遥か昔の阿弥陀仏の生誕から成道まですべて見てきた、言わば全智の語り手の立場にあるのが釈迦如来なのです。信仰の現場では阿弥陀如来一本槍ですが、釈迦如来はちゃんと然るべきポジションを得ている、と言えると思います。 一方、法身仏である大日如来を礼拝する密教では、少し複雑なのですが、ざっと言えば“大日如来の主たる化身として”釈迦如来を高く位置づけています。 実際に曼荼羅を見れば、五智如来といって大日如来の5つの智慧を5人の如来で表した部分があるのですが、その5人(大日如来、阿弥陀如来、多宝如来など)の中に釈迦如来も入っています(名前は不空成就如来となっていますが、釈迦如来と同じこと)。 要するに、宇宙の働きそのものである大日如来が表す真理をわかりやすく衆生に伝えるひとつの姿として釈迦如来が位置づけられていて、釈迦如来を通じて人は大日如来の真理に通じることができるのだ、というわけです。 こういった教義を厳密に適用すれば、釈迦如来よりも法そのものである大日如来のほうが格上、という理解や信仰もあり得るとは思います。先に書いたように、釈迦如来は法の部分集合ですから、お釈迦さんが釈迦如来となれたのも、それは法が万古不易で存在するからこそ、つまり大日如来の御蔭なのだ、と言い得るわけですから。 ただし、現実問題としてやはりその法を説いた歴史上のお釈迦さんの存在を全く意識しないというわけにはいられないのもまた自然ですし、その大日如来の先にまたお釈迦さん、あるいは釈迦如来を投影してみる感覚も否定できませんから、このあたりの意識は少し複雑ですね。お釈迦さんと法、釈迦如来の間の関係は入れ子構造になっているからです。 (例えば真言宗寺院で、大日如来を本尊としながら釈迦牟尼仏を脇や別院に祀っているところは割と存在していて、法であって人格性の薄い大日如来一本槍では済まされない、という信仰の現実が伺えます。) 結論としては、法身仏を頂くところでは、原理的に「こちらが釈迦如来より上」という言い方はできるのですが、実際には、必ずしもはっきり上下を打ち出さない場合の方が多い、ということではないでしょうか。

miu-45
質問者

お礼

はい、大変よくわかりました!質問の主旨をうまく表せずお手数をおかけしました。これですっきり納得です。 どうもありがとうございました。 neil2112様はじめ、ご回答いただいた皆様、ありがとうございました。勉強になりました。

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