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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:進化論の疑問)

進化論の疑問について考える

akasheの回答

  • akashe
  • ベストアンサー率73% (11/15)
回答No.7

「コウモリの翼の進化」と「遺伝子領域」については、質問者の方が高校生だと考え若干ぼかした回答になってしまっているので補足していきます。 コウモリの翼は脊椎動物の前肢(人間でいう腕と手)が発達したものでよく見ると指が5本あります。その5本の間に「飛膜」という膜が後肢にまでかけて発達しており、これが滑空を助けています。(発生学的には同じ部分であっても使われる用途が異なっており「人間でいう腕と手」と「コウモリの翼」は相同器官と呼ばれます) 「イントロン領域」は簡単に言うと「働いていない遺伝子領域」です。「蓄積」という言い方があまりよくなかったようですが、この領域は「コードされない」ために器官発生、組織発生に関与しません。(遺伝子は「コード」される、転写と翻訳を経て働きを見せます) 要するに、真核生物には「イントロン領域」というよくわからない組織形成に関わらない領域があり(人間の場合は遺伝子の約4分の3)実際のところ、何をしているかはよく分かってないんです。(つまり、栄養を奪ってしまい不利ということはないわけです) 「若干ぼかした回答」が前の投稿というのは、以下のことです。 質問者の方が聞かれていることは「変化の間」は別に有意義ではないのではないかということと考えます。最近の研究で「レトロウイルス」というウイルスが遺伝子を動物の生殖細胞に埋め込んで働きを大きく変えてしまうということが分かってきています。つまり、僕が言いたいのは「ウイルスによる生殖細胞への変化」がきっかけとなって体つきが変化しそれに合わせた「自然選択」が働いたのではないかということです。 例えば、卵生から胎生への変化は「卵黄のう」(稚魚などの腹にくっついている栄養の入った袋)から胎盤への変化によります。この胎盤形成には父親由来の遺伝子が関わっているのですが、この関与遺伝子は「レトロトランスポゾン」と言われ、これはウイルスの遺伝子から組み込まれたものであると考えられています。つまり最初の一歩は「ウイルスによる遺伝子の組み込み」だったと考えられるのです。 そして、この遺伝子の組み込み(つまり変異)は「うまく」行われることが多い(普通に起こる突然変異より)ようです。ウイルスにしてみれば「宿主」に感染して数を増やしたいので生存を脅かす変異自体は望んではいないと考えます。ウイルスと宿主が「共進化」を果たしてきたとも言えます。 このトランスポゾンの研究という分野は新しい領域で、まだ研究段階なのでなかなか詳しくは僕も言えないんですが、こういった考えもあるということではいかがでしょうか。ただ、「自然選択」で説明できないことがあるからといって間違いとは言えないと僕は考えます。ダーウィンがフィンチで説明したことは多くの動物で説明できますし、上に述べてきた「ウイルス」の話と組み合わせることでよりうまい説明だってできてくると考えられるからです。

Lariat
質問者

お礼

 再度のご回答ありがとうございます。  コウモリの翼の構造はわかりました。どうやってそれができあがったんですかね?  レトロウィルスについてはよく理解できなかったのですが、ウィルスが関与したとしても、「『変化の間』は別に有意義ではない」ものに対して自然選択が働く理由にはならないですよね。

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