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国家の暴力が犯罪でない理論について

正義の戦争はなぜ「正義」なのでしょうか? 言いかえれば、国家の暴力(武力)はなぜ犯罪ではないのでしょうか? 最近ガンジーの危険な平和憲法草案という本を読んだのですが、上の質問に対する一つの答えとしてゲーム理論というものが存在するとあったんです。 ではその他にどんな理論がある(あった)んだろう、とふと気になりました。 >>注意 あくまで一般にどのような理論があるか気になるだけなので、個人の「過激な意見」は御遠慮下さいね。 また、これに関するURLなどあったら教えて下さい。 自分ではなかなか見つけられなかったので…

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  • ベストアンサー率38% (185/483)
回答No.16

No2様の回答が全てなのですが、補足説明と+αをお話します。 まず、法というものの目的を認識してください。 法の目的は、個人の権利や安全を守る為のもので、正義を定め国民や国家に要求することではありません。 平時の社会は、その国固有の歴史と文化に基づく常識という不文律に支配されており、全ての関係はそれに基づいて動きます。そのために、常識=法とはならない場合があります。 たとえば、「礼儀」は社会生活で重要ですが、それを無視しても犯罪者にはなりません。 質問内容は以下と解釈してよろしいのでしょうか。 1:正義の戦争はなぜ「正義」なのでしょうか? 2:国家の暴力(武力)はなぜ犯罪ではないのでしょうか? 1ですがそれは当事国が都合で言っている事であって、戦争自体は国家が持つ交戦権の行使にすぎず、それに正義も悪もありません。 言うのは勝手、他国が認めないのも勝手です。 2については、国家の暴力(武力)には、力が向けられる方向で警察(国内)と、軍隊(国外)がありますが、 まず、そもそも法律は全ての暴力を犯罪とは定義していません。 法律学の「罪刑法定主義」によれば、法律で犯罪と定義している以外のものは、犯罪ではありません。 また現実の問題として、暴力を用いてまで法を無視するものを従わせるには、暴力で応じるしかありません。 警察の暴力が許されるのは、上記の必要性において法律で犯罪と定義されていない為です。 軍隊の場合はそれを犯罪と定義する法律そのものがないからです。 (両者は、似ているようで全く違うものです) 現在の国家論では、主権を有する国家は、自分の外に従属するべき上位の存在や、行為の責任を負うべき外部の存在を認める義務はありません。 つまり、国家の主権とは、自分を制限する法律を自分の外部には持たないということです。 現実の大国と小国の関係は、単に力の差によるものに過ぎず、国家としての存在においては対等です。 国連ですが、これは国家間の意見の調整機関にすぎず、国家を超越した法を定める権限も、加盟国に強制する力もありません。(このあたりよく誤解されていますが) 戦争の作法を定めた国際法や条約も、話し合いでお互いの為に認め合っているに過ぎず、国際社会でのあらゆる不都合や孤立を恐れなければ、無視してもかまわないものです。 その国際法ですら、侵略以外の戦争は認めています。でないと侵略に抵抗すること自体ができなくなりますから。 つまり、警察権力は法により認められた国家が国民に強制できる暴力ですが、 国際法は、極論すれば町内会の決まりごとと同じレベルのものです。 逆に、国際法を認めている国同士の戦争処理については、勝てば官軍とはなりません。 国際法は、戦勝国は単に力が強いだけで、それを以って正義とは見做してはいません。 それを認めれば、国際法の外に判断の基準を認めることになり、国際法による裁判が成立しません。 また、降伏ではなく講和だった場合、どちらがどれだけ有利であっても、対等の存在です(講和の条件はそれに左右されますが) 更に相手が降伏したからと言って、何をしても良いと定めてはおらず、国家自体を犯罪者として裁くことを定めていません。(国家は自分を裁く法を外部に認めませんから) 認められているのは、戦争時に個人が国際法に違反して行った犯罪行為への裁判・処罰のみです。 連合国は東京裁判意おいて、上記の事を悉く無視して日本という国家そのものを犯罪者として裁き、戦時中国際法になかった罪状で冤罪をでっちあげ、いわゆるA級戦犯といわれている人たちを裁きました。(アメリカ人弁護士は頑張ってくれましたが)

dango10
質問者

お礼

細かい解説ありがとうございます。理解が進みました。 動画まで付けて下さって感謝感謝です。

その他の回答 (15)

  • hekiyu
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回答No.15

犯罪か否か、正義か悪か、なんてのは 所詮、人間が勝手に決めたものです。 正義が存在するか、否か、ということと 太陽や月が、宇宙に存在するのとは違うのです。 それを、錯覚して、あたかも、正義というものが 太陽のように、どこかに存在するような気が して、そんなことを悩むことになるのです。 正義なんてのは、人間が勝手に決めることが できるのです。 戦争の場合は、国家、国民の為、という 大義名分があるので、人を殺しても、国家はこれを罰しない 犯罪にならない、と決めたのです。 だから、負けると、勝った方の都合で 犯罪とされることが生じます。 日本がその被害者になりました。

回答No.14

正義については、立場や思想によって違って当然なので、回答は差し控えますので、なぜ国家の暴力が犯罪でないのか、ということについて少しだけ 注) 偉そうなことを書きますが、以下の文章はあくまで私見です。御了承ください まず、なぜ個人の暴力は犯罪なのか、ここでは特に殺人について考えたいと思います 人の命は地球より重い、等という言葉がありましたが、そんなことはありません 少なくとも自分には自分の命より大事なものがいくつもあります 自然界でも雌の取り合いや生存競争で相手を殺すことがある以上、本能的に同種の生物を殺すことに抵抗があるとは思えません 彼らはより強い種を残すため、つまりは種の繁栄のためには相手を殺すこともいとわないのです さて、殺してはいけない、ということが本能的なものでないのなら、なぜ人間は人間を殺すことに嫌悪を覚えるのか 人間が社会生活を営むようになり、コミュニティを構成する様になると、強いものの種のみを残すために同種間の殺し合いをすることは非常に非効率であることが分かりました そこでコミュニティの適正な構成員数を確保するため殺人は禁止されたのです つまりは命の重さ云々ではなく、コミュニティを維持するために殺人が禁止され、あたかも人間が本来持っている倫理であるかのように刷り込まれました さて以上の理由から個人の暴力が犯罪とされました ではなぜ国家の暴力(戦争や死刑)が犯罪ではないのか それはコミュニティにとって有益だからです コミュニティにとって害となる犯罪者を排除することが死刑であり、コミュニティの利益の拡大や保持のための戦争があります コミュニティにとって害となる暴力は、犯罪であり、コミュニティ維持拡大のための暴力は犯罪とはされないのです

  • hekiyu
  • ベストアンサー率32% (7194/21844)
回答No.13

刑法理論によれば、違法性が阻却されるから 犯罪にならないのです。 戦争についての評価は歴史的には変化してきました。 昔は、戦争は正義の為の戦争でした。 例えば、十字軍は、神の意志に基づく、正義の 戦争でした。 次に、戦争は、悪でも善でもない、外交の一技術 である、という理論に変化してきました。 あの大東亜戦争まではこの理屈下にありました。 現在では、戦争は原則、悪である。しかし、自衛戦争は 例外として、善である、ということになっています。

  • oska
  • ベストアンサー率48% (4105/8467)
回答No.12

>正義の戦争はなぜ「正義」なのでしょうか? 勝てば、官軍だからです。 >国家の暴力(武力)はなぜ犯罪ではないのでしょうか? 戦争では、相手(戦闘員)を何人殺しても罪にはなりません。 但し、非戦闘員・捕虜を殺すと罪に成ります。 これは、国際的な条約があるからです。 例外として、日本は何をしても犯罪扱いとなります。 韓国の国定教科書では「元寇の戦いは、元の日本征伐」となっていますよ。 日本は、中国に従わない国だから「征伐された」のだそうです。 (元軍の先陣として参戦した高麗兵の野蛮行為(対馬・壱岐)には全く記載がありません) 反日国家の雄である中国でも「元寇=日本侵略」と教科書にかいています。 反日国家でも、色々と解釈が異なるようです。 >上の質問に対する一つの答えとしてゲーム理論というものが存在するとあったんです。 その通りですね。 (自らは手を汚さない)時の権力者同士のゲームです。 印度のガンジー、チベットのダライラマ、南アフリカのマンデラも、同様の考えを持っています。 ノーベル平和賞を受賞した中国の民主化活動家も、この思想を持っているようです。 >その他にどんな理論がある(あった)んだろう、とふと気になりました。 多少意図が異なるかも知れませんが、ヒトラーの「我が闘争(?)」も(正しいか否かは別にして)参考に成るようです。

dango10
質問者

お礼

我が闘争の目次を調べたところ、関連してそうな欄が発見できました! 情報ありがとうございます。さっそく読んでみます。 中国朝鮮の件も勉強になりました。

  • borg121
  • ベストアンサー率6% (363/5467)
回答No.11

 戦勝国(アメリカのような大国の場合)の暴力(武力)が犯罪ではない=正義なのは、その戦勝国(アメリカ)が国連等の支配的立場であって、その戦勝国(アメリカ)を裁く裁判自体が成立しないからでしょう。  一方、戦勝国が小国の場合(例えば、どこかの小国が他の小国を正当な理由もないのに抜き打ちで武力によって占領した場合)、この戦勝国(小国)の「国家の暴力(武力)」が国連等の機関によって犯罪と断罪される可能性もあるでしょう。

  • sumimimi
  • ベストアンサー率15% (48/314)
回答No.10

「正義の戦争はなぜ「正義」なのでしょうか」 それは妙な言いまわしをしてるだけで 正義の定義を問うているのであって 戦争とは関係ありません。 正義はふつうに使う言葉で意味は通じており 日本人が日本語を質問するのはおかしい。 辞書に書いてありますよ。 「国家の暴力(武力)はなぜ犯罪ではないのでしょうか」 それも戦争を扱うまでもなく警察の実行力と同じことで、 これを否定するならあなたは犯罪に対して 無防備になりますよ。 ようするに、あなたは考えているような気分に 浸りたいだけで何も考えてないですね。

dango10
質問者

補足

私は意見でなく、一般に論じられている様々な理論が知りたいと書いたのですが。 あと個人的に何をも否定しているつもりはありません。空気読んで下さいww 私もこういう話については日が浅いので言葉足らずでしたね。質問自体に補足もできませんし… 見当違いのご意見ありがとうございました。別の意味で勉強になりました。

  • eld3399
  • ベストアンサー率4% (16/345)
回答No.9

世界の政府の中には、暴力どころか殺人、暗殺も認めている秘密組織があるので不思議でもありません。

  • kumap2010
  • ベストアンサー率27% (897/3218)
回答No.8

犯罪=国家が定めた法律によって禁止された行為を行ったもの 国家が行うことは法律に反してないから犯罪になるわけがない 犯罪という言葉の意味をもう一度調べたほうがいいんじゃないかな 正義とか以前の問題

noname#140045
noname#140045
回答No.7

No.4です。 お礼ありがとうございました。 >正戦の定義はきっと論外ですよ 日本人は「論外」という言葉をとても便利に使いますが「論外」と定義付けるためには(この場合)「正義の戦争」の定義があってこそ、初めて論外と言えるものです。 何の定義もなく「自分が非暴力の人だから」なんてのは、自分のさじ加減でどうにでもなることですからね。 もちろん、私もガンジーさんと同様に非暴力の人ですよ。

dango10
質問者

補足

ええと、論外と言ったのは説明を省くためです; 彼の思想は宗教教義と混じっていて非常に複雑なので…。もし気になるなら彼の著作を読んで下さい。ここでは説明しきれません。熱心に返信していただいたのに本当にすいません;

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.6

戦争が犯罪では無い、とされるのはそれが安全保障だからです。 戦争は人間の歴史そのもの、といえるぐらい社会と結びついてます。 昔から単純なレベルの問題解決は暴力しかなかったからです。 たとえば、今のような国も安全保障も無かった時代に戻ったとします。 ある部族が川の上流に住み、別の部族が下流に住んでいて両方とも稲作農業で生計を立てていたとします。なにもなければ平和に住み分けできるのですが、ある年は雨が少なく川の水が減ってしまって稲作に影響を与えました。 上流の部族が川をダムを作り自分たちの田んぼに水を流し込んだため、下流の部族まで水が届かなくなりました。下流の部族は怒って抗議に行くのですが、上流でもまだ水が足りないぐらいなので放水することは拒否されました。 このままではその年の米がまったく出来ずに下流の部族は飢え死にしてしまうので、上流の部族に放水させるため、戦争に打って出ます。 これが戦争の原点であり、紛争はどちらも譲れない状態からスタートするのです。 しかし数年経つと、この二つの部族の地域に強大な侵略者が現れます。この侵略者は上流と下流の部族のどちらも自分の支配下に治め、年貢を取り立てるようになり、監督官をこの地域におきました。 そしてその年も水が不足したのですが、上流、下流の部族の戦争になる前に監督官が軍隊を派遣してダムを作らせないようにすると共に下流と上流の部族に協力するように要請しました。 そのため、下流の部族は上流の部族の稲作を手伝い、上流は下流に可能な限り水を流すことで一人の飢え死にも戦死者も出さずにすみました。 その後この二つの部族は自主独立を捨てて侵略者の国に併合され、年貢を納める代わりに部族間の調整と非常時の対応を任せることになりました。 これが警察権の始まりです。 つまり犯罪とされるのは、権力が存在し警察権を認めることが前提になります。日本を例にとれば、国民は税金を納め、法律に従っています。このような状態を「社会契約説」といいます。 ところが現代でも国によってはこの契約が担保されていない地域が多数あります。たとえばトルコ・イラン・イラクに跨る山岳地帯にはクルド民族という部族が住んでおり、独自の武力も有しているため事実上の自治権を有しています。このような地域では上記の国の警察権は及びにくく、なにか問題が起こればクルド民族とどこかの国の政府(たとえばトルコ軍と)が戦争になってしまうのです。 このような場合、トルコ政府から見ればクルド人は犯罪を犯していることになりますが、クルドは独立国を望んでいますので、クルド側から見れば、トルコが領土侵犯を犯したために自衛しただけ、ということになります。 このような状態になってしまうと、何が犯罪で何が戦争なのかは、立場しだいでありどちらにとっても自分のしていることは「正義」なのです。 また南米や東南アジアのタイなどの山岳地帯では麻薬が栽培されているます。これは国家的にも国際的にも犯罪であり、アメリカなどの資金などで協力して壊滅をめざしているのですが、この地域はとても貧しく産業も無いため、元々この地域に住む人々が生活し医療を受け教育を受けるためには多大な資金調達が必要であることも事実なのです。単に麻薬栽培を撲滅しても彼らの生活を担保しなければ、同じことの繰り返しになってしまいます。 ですので国際的に見て麻薬撲滅は「正義」ですが、彼らからすれば「正義のために自分たちは飢え死にしろ」と言われているのに等しいわけです。 また北朝鮮のような状態の国なら、クーデターが起これば国際的にはクーデター側に評価が集まるでしょう。しかもクーデターが成功し、現在の金王朝が倒れて近隣と協力的な政府が出来れば日本も中国もアメリカも協力を惜しまないでしょうし、国際的にも新しい政府は認知されるでしょう。 しかし現在の北朝鮮政府から見れば、クーデターは犯罪でありテロであるわけです。日本が新しい北朝鮮政府と国交を結べば、日本は犯罪やテロを容認する国だ、ということになってしまいます。(実際は現在の北朝鮮を認めていないので、そのようにはなりませんし他国も国交を樹立すれば同様ですが、理論上はそういうことです) ですから「正義」という言葉はとてもあいまいで、絶対的な正義は存在しないのです。 日本のように国家が安定し、社会契約に信用が置ける社会なら犯罪は明確に犯罪といえるのですが、社会契約自体が機能していない国や地域だと、何が犯罪で何が正義なのか境界があいまいになりますし、戦争ですら肯定されることになります。 あくまでも戦争が容認されるのは「安全保障」の考えに立ったときのみであり、時代によって考え方も変化するのです。特に原爆開発以降は安全保障上、戦争自体が人類を滅ぼす犯罪に変化したといえます。

dango10
質問者

お礼

非常にわかりやすい回答ありがとうございます。勉強になりました。 社会契約説あたりは高校の世界史以来御無沙汰だったので一度本を読もうと思います。

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