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南無妙法蓮華経の発音

南無妙法蓮華経の発音 日蓮大聖人の仏法の題目の発音についての質問です。 題目を唱えていますが、母が南無妙法蓮華経の妙の発音がおかしいと 口うるさく言います。 自分では、しっかりと妙(みょう)と言っているつもりですが母は正しく発音できてないと 信心の効果が薄くなるから、正しく発音しなさいと本当にうるさいです。 本人が信心して題目を唱えていれば、妙の発音はそれほど重要ではないと思いますが、 本当のところはどうなんでしょうか? 日蓮仏法に詳しい方よろしくお願いします。

みんなの回答

  • minumteh
  • ベストアンサー率21% (43/196)
回答No.7

人を説得するには、その人の心に届く言葉が必要だと思います。 お母さまは、あなたよりも目上の立場からおっしゃっていますから、 たとえ説得力のある説明を得ても、あなたから発した言葉での説得は、 困難なものがあるのではないでしょうか。 人は往々にして、相手が誰であるかによって、言葉に耳を傾けたり、 傾けなかったりします。 つまり、その人に合ったやり方を選ぶ必要があるということで、 それは法華経の説いていることである気もします。 お母さまの心に届く言葉を持っている人、 お母さまが素直に耳を傾けそうな人は、誰でしょうか。 No.3の方も、お寺への相談を勧められていますが、 お母さまの信仰の先輩にあたるような方など、誰かいませんか?

vaikin777
質問者

補足

母は創〇学会の活動には、呆れて参加しておりません。 法華経のみを行っております。 >>お母さまの信仰の先輩にあたるような方など、誰かいませんか? 今は、いない感じです。私も探して母を説得してみようと思います。

  • mkhagane
  • ベストアンサー率22% (16/70)
回答No.6

No.3です。 全く処置なしですね。 私ではお役に立てそうにないです。 日常会話まで無視することはありませんが、その事に関しては何を言われても聞こえない振りをしてください。

  • mkhagane
  • ベストアンサー率22% (16/70)
回答No.5

No.3です。 末端の信者ほど形式にばかり拘る人が多いです。 お母様でなければ無視しなさいというところですが、お寺さんに相談してみてはいかがでしょうか。 「母にこんな事を言われている。自分としてはきちんと発音して信心もあるつもりなのだが、どうだろうか。」 というような事をお母様の居る前で相談してみるのです。 和尚様がまともな人なら諭してくれると思います。 あとは、「障害があって上手く発音出来ない人も心が濁っているのか。」と聞いてみましょう。 そのとおりだと言うのなら処置無しです。

vaikin777
質問者

補足

母に反論してみました。 耳が聞こえない人は、ちゃんと発音できるのかと・・・ 何を勘違いしたのか、ちゃんと発音できるそうです・・・ 言葉も出ませんでした。 おそらく耳の悪い人はしゃべる事が出来ないということを理解していません。 発音が悪い人は、境涯が悪い状態になっていると言います。 自分が怒りをあらわにしてしゃべっていたので修羅界にいるだそうです。 その境涯をあげるためには、しっかりとした発音が必要だそうです。

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2725/5435)
回答No.4

私は日蓮宗ではありませんが、隣家の親戚が日蓮宗であり、ソコのお寺さんとも家族ぐるみで大変親しくしております。なので、部外者からの意見と思ってください。 確かに言葉は言霊と言って、言葉にも発音にも大きな力があります。 しかし、実際にどのように言っているのか、本当に違っているのかは、自分の発音を何かに録音して聞くか、別の誰かに聞いてもらえば良いのではないでしょうか? もし菩提寺が近くなら、そこのお寺の方でもいいと思います。それで問題無しとなれば、他の誰が言うより説得力があると思うし、問題があるとなれば、練習すればよいだけです。 結構発音にうるさい人でも、例えば「無」の発音を「ム」とはっきり言うべきという人と。「無」は無発音の「m」(英語などのmの発音です)だという人など様々です。 もっとも他の回答にあるように、サンスクリット語と中国での読み方、日本での読み方も実際には違っているでしょうから、そうなると本来の仏法と日蓮宗の説く仏法にも差を生じてしまうという自己矛盾に陥ってしまうのではないでしょうか。 結果的に「本来の仏法には関係なく日蓮の説く仏法に帰依している」のか、「発音が多少違っていても自分が意識して発音していれば同じもの」なのかという二者選択を迫られることになります。

vaikin777
質問者

補足

回答ありがとうございます。 自分は、「発音が多少違っていても自分が意識して発音していれば同じもの」 と思っていますが、母はどうも違うようです。 境涯が下の方にある人は、発音がうまく言えないと言うのです。 今のうちに、発音の癖を直しておかないと、行けないと口酸っぱく言います。 そんなに発音が大事なのでしょうか? 本当に疑問です。

  • mkhagane
  • ベストアンサー率22% (16/70)
回答No.3

日蓮宗です。全く熱心ではありませんが。 うちのお寺の坊さんにそんな事、言われた事ありません。 仏の心は広大無辺です。 些細な事です。 気になさらぬよう。 お母様には「広大無辺の仏心からすれば些細な事だ。」 と言ってあげなさい。

vaikin777
質問者

補足

回答有難うございます。 たぶん「広大無辺の仏心からすれば些細な事だ。」 といっても納得してくれません。 うまく発音できない人は心も濁っているという人です。 何とか、説得できる方の意見をお待ちしております。

noname#121598
noname#121598
回答No.2

お経の原典は全てサンスクリット語で記述されています。 南無妙法蓮華経をサンスクリット語(カタカナ)で表すと 「ナモサダルマプフンダリカサスートラ」(namassaddharmapundarika-sutra)とか 「ナモサッダルマ プンダリーカ スートラ」(namaSaddharma pundarika sutra)とか 色々な読みになります。 これを漢語に訳した時に「南無妙法蓮華経(ナムミョウホーレンゲキョウ)になったので それほど拘る必要はないのでは?と思うのが一般人の感想です。 日蓮大聖人の仏法は戒律が厳しいので、正しいお題目を唱えないと 正しい信心と言えないのかもしれませんが・・・・・

  • shubal
  • ベストアンサー率20% (402/1958)
回答No.1

先日美術館で日蓮の書いた南無妙法蓮華経の文字を見ました。日蓮は字が下手らしく、南無~と大きく書き始めて、最後の華経のスペースが少なくなって、そこだけちいちゃくなってしまっているのです。豪快な日蓮らしいなと好感を持ちました。それと同じで題目を読む作法というか読み方などどうでもいいのではないですか?

vaikin777
質問者

補足

回答ありがとうございます。 しかし、母に強く説得できる説明がほしいです。 詳しく説明できる方宜しくお願い致します。

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