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閻羅王信仰について
neil_2112の回答
- neil_2112
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何かのレポートでしょうか。簡単に書かせてもらいます。 閻羅王は地獄の王として、「長阿含経」などの原始経典にも出てきますから、既にインドで生まれた信仰で長い歴史があります。確か「正法念処経」にも登場したと記憶しています。 この閻羅王が中国に渡ると特異な展開を遂げます。このインド源流の信仰が、もともと死者が地下に赴くとされる信仰があり、泰山の地下に地下の冥官が存在する、という土俗的な「泰山府君」の信仰と混交するわけです。 結果、因果応報の原則の支配する凄惨な地獄のイメージが(「冥報記」や中国撰述の偽経である「十王経」など)作り出され、閻羅王はその支配的存在として地位が高まってゆくのです。 ところで、閻羅王信仰が地蔵信仰と結びつくのは当然です。両者は同じものだからです。 いわゆる「地蔵十輪経」では、地蔵菩薩が閻羅王ほかの姿に身を変えて説法するとされていますし、恐らくこれを下敷きにして、平安初期に成立した「日本霊異記」では閻羅王自身が人間に対して「われは汝の国には地蔵菩薩と称する」と語っています。さらに日本偽作の「地蔵十王経」では、閻羅王の本地が地蔵菩薩とされているのです。 少しきつい書き方かもしれませんが、細かなことはともかく、わが国で「地蔵菩薩=閻羅王」の信仰が強かったことは、この問題を学習するならいわば初歩の初歩です。 ともかく、経緯は詳述しませんが、日本では泰山府君は貴族中心に現世利益を祈るものとして信仰されていきます。現世の寿命を司るとされる冥官の力がその信仰対象です。ここでは冥道供や閻魔天供など、陰陽道や密教の影響を強く受けた行法が修されました。この際の媒体は当然、密教僧や法師陰陽師ということになるでしょう。 また庶民レベルでは、閻羅の別面である地蔵菩薩への信仰を主たる面としながら畏怖すべき存在として信仰されていきます。この際の媒体は民間の遊行僧が中心で、地獄譚や地獄草子、地獄を描いた立山曼荼羅のような図像などが活用されたでしょう。 特に名のよく知られた空也は、ある人物の死に際して閻魔王に命を返すよう手紙を送ったとか、いろいろ地獄に関わる伝説が残されています。言わば彼自身、験力によって閻羅王と通じた存在、閻羅王の力をこの世に体現した存在として信仰されたといっても過言ではないでしょう。
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お礼
詳しくどうもありがとうございました!
補足
閻羅王と地蔵を全く一緒の存在にしてしまっていいのでしょうか? 閻羅王が死人を裁いている時に地蔵がやってきて蘇生させた…という話があったように思うので同一人物としてしまっていいのか疑問です。