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霊界を信じる方に。霊が転生し修行するという肉体をもった生命体が存続でき

霊界を信じる方に。霊が転生し修行するという肉体をもった生命体が存続できる時間は宇宙からすると一瞬ですが、大変意義のある転生先がなくなると霊たちはどうするのでしょうか。小さな地上人の視点からすると、輪廻も霊界もあり得ると思うのですが、壮大な宇宙的な視点からするとおかしいと思いませんか?

  • jjojoe
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  • michael-m
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回答No.3

2回目(補足)です。 霊という存在すら全く想像の域を脱せないほど研究が進んでいない分野です。 研究といっても周辺を固めている段階を超えてはおらず、それなのに、論議は始終、有るか無いかだけで終わってしまっている。それがこの分野です。 輪廻などの概念も結局は仏教で考えられている範囲を超えてはいません。 つまり、殆どは人間が作り出した、仮説というにはあまりにも人間としての解釈が入り過ぎている。 それが何世紀にも渡って続けられている、ある意味では人間の文化的要素が多く入り込んでいると思います。 一人が本当に幽霊を見たとしても、ひと月後には何十人ものも目撃談がうまれているでしょう。 そして何人もの人が「実は昔から見えていた」と言い始めます。近年では風水ブームも同じです。 既に坂本龍馬と話している人も複数出てきています。 これも文化といえば文化なのかもしれません。 その中から何を読み解くか、或いは一部の偽物で全否定するかは個人の自由としか言いようがありません。

jjojoe
質問者

お礼

再度ご回答ありがとうございます。 納得できました。

その他の回答 (2)

  • michael-m
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回答No.2

第一の点、人が見ている夢は、さほど長い時間観ているわけではありません。脳の活動期の一部だけです。しかし、夢の中の時間はかなり長い場合があります。これは一瞬のうちに膨大な量の情報が処理されているからです。 つまり、一瞬であろうとなかろうと、処理する量が変われば修行の成果も変わるということです。 また、どんなに宇宙が広大であろうと、一光年は一光年、一分は一分、一光年も一分の積み重ねでしかありません。 第二の点、初めから有意義な転生先などありません。在るのは環境だけです。その舞台でどんな人生を描くかはそのヒト次第です。 また、転生先がなくなるというのは、生物界への転生の必要がなくなった場合に限られます。 この場合二つの事が考えられ、一つは全ての霊が極楽と地獄の二つの世界に分かれるということ。 仏教の輪廻思想では仏界に行った霊にも地獄に堕ちた霊にも輪廻があります。なので必要が出来ればどこかの星で再び生物が生まれるだけの話でしょう。 これがキリスト教的な思想では終末になり、最後はこの二つの世界で安定するというものです。 もう一つは、天国とか地獄とかはあまり重要ではなく、法則的に転生を繰り返しているという説で、これは宇宙を漂う元素の動向に似ています。つまり、たまたま再結合の結果が生物であっただけで、生物が滅んでしまえば別の物に再結合する(生まれ変わる)だけだというものです。 私達人間は、人間としてだけの価値観で考えていますが、鉱物には鉱物の価値観があるのかもしれません。そうなると意識とか修行という事の定義や解釈も完全に変わらねばならないということです。 第三の点「おかしいとおもいませんか」については、なにが「おかしい」のか判らないので、申し訳ありませんが、お答えのしようがありません。

jjojoe
質問者

お礼

丁寧なご回答ありがとうございます。 おかしいというのは、地球の人間側の小さな視点で、霊界や輪廻を思い描いているように思えてくるからです。霊界も輪廻も、人間の作り上げた一種の文化なのかなとも思えてきます。 英国で、スピリチュアリズムが流行った時代がありましたが、立て続けに英国に霊界通信が送られましたね。高級霊からだけでなく、スピリチュアリズム関係者などから死後たくさん送られました。こうしたことも、人間の文化臭がするのですが、いかがですか。

  • kendosanko
  • ベストアンサー率35% (815/2303)
回答No.1

とりあえず、こんな画像そっくりの夢見たことあります↓ 早朝、うとうとしているとき、 目の前でフラッシュたかれているような記憶が残ってます。

jjojoe
質問者

お礼

映像添付して頂きありがとうございます。

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