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 背理法とは対偶がその原理だと私は思っています。つまり対偶と背理法は基

MagicianKumaの回答

回答No.9

証明したい命題を Aとします。多くの場合、AはP⇒Qの形をしています。 1.対偶を用いた証明   P⇒Q を証明するのにその対偶 ¬Q⇒¬P を証明すればP⇒Qを証明したことになる。   その根拠となるのが P⇒Q ⇔ ¬Q⇒¬P という恒真命題です。 (1) 2.背理法   Aを証明するのにその否定¬Aを仮定(真とすると)矛盾が発生すること示し、¬Aが偽、つまりAは真を導く方法です。   では、矛盾とはなにかというと、隠れていた公理や定義や証明済みの定理について、その否定が導かれたということです。   上記矛盾以外に、AがP⇒Qの形の場合は、Pは仮定として真とおきますから、証明の過程でPの否定が導かれたということです。   たいていの背理法では、矛盾として上記が全てです。なので、公理等をS1,S2,S3,・・・Snとおけば、   P⇒Qの¬(P⇒Q) ⇒ P∧¬Q ですから¬Qから推論して、¬P∨¬S1∨¬S2∨¬・・・∨Sn が導かれれば、対偶をとって   P∧S1∧S2∧・・・∧Sn ⇒ B で対偶による証明と同じです。   ですが、背理法では、上記以外の矛盾として、その他の任意の命題(真偽はわかっていない)Xを持ってきて、証明の過程でXと¬Xの両方が   導かれれば(排中律に反するので)最初に仮定した¬Aが偽 すなわちAは真 と導けかれるという考え方です。   その根拠となるのが ((¬A⇒X)∧(¬A⇒¬X)) ⇒ A という恒真命題です。 (2)   背理法では、¬Aを真と仮定して推論してますから、上記のXが真とわかっている命題であれば、(2)の左辺の∧の1項目の(¬A⇒X)は真です。   なので、2項目 ¬A⇒¬X が導かれればAが導かれたことになります。 ¬Aは P∧¬Qにほかなりませんから、¬Qから出発する対偶による証明です。 結論をまとめると   対偶を用いた証明とは、恒真命題(2)でXを真の命題として、左辺2項目だけを使い (¬A⇒¬X) ⇒ A を導く方法。   背理法とは、(2)の1項目と2項目が同時に成り立てば、Aがなりたつを導く方法。

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