• ベストアンサー

なぜ1週間は7日間なのでしょうか。

 こんにちは。質問はタイトル通りです。以下、補足です。  1年が365日間なのは季節の移り変わりや太陽の動きなどで決められたと学びました。(うるう年は調整として入れられています。1年は厳密には365.25日前後であり、4年に1度366日にすることで、日付の信頼性が高まると学びました。太陽暦)  1ヶ月が30日間前後なのは月の動きなどで決められたと学びました。つまり、月の満ち欠けが大体30日周期らしいので。(太陰暦)  なぜ1週間はきっちりと7日間なのでしょうか。1週間が6日間や8日間でも良いと思うのですが……。  皆様の力をお貸しください。よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • masa2211
  • ベストアンサー率43% (178/411)
回答No.2

旧約聖書(=キリスト教/イスラム教/ユダヤ教共通の経典)の創世記の、 ・神は6日で全世界をつくり7日めに休んだ という記述から来ています。 更にもとをたどると、明るい星の数が7つ(太陽と月もカウントする) なのでしょうけど。

noname#142902
質問者

お礼

 おはようございます。  聖書の創世記の記述は読んだことがあります。  しかし<更にもとをたどると、明るい星の数が7つ(太陽と月もカウントする)>という部分は知りませんでした。ありがとうございました。  とても参考になりました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (1)

  • sanori
  • ベストアンサー率48% (5664/11798)
回答No.1

こんにちは。 7という数字には、科学的な必然性はありませんね。 これを参照してください。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9B%9C%E6%97%A5 >>>1週間が6日間や8日間でも良いと思うのですが……。 六曜は、ご存知ではありませんか? http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9B%9C

noname#142902
質問者

お礼

 おはようございます。  確かに必然性は無いと思います。「六曜」については名前だけで、細かいことは知りませんでした。わざわざWikipediaのリンクを2つも貼っていただきありがとうございました。  とても参考になりました。

全文を見る
すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A

  • 太陰暦での日付け

    昔は、太陰暦を使用していました。 太陰暦では、太陽暦に比較し、1年に11日ほど日付が早くやってきます。したがって、ある年のある月日の季節は前年より11日ほど早くなります。 農業などで、太陽暦では、例年同じ日付けで作付けを行っても、気温などの季節は同じです。 しかし、太陰歴では、昨年と同じ日付けで作付けなどするのは、不都合だったと思います。 太陰歴では、どのように対処していたのですか?

  • 昔の太陰暦で一番短い月は一月が何日間だったのか?

    昔の太陰暦では、一番短い月は、一月が何日間なのでしょうか? 現在のグレゴリオ暦では、一番短い月は2月で、28日間(閏年は除く)です。 確か、昔の太陰暦では、小の月、大の月等があって、小の月が、一月が短かったと思います。 その、昔の太陰暦の小の月の中で一番短かった月は、一月は何日間だったのでしょうか? 昔の太陰暦の小の月の中で一番短かった月は、一月が何日間だったのかを教えてください。

  • 太陰暦・太陽暦や閏年、閏日、閏秒等は何となく分るんですが

    何故?月の日数が違って決められたのでしょうか。             ↓ 太陰暦・太陽暦や閏年、閏日、閏秒等は設定根拠や必要性が何となく分るんですが・・・ 何故、2月は28日(閏年を除き)、4月・6月・9月・11月は30日、他の月は31日のように日数が違うのでしょうか? 分ってる、常識なようで良く分らず、理解していない、学び聞く機会もなかったのですが・・・ 特に支障や不便はありませんが、疑問に思い*推理を廻らしていますが不明です。 どなたか、教えて頂けませんでしょうか。 よろしくお願い申し上げます。 *月の満ち欠け *太陽からの引力 *当初の設定&発明者が何らかの理由で決めた *その他のユニークな推説

  • カレンダーにある旧暦

     カレンダーの中には旧暦の一日とか新月半月満月を記号で示しているものがありますが、旧暦というのは明治初めまで使われていた太陰太陽暦のことでしょうか?月の満ち欠けを記号で表しているのは潮の満ち干を知るのに便利だからだと思いますが、それなら太陰太陽暦より純粋の太陰暦のほうがずれが少なくて良いと思うのですがどうなのでしょうか? 

  • イスラムの暦(太陰暦)は農耕には不向きでは?

    イスラムは太陰暦のみを使っていると聞きました。太陰暦は月を知るのには向いていますが季節を知るのにはまったく不向きだと思います。(だから、かつての日本は太陰暦と太陽暦を両方使って調整してたわけで。。。)例えば農耕等には太陽暦が欠かせないと思うのですが…。彼らは一体どのような基準を用いてその時期を知るのですか?

  • セツブンソウについて

    キンポウゲ科の山野草、「節分草」。 節分の頃のような寒い時期に咲く地方があるのですか? 「節分」というのは、「立春」の前日の日のことで、「立春」とは冬至から春分の中間をさします。 つまり、太陽の動きに基づいた「24節季」と、月の満ち欠けによる1月~12月という2つの暦を同時に使ってたため、新暦に直すともう、わけわからなくなります。(太陰太陽暦) 「節分」とは「立春」の前の日なので、旧暦だろうが新暦だろうが、 「冬至」と「春分」の中間の日(立春)の前日・・・が「節分」なのです。 今で言えば2月3日頃を。 つまり、2月3日というのは当事の「節分」を、すでに新暦に直しての「2月3日」なのです。 「立春」は、太陽の動きに基づいた24節季の一つですので、年によって変わります。 だいたい、当事の(旧暦の)元旦前後みたいです。 なので、昔は、元旦前に「立春」・・・なんてことが よくあったらしいです。 そこを踏まえて、節分のころに咲くセツブンソウはどこに行けば見られるでしょうか?

  • 改めて教えて下さい。「大寒」が依拠する暦は「太陽暦」か?

    改めて皆さんのお知恵をお借りしたいんです。はじめに、私は英語を通して海外の方に日本文化を紹介することに興味のある者です。ただし、天文学や暦などにはほとんどといって良いほど知識はありません。 (1)私の疑問は「大寒」という季節の区切り、特に今年であれば1月20日の日を日本文化に詳しくない外国の人に説明しようとしたときに、文字通り(「大寒」)1年のうちで最も寒い日とされている根拠は、わかりやすく暦のうちの二分法でいうところの「太陽暦」なのか、それとも「太陰暦」なのか、という点です。この疑問の背景については、この同じカテゴリーの私の質問(No.1184027)をご覧ください。 (2)以前の私の質問(No.1184027)に回答を下さった4人の方の(1)に対する端的な答えは「太陽暦」である、という点で一致されていました。 さて、改めてある事典を引いてみて気づいたことがあります。「二十四節気」を引いてみると、それは「太陰暦の日付と季節を一致させる為に考案されたもので、明治5年まで使用された太陰太陽暦のひとつ、天保暦もこれを使用していました。現在「旧暦」と呼んでいる暦もこの天保暦の焼き直しです」とありました。さらに、辞書(広辞苑)で「太陰暦」を引いてみると、「広義には太陰太陽暦を含めていう」とありました。 ということは、あくまで広辞苑に基づけば、の話ですが、 大寒 ← 二十四節気 ← 太陰太陽暦(広義では「大陰暦」) ということになり、(1)の答えは「太陽暦」(solar calendar)ではなく「太陰暦」(lunar calendar)となるように思いますが、いかがでしょうか?

  • 太陰暦と太陽暦

    太陰暦と太陽暦、太陰太陽暦について、おおまかな理解はしていると思うのですが、 いくつか細かな点で分からないところがあります。 暦、日本史について詳しい方いらっしゃいましたら教えて下さい。 太陰暦、月の朔望を基準に、一ヶ月を29日ないしは30日とする暦。 太陽暦、地球の太陽周回を基準に、一ヶ月を28日、30日ないしは31日とする暦。24節気と対応。 太陰暦は、1年につき約11日、3年で約33日(約1ヶ月分)、暦と季節がずれてしまいます。 そこで、3年に約1回(19年に7回)閏月をいれることで、暦と季節のずれを調整した。 太陰太陽暦は、月の地球周回と地球の太陽周回という二つの、それぞれに独立した自然現象を基準に、人間が、時間をはかるために併せ用いていたということだと思います。 そこで質問です。 太陰暦における基準点、一日は朔日(新月の日)ですよね。 睦月の朔日、如月の朔日、弥生の朔日、、、が、29日か30日に一回やってくると。 では、太陽暦における基準点は、どこですか? 閏月のことを考えると、太陰太陽暦では、睦月の朔日が、太陽暦の基準点がきもちよくぴったり重なる日が三年に一回あるということになると思うのですが、この理解で間違っていませんか? (西暦何年に、それがぴったり重なったとかっていう正確な記述があれば、ついでに教えてもらいたいです。)

  • 太陰周期(メトン周期)はなぜ19年なのか

    ある本に、太陰周期(メトン周期)の説明として 「ある日のユリウス暦日と月の位相とが同一となる周期、19年」 と書いてありました。これは、 (経験的に19年らしいことが分かっていて、) 1.ユリウス暦では4年に1度うるう年があるので一年の長さを365.25日として、これと19の積である6939.75 2.平均朔望月29.530588と235の積6939.68818 1と2で求めた積の差が極めて小さいから、そう定めたのでしょうか。 上述した私の推測が正しいか、正しくなければその理由を教えて下さい。 よろしくお願いします。

  • 2月は、どうして28日なのですか?

    現在日常的に使われているグレゴリオ暦では、2月は基本28日、うるう年は29日になります。 他の月は、30か31日です。 2月だけが、どうして微妙に短いのでしょうか? ちなみに、グレゴリオ暦は太陽暦で、1年を365日、うるう年を366日としています。 が、ひと月は、大体、月の満ち欠けの平均(30日くらい)を基準にしている様に思われます(「大体」なので、実際の月の満ち欠けとは全く一致しませんけど)。 また、31日ある月というのは、7月までは奇数月、それ以降は偶数月になっていて、七月もあります。 もし、7月を30日、2月を基本29日、うるう年を30日にすれば、31日の月は、1年の前半(6月まで)は奇数月、後半は偶数月ときれいに言えて六月になるし、2月がなお "ミソッカス" ではあるにしても、デコボコ感は若干減ります。 グレゴリオ暦では、2月は、どうして28日などと極端に短くされたのでしょうか?