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千年の愛、日本人による桜への愛とは?
- 日本人の千年に渡る桜への愛について考えます。
- 桜を愛し続ける日本人の思いや、歌詞における『永遠』や『千年』の意味についても探ります。
- 桜への愛は永遠ではなくても、百年や千年という時間を超えて受け継がれているのだと感じます。
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ん~~、水を差すつもりはないんだが。 千年前の「桜」と、今の(まぁ、明治以降の、だな)「桜」は、別の桜を指しているんだよな。古くに詠まれている桜は、たいてい山桜なんかだよな。だけど、近代では、桜というのはイコール「ソメイヨシノ」なんだな。これは江戸中期ぐらいにできた品種で、日本中に広まったのは明治以降だ。 ぱっと咲いて、潔く散る。これ、ソメイヨシノのことなんだよな。お花見なんかだと、葉が出てきて「葉桜」になると、もう「美しくない」といってみんな敬遠する。が、ソメイヨシノだから「葉がなくてすべて花だけ」という咲き方をするんであって、八重桜も山桜も、咲いている状態はいわば「葉桜」みたいな感じだ。 今の日本人は「桜」が好きなんじゃない。「ソメイヨシノ」が好きなだけなんだ。だから、千年前に歌に詠まれた桜を現代人が見て「美しい」と感じるかどうかは微妙だぜ。 と、水を差すようなことをいっておいて。 美しいとかいった感受性は、文化を共有するからこそありうるものなんだと思うんだよな。そして、日本においては、千年も前から共通する文化的な通念が受け継がれてきていた、ということなんだろう。だがそれは、「この先も常に受け継がれ共有されていく」とは限らない。 世の中に、「常に変わらぬ美しさ」はない、とオレは思う。そして、それでいい。そして、ないからこそ、今あるこの「美しさ」は尊いのだ、と思っている。いつか失われるかもしれないからこそ、今、それを愛でるのだとオレは思う。「失われないことが保障されている」ものなど、絶対に美しくなんかない。 反語的かも知れんが、「永久である」ものが永久に存在しても何も美しくはないしいとおしくもない。「限りある」とわかっているものだからこそ、それが存在することが美しく、また愛おしい。「千年愛」てのは、「千年は存在することが保証されている」からすばらしいわけじゃないぜ。すぐに消えていくはかないものだとわかっているからこそ、不可能だとわかっているからこそ、美しい。そうじゃないか? 「じゃあお前、3009年の人間と分かり合えると思うのか!?愛し合えると思うのか!?」 その通り。分かり合えないだろう。愛し合えないだろう。だからこそ、分かり合おうとする、愛し合おうとする試みは尊いのだ。最初から分かり合える、愛し合えることが保障されていたなら、分かり合う、愛し合うことに価値などない。決して普遍ではないからこそ、、そこに美しさ尊さがあるのだ。――オレならそう答えるな。
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- dell_OK
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いやいや。中学生の頃の質問者様はひねくれているのではなくて素直だと思います。私も、誰が100年愛し続けるか、と思います。100人愛す事はできても100年愛す事はできない。「1000年たっても忘れられないくらい愛している」と言う方が、よっぽどわけがわかりません。1000年生きてもおおかたボケて、愛していた事どころか、相手の名前さえも覚えていないような気がします。たわけた事を言っていないで、今だけでいいから、燃えるほどに愛して欲しい、と思う。 桜はともかく、総称して花なるものは、1000年よりも昔から、人々に愛され続けているのではないでしょうか。名も知らぬ花でさえも愛でる事ができるのですから、花を愛した人々は、これから先1000年の事はわからないけど、これまで1000年と、これまで2000年と、これまで3000年と、どれくらいか前かから、花を愛してきたと思います。 歴史上の人物ではないけど、1000年女王とかは、1000年ぐらい愛され続けていると思う。 時代によって天使と悪魔が逆転、と言うのはよくわからないけど、ある種の人間は常に変化する生き物であるのは当たり前だと思う。
お礼
ありがとうございました。 >総称して花なるものは、1000年よりも昔から、人々に愛され続けているのではないでしょうか。 そういえばそうですね。 和歌にも菊とか朝顔(現代でいう桔梗?)も歌われてますし。 何よりひねくれ発言を素直だと言って頂き嬉しいです。
アンカテで随分長文ですね^^; 「桜の木の下には死体が埋まっている」 戦争に及んでしまってはそれだけで語り尽くせませんよ。 ベトナム戦争の帰還兵がどういう扱いを受けたのかや日本でも靖国問題があるのはご存じでしょう。 “英雄”とは誰も思っていません。 ただ悲しい歴史の被害者であるとは個人的に考えます。 天使と悪魔もそんな簡単なものではなく、短絡的に善か悪かで判断するのはどうかと。 天使の無邪気さからくる残虐性は知っていますか? 悪魔は策略した考えを伴っての行為なのでまだ優しい面があることも多いのです。 神は旧約聖書では、まで言ってしまうと宗教の批判になり兼ねないので控えます。 人の想いは永久ではなく移り変わるものですよね。 それは桜も同じで冬には惨めな姿になっても春には芽吹いて初夏には葉桜になり・・・ しかし見える姿は変わっても根幹が生きていればその気持ちも生きているものです。 決して花が咲いているとき「だけ」が桜ではないのです。 別に人生、梅の木でも良いと思いますよ。 桜が真っ直ぐに伸びるのと比べて、梅は「わざと」曲がるように剪定します。 そのほうが綺麗ですから。
お礼
ありがとうございました。 戦争の事実、天使と悪魔の概念、など 私の考えがアマちゃんでした。 桜もコブクロの桜ソングを聴いて、 (コブクロの曲はなぜか「つぼみ」や「花」などの歌詞が多い。) >人の想いは永久ではなく移り変わるものですよね。 >決して花が咲いているとき「だけ」が桜ではないのです。 というご回答の意味が理解できました。
お礼
ありがとうございました。 平安時代の桜は現代の桜と違う種類だったのですね! それじゃあ堂本剛さん(エンドリケリー)の 「ソメイヨシノ」という曲こそ現代の桜ソングと言える訳ですね。 >すぐに消えていくはかないものだとわかっているからこそ、不可能だとわかっているからこそ、美しい。 感激のご回答ですね! ひねくれ私の問いかけにも、logger_manさんの答えを 直接ぶつければ解決です。 なんか失礼かもしれませんが、非常に哲学者的なお答えで圧倒されました。